2007年11月06日

Guy(Guido) Fawkes day がやってきた

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住宅オーナーだけでなく普通に生活してる人までもが、いつ自宅が焼けるかとどきどきする週だ。

 

NZでは普段は花火は禁止されているが、ガイフォークスデイの間の一週間だけは花火が認められて、日頃花火を使ったことがない、そして何でも大雑把でルーズな、酔っ払ったキーウィの若者の手に花火が渡れば、水平撃ちなど当たり前、夜になるとあちこちでパンパンやり始める。

 

すでに先週末からけが人が続出しており、家から車で5分ほど離れた一般民家が、日曜の朝、半分焦げてた。

 

キチガイに刃物ってか、小沢に連立ってか、いずれにしても危ない奴に危ない飛び道具を持たせて、毎年火事やけが人を出して、それでも毎年認可を出す政府も、かなり楽天的と言うべきか。

 

まあ、花火の事はどうせいろんな人が書くだろうからそちらに任せるとして、同じ日曜の記事で、アフガニスタンで負傷したキーウィ兵士、一時的にNZに戻るという内容があった。

 

こっちのほうが同じ火遊びでもずっと実戦的なので取り上げる。

 

事件自体は大した事はない。米軍のハムヴィーに同乗していた二人のキーウィ兵士が、謝って発射された弾丸で怪我をしただけの事だ。それでも大事をとって、医者の薦めもあり、一旦NZに戻ってくるとの事。

 

え?キーウィ兵士がアフガニスタンにいるの?と思う方もいるだろう。

 

実はいるのだ。

 

他にも東ティモールとかアフリカとか、国際紛争が行われている地域には、国連の依頼を受けて兵士を派遣している。

 

陸海空三軍を合わせても1万人足らずのニュージーランド軍だ。羊しかいない南太平洋の小島に攻めて来るような物好きもいないだろうと、攻撃用の空軍は持っておらず、海軍が持つフリゲート艦は主に遠洋航海と表敬訪問を目的としており、実際に戦地に行くのは陸軍である。

 

日本の感覚では戦争=悪いというイメージがあるから、平和なNZが戦争すんのか?と不思議に思うだろうが、実はこの国、1899年に始まったボーア戦争以来、大きな戦争には必ず顔を出している。そしてそれは、この国の誇りなのである。

 

1899年  ボーア戦争 死者228名 負傷者166名

1914年  第一次世界大戦 死者16,697名 負傷者41,317名

1939年  第二次世界大戦 死者6,839名 負傷者16,543名

1950年  朝鮮戦争 死者45名 負傷者79名

1956年  マラヤ戦争 死者15名 負傷者9名

1965年  ベトナム戦争 死者37名 負傷者187名

1991年  第一次イラク戦争(湾岸戦争) 死者1名

        ユーゴスラビア紛争  死者1名

        東ティモール紛争 死者5名 負傷者0名

 

キーウィソルジャー2

 

特に第一次世界大戦では、当時の人口100万人に対して10万人の若者を送り込み、1万6千697人が戦死、4万1千317人が負傷した。多くの戦争未亡人と、結婚出来ない女性が増加した時代である。

 

最も被害の大きかった戦闘が、ガリポリの戦いである。この戦いだけでNZ軍は2,701名の死者と4,852名の負傷者を出し、豪州軍は戦死が8,709人、負傷者は19,441人という大きな損害を出した。その為に制定された戦争記念日が、ガリポリの日である。

 

負け戦が戦争記念日ってのも皮肉が利いてて面白いが、ガリポリの戦いでカナダ、フランスなどの兵隊がひるむ中、オーストラリアニュージーランド連合軍(ANZAC軍)が突進して、この戦場だけで数千人の死者を出したのだから、その勇気は大したものだと思う。

 

第二次世界大戦では、キーウィ兵士は欧州で戦った為に日本軍と直接の組織戦闘が発生せず、豪州のような反日感情が生まれなかったのは、日本にとって幸運であったと言えよう。

 

ベトナム戦争では、戦いの大義に疑問を持ったNZ軍は途中から大幅に兵を引き揚げ、1972年に南ベトナムから全員が撤退した。

 

同時に、非核三原則を貫いている国なので、1985年の米海軍の核搭載艦の入国禁止を実行して、それ以降10年ほど米国との国交に大きな壁を作った事でも知られている。

2003年には母国イギリスやオーストラリア、アメリカに対しても、国連の承認がないことを理由に、イラク侵攻への援軍を拒否した。

要するに、義のある戦いなら死すとも問わず、しかし筋の通らない話なら相手が大国であろうと断固拒否するってことだ。

NZはちっちゃいけど、筋は通すし、意地を張るだけの度胸もあるってのが、歴史的に評価したキーウィ兵士だと言える。逃げ回って生き残るような真似はしてない。

まあ、先を読む力がないと言えばそれまでで、こんな事を褒めても仕方ないが、少なくとも沖縄に核を持ち込ませて非核三原則という国とは、随分対応が違う。

 

あ、そういえば日本でも江戸時代末期の会津藩では、「義を持って死ぬとも、不義を持って生きず」と言う家訓があった。

 

結局その家訓の為に若き松平容保は京都守護職につき、長州、次いで薩摩と戦い、それが為に後日は官軍によって徹底的に攻撃され、会津戦争では白虎隊の悲劇等を生んだ。

 

キーウィが会津藩より強いかどうかは知らないが、今までの実績ベースで言えば、よく戦っていると思う。

 

今回のアフガニスタンでも、戦争が終了した後に行う国連による国際貢献の一貫として参加しているのがNZの立場である。

 

田舎くさい、平和な国ではあるが、殆どの日本人の見えない場面で、キーウィが誇りを持って戦いに出かけているという事は、頭の片隅に置いててもらえばと思う。

 

花火やってるあふぉキーウィも、いざとなれば国家の為に銃を持って立つ勇気があるのだ・・・ろう。

 

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tom_eastwind at 00:20│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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