2007年10月14日

もしもニュージーランドで逮捕されたら?

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こんな記事を見つけた。

 

http://blog.goo.ne.jp/6983-kk/e/ab6463a53a5b0dc74611a9f869020988

 

 

無実の罪で刑務所に収監された人が3年後に出所、5年後に他人の犯罪であった事が発覚して冤罪(えんざい)であった事が証明されるのだが、被害者自身が言うように、失われた時間は戻ってこない。

 

事件自体は警察や裁判所の、個人と言う人格に対して何の尊厳も持たない無反省さ、マスコミの偏向報道、最初についた国選弁護人の弁護手段に対して多くの疑問を投げかけている。

 

結局真犯人は連続強姦魔である事が発覚するのだが、この強姦という事件くらい多くの人間のその後の生活に影響を与えるものはない。その罪の重さは殺人事件と同じ程度の罪を与えても良いのではないかと個人的に思っている。

 

つまり、最低でも15年または無期懲役、2件以上やれば死刑である。因果応報というが、やはり社会が納得出来る重さにしなければバランスが取れないと思う。

 

ただ、今日書きたかったのは、このような事件は実は誰に身にも起る事であり、結局警察も裁判所も役に立たない場合は、自分のみは自分で守るしかないという事だ。

 

例えば人は病気にならないように予防接種を受けたり予防医療を受けたりする。また、一旦病気になれば専門の医者に行き高度な治療を受けようとする。

 

病気に対してはそれほど神経質なのだから、自分が巻き込まれるかもしれない犯罪=冤罪についても、同じように最低の心構えはしておく必要がある。

 

ニュージーランドにおいてもこれは同じである。心構えの中で一番大事なのは、「法は正義を追求するものではなく、解決を求めるものである」という事だ。

 

「嘘!」って思う人、官庁関連の書店に行って「GoldenRule」と言う初心者用の法律の本を買ってみると良い。その本の一番最初に書かれているのがこの言葉である。

 

解決と真実は決して同じ方向を示さないことが多い。秩序と法遵守が同じ答にならないのと同じだ。

 

大体において日本人は、自分が悪いことをしていないから安心だというが、これは大間違い。ニュージーランドの裁判所は真実を追究などしないし、また、その法判断も随分と初歩的なミスが多い。

 

要するに、自分たちで作った法律でありながら、裁判の際には結構忘れていて、「まあ、後で訂正すりゃいいや」程度の、キーウィ感覚でやってしまう。

 

だから少しでも裁判沙汰になるようであれば、自分が正しいと思うことを主張して、私は正しいのだから堂々と警察の取調べを受ける等、決してやってはいけない。そして裁判所が正義の味方であるという世迷言を忘れて、どうすれば目前の問題が解決するかを考えるのだ。

 

ある日突然警察がやってきて「お前はxxな事をしたか?」と聞かれれば、答える前にまず相手の身分、所属を確認してメモを取ること。そんな事をすれば相手が反感を持つのではなどと考える必要はない、生き残るのは、あいつか君かの世界で思いやり等は全くの無駄。

 

次にやってもいない事で何かを言われたら、まず最初に、これは任意か強制調査かを聞く。どっちにしても相手が本気なら、最初は任意でもすぐに強制調査になるのだからあまり関係はないが、相手に対して「こっちも本気だよ」と言う姿勢を見せる事が大事なのだ。

 

次に何を聞かれてもYES、NOは言わずに、弁護士に電話をすると言って欲しい。ここは一番大事だ。弁護士のいない場所で何か言えば、これはすべて自供証拠として警察の手に渡ってしまう。

 

殆どの場合、その場で警察に逮捕される事はない。悪くてもパスポートを没収されて、暫くは市内から出るなと言われるくらいだ。この最初の時点できっちりと自分の為に働いてくれる弁護士を見つけて対応させることが最も大事だ。

 

その後裁判所に呼ばれるか警察に呼び出しを食うようになるが、この時は必ず自分で雇った弁護士を、費用が高くても連れて行くべきだ。お金を惜しんではならない。1回あたり1千ドル以上かかるが、それでも連れて行くべきだ。支払いは分割などで受けてくれる弁護士もいる。

 

間違っても裁判所でつく弁護士を使ってはならない。

 

裁判所で付く弁護士は国選弁護人だが、彼らは当番制で裁判所に詰めているだけで、政府から貰える手当も1日で数百ドル程度なので、本当はやりたくない。

 

また、腕の良い弁護士は自分の当番になると同じ事務所の若い連中を代わりに出させるので、結局国選弁護人は素人か若いお兄ちゃん程度になってしまう。

 

そして、国選弁護人の場合、ほぼ100%は裁判の迅速化の為に判事の希望通りに被疑者(=あなた)を操る。

 

「こういう風に話をすれば大丈夫だ」とか「少しは罪を認めた方が相手の心象が良くなる」等うまい事を言うが、大体これは誘導である。

 

弁護士としても高い金も貰えない、会った事もない被疑者の為に一生懸命にするわけがない。それより裁判所に協力することで判事の心象を良くして、「次の機会」の為に恩を売っておくほうが得という事になる。

 

これが裁判所の実態なのだ。

 

日本であれニュージーランドであれ、自分を守るものは自分しかいない。その事をしっかりと認識して対応すべきであろう。

 

写真は正義の女神。目隠しをしているのは、誰に対しても法を平等に適用するという由来らしいが、実際のところは真実に対して目をつぶっていると言うべきだろう。

 

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tom_eastwind at 06:00│Comments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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この記事へのコメント

1. Posted by とある素浪人   2007年10月14日 09:16
冤罪は怖いですね。マスコミは、確たる証拠がなくても、犯人として決まったような報道をしますし。
だいたい、日本の警察は正義の組織ではないですからね。利権を求める巨大な犯罪者集団ですね。ヤクザと違って、しのぎを合法化するのでヤクザよりたちが悪い。強大な権限を持っている組織だからこそ、悪用できないようなシステムが必要なんでしょうね。
あ、自浄作用がないのは警察だけでなく、日本の官はすべてそうか。アメリカは日本よりは自浄作用があると思いますが、NZはどうなんでしょうね?

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