2007年09月29日

ホテルカドローナ

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当初の予定では午後が雨と言われた土曜日に、カドローナスキー場に向かう。実際の天気は、午前中はうす曇で、昼頃晴れて、3時過ぎからみぞれが降り始めるような天気だったが、雪が柔らかくて素敵なコンディションだった。

 

ちょっと柔すぎとも言えるが、この山からは、片方にワナカ湖、反対側にワカティプ湖が遠望出来る景色も楽しめて、眼下の景色に向かって突っ込んでいく爽快さは、かなり満足度が高い。

 

カドローナは、クイーンズタウンを中心に行けるスキー場としては、3番目に近い。

 

一番近いのはコロネットピークで約30分。ただ、標高が1600mと低いので、雪質はあまり良くない。シーズンど真ん中でも結構石が出てる。

 

次に近いのはリマーカブルで、ここはチェーンなしで大体40分程度。標高が2000mなので雪質はよいのだが、何せコースが短い。特にここ数年の風向きで、一番面白いホームワードコースに雪がないので、滑る場所がないのが難点。ただ、家族向けに楽しめるようにエンターテイメントは充実している。

 

3番目がこのカドローナで、車で丁度1時間、約60kmの距離にある。クラウンレンジという峠を越して向かうのだが、上記の二つに比較しても、かなり危険な道のりだ。標高は1800mだが、斜面のバリエーションに富んでいるので、初心者から上級まで、一日かけて十分に楽しめる。また、雪質もとても良い。

 

唯一の欠点と言えば、クイーンズタウンから3番目に遠いという事くらいで、スキーフリークなら迷わずにこの山でスキーキャンプをするだろう。

 

ただ、世界中からやってくる金持ち観光客は、スキーはあくまでも遊びなので、手近で楽しめるコロネットが一番人気があるのだ。

 

金があるのだ、雪質なんてどうでも良いって事かもしれない。

 

一番最後、4番目に近いのが、ワナカの先にあるトレブルコーンだが、これは2時間近くかかるし上級コースなので、あまり好まれていない。

 

昨日は雪質を考えてリマーカブルだったが、今日は時間もたっぷりあるので遠出をしてやってきたカドローナ。

 

最後に滑ったのは、もう20年前だ。その頃はロッジもレストランも、そう呼ぶのが恥ずかしいようなお粗末な、まるで山小屋みたいなちっちゃな設備だったが、今回訪れると、その設備の拡充にびっくり。

 

綺麗に整備された駐車場、おもちゃのお城のような、城塞のような作りのカフェ、カウンターの端から端まで20m以上あるような屋内チケット売り場、ビールやワインも充実しているレストラン、レンタルショップなど、お客を楽しませる作りになっている。

 

レンタカーをほぼ半分くらい空いている駐車場に止めると、僕らはブーツを履いてスキーを持ち、ロッジに向かった。

 

それぞれ準備をする。ある人はトイレに行き、ある人はブールをはき、ある人は子供をキッズクラブに入れて、ある人はタバコにコーヒーと、各自準備を整える。

 

りょうま君は昨日に引き続きヘルメットをかぶせようとすると「やっだ〜、こんな窮屈なの嫌い!」実際に、彼の頭にはヘルメットよりも、ヘルメットで守るための脳みそを補充したいほどなので、まあいいや、スキー帽にしよかって事で、急遽青い毛糸の帽子を買う。

 

11時ちょい前から、準備が整った人から順々に5人乗りのリフトに乗るが、リフト待ちは土曜日と言うのにゼロ。すいすいと乗り込んで、最初のコースに向かう。

 

一本目はなだらかな初級コースで、上半分はほどほどに柔らかくて良いが、下半分はそろそろ地面が見えてるので、雪が茶色い。でも、シャーベット状になった雪なので、りょうま君のスピード制御には丁度良い。

 

ただ、りょうま君は昨日の疲れが残っているようで、5本ほど滑ったら、「お父さん、もう足が疲れた、小屋で少し休んでいい〜?」と聞くので、こちらとしては自由滑走の時間が増えるので、満面の笑顔で「いいよ〜、ゆっくり休んでね〜」と20ドルを渡して、コーラとチップスを買うように言った。

 

それから僕は、早速隣のリフトに移動して、色んなコースを楽しむ。ほんっと、この山のコースは多彩で面白い。山の作りがコロネットとかなり異なっており、場所によっては駐車場よりもリフト乗り場の方が低いところがあるように、コース取りが長い。

 

ある人は「苗場もびっくりの長いコース」と言ってたが、なるほどそんなに長いんだ。ただ、メイントレイルはそれほど斜度もないので、快適に滑れる。また、トレイルの真ん中は茶色いものの、その端っこのコースは十分に白い雪で、ちょっとクラスト状態になっているが、しっかりと踏みつけていけば、ガシガシと滑れて楽しい。

 

1時に休憩を取り、ニュージーランド名物の不味い、無茶苦茶不味いスープとパンを購入。PEAって言う、要するにさやえんどうをスープにしたような、どうしようもない不味いスープだが、20年ぶりなのでもしかしたら?という淡い期待で17ドルを払って注文したが、20年後の今も、やはり不味い。

 

こいつらの味覚は、一体どうなってるんだ?と思いながら、一緒に注文したコーラのみを飲む。りょうま君はすでに先にコーラとフレンチフライを食べて満腹してたので、車から持ってきたDSで遊ばせる。

 

何かこんな事書くと、りょうまがいつもコーラとかフライトか体に悪いものを食べているように見えるが、そんな事はない。実は家にはコーラは置いておらず、彼は週に2〜3回程度しかコーラを飲む機会はない。またチップスも、日頃は食わせてないので、週末のショッピングセンターでKFCに行った時に齧れるくらいだ。

 

DSは、これは彼の生甲斐の一つなので取り上げるわけにはいかない。てゆ〜か、僕もインベーダーゲーム世代なので、彼の気持ちは分かるから、遊んで良い時には遊ばせる。

 

そうこうして、不味い飯とゲームとコーラの時間が終了、2時からりょうまはスキーレッスンに参加。

 

スキーのインストラクターに、「ごめん、彼は少し精神的に問題があってね」と真面目な顔で言うと、キーウィらしき若い男性のインストラクターは、少し目にしわを寄せて、でもあくまでも相手を客と思い、ここでドタキャンされたくないので、無理に作った明るい笑顔で「え?何かスキーで問題あるの?」と聞く。

 

僕はゆっくりした口調で、「そうなんだ、実は彼、スピード狂なんだ、去年も北島のスキー場でリフト待ちの群れに突っ込んで、180cmくらいのキーウィのおじさんをふっ飛ばしてね、それでリフティから、リフト登場禁止にされたんだよね」

 

続けて、「あ、それから、ボーゲンで滑り出すと、自然と重心が後ろに行って、そのうち僕も追いつかないくらい高速で滑り出すんだ、たぶん普通の子供にぶつかれば、軽くふっとばすよ」と言うと、彼は半分笑った顔が凍りついたように、心の中で「この子にどう教えるべきか」って顔で約2秒ほど固まってた。それから頑張ってにこっと笑い、りょうまに向かって「ね、りょうま、スキーはね、谷足から履くんだよ」と教え始めた。

 

それでよし、そう思った僕は、グループに戻り、皆で再スタート。その後、キャプテンズクワッドという、午前中には行かなかったコースに出発。

 

ここから先は書くと長くなるが、トレイルパスには載っているコースを、最高の雪ジャンとか、皆できゃあきゃあ言いながら滑り降りると、途中から雪がなくなってしまってた。

 

どうしようもないので板を外して、きゃあきゃあと叫びながら下ったコースを、はあはあぜえぜえ言いながら30分かけて戻った。ありゃあ、楽しい経験だった。

 

何より良かったのは、メンバー5人全員がポジティブで、コース閉鎖のサインを出さなかったスキー場をどうこう罵りながら山登りするんじゃなくて、「いや、こりゃ山歩きの良い練習だわ」とか、結構笑いながら上っていたことだ。なかなかこういうメンバーに会える事はないな〜。

 

30分ほど歩いて汗だくになり、手袋も半分外してジャケットもチャック全開放ってくらいになって、やっと元のコースに戻る。

 

結局、リフトの最終時間である夕方の4時まで滑り、かなりハングリーに遊ぶ。心地よい疲れを引きずり、小屋に戻ってブーツを脱ぐ。来年もよろしうね。また来るからさ。

 

車に乗り込んだ5+0.5+0.3、つまり大人5名と子供1名、ちっちゃい子供1名のメンバーは、山を下って、最初の途中下車地点であるカドローナホテルに向かう。「向かう」っつか、クイーンズタウンに戻る道の途中にある最初のバーである。

 

1860年代に建築されたカドローナホテルは、今もスキー客の帰りの一杯に利用されている。

 

ホテルを作った当時は、まさか自分のホテルのすぐ裏山がスキー場になるとは思わなかっただろうな、ここのオーナー。

 

それでも、入り口には1900年代初頭のフォードを置いてるこのホテルは、実に瀟洒でアンティックな雰囲気を漂わせている。

 

薪のはぜる暖炉や、木張りの床に合った古いがっしりしたテーブルが、木造の建物に風格を与えている。

 

今から150年近く前というのは、英国から帆船で100日かけてニュージーランドにやってきた英国の開拓者が、道なき道を幌馬車と荷駄馬で移動しながら、途中でカドローナホテルに泊まってた時代だ。

 

移住者。一度も行った事がない国へ、おそらく二度と戻ることもないだろう故郷を背に旅立ち、地図もない南ニュージーランドを旅してきたのだろう。

 

彼らの多くは、一体自分がどこに向かっているかも分からないまま、とにかく明日は今日よりも幸せになると頑なに信じて、クライストチャーチの港からここまで下ってきたのだろう。

 

ある者は、貧しかった故郷を出て、当時ゴールドラッシュに沸いていたダニーデンから、更にその奥のクイーンズタウン、アロータウンを目指してやってきたのだろう。

 

当時のダニーデンの人口は25万人と言われている。金を掘るために、遠くは中国からも多くの金堀がやってきた。

 

そのうちの誰がこのホテルに泊まったのか、当時の宿帳も公開されてないので知る由もないが、多くの無名の人々が、その人生の一こまとしてこの宿、この、僕が今座っている椅子や床を歩いたんだろうな。

 

南島、ダニーデンの名物ビールである「スパイツ」をタップで飲みながら、そんな事を思った。一杯5ドルのハンドルビールが、スキーに疲れた体に、心地よく染みこむ。

 

150年前の開拓者も、同じようにビールで喉を潤したのだろう。ただ、当時は冷凍技術がなかったので常温で飲んだのだろうが、感じる喜びは同じだったろう。

 

ホテルの内庭を走り回る子供を見ながら、結局時代が進化しても、人々が感じる移住の不安、まだ見ぬ土地への希望、移住後の苦しみ、なんてのは何も変わってないなと思い、150年昔の人々を思い起こしながら一時を過ごす。

 

写真はカドローナホテルの正面玄関。ほんとはカドローナホテルって言うらしいが、気分的にはホテルカリフォルニアだったので、ホテルカドローナとした。

 

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tom_eastwind at 22:19│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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