2007年11月09日
分裂にっぽん
去年当社に取材に来た朝日新聞社が、新聞で連載した記事を単行本にして発行した。
「分裂にっぽん」中流層はどこへ
データをしっかり取っており、社会の底辺や上辺で起こっている現実的な問題を一つづつ取り上げている。
勿論朝日だから小泉否定、左翼的意見にはなるだろうが、ただ、一次資料は非常に面白く、よく取材できてるなと思った。
データをどう読むかという部分においては記者の立場によって違いも出るが、一次資料を素直に出してくれれば、読者が自己判断できる。読者が判断出来る余地がある書き方なので、これはある意味公平かなと思う。
読み進むうちに、「あれ?これって、うちのお客さんのデータだな」と思う箇所が二つある。そう言えばこのお二方、記者に紹介したもんな。
日本という国は、1980年代までは一億層中流、誰でも皆平等な国造りに成功した、世界でもまれに見る国家である。
当時、朝日新聞は、その政権に対して、金権政治、癒着などと紙面を割いて攻撃してたが、今は当時の日本が良かった、あの時代に戻れと言ってるので、随分趣旨が一貫してないなと思うが、まあそれはメディアの得意技。
現在ある政権への批判がメディアの仕事であると言われれば、何もいう事はないが、そのメディアを批判する機関って、どこなんだろ。
ただ、日本が、そして世界が二極化しているのは間違いない。その為のデータとしては非常に興味深い取り上げ方をしている。
日本から中流層が消えた。事実だ。
日本が二分化した。これも、事実だ。
じゃあその状態を是認するのか否認するのか?
ここらあたりから朝日らしく、否認の方向、つまり、皆平等って事にもっていこうとしているのだが、その平等が、機会の平等なのか結果の平等なのかを突き詰めてないのが面白い。
本気でそこを突き詰めれば、朝日自身が「分裂」するだろう。機会の平等を認めながら結果の平等を認めてしまえば、では自社(朝日新聞)の給与体系は他社と比較してどうなのか?
ハイヤーで取材しながら年収1千万円以上を取る記者が、北九州の貧しい公団住宅で、失業保険も貰えずに「おにぎり食べたい」と言いながら餓死した弱者に向かって結果の平等を訴えることの合理性はあるのか?
もし結果の平等を認めなければ、つまり格差を是認するのなら、一体どこまで是認するのか?そこに社会資本主義があるのだ。つまり、ある程度の格差は認めるけど、程ほどにねって言う観念。
この、「程ほど」ってのが、実に曖昧だけど、日本人大衆が肌感覚で理解出来るものであり、理屈ではない。
むしろ読売の方が割り切っているから答は簡単だ。
分裂したにっぽんは、今後は機会と結果の平等の、どちらを選ぶのか?それとも両方を受け入れるのか?
政治の仕事が主権者である国民の所得の公平な、納得できる再配分であるという事さえしっかり理解出来れば、答はそれほど難しくはないのだが。
てか、答は二つで、それを理解するのは簡単だが、どっちを選択するかってなった瞬間に、すべての国民が主権者になるんだよね。その重みに、主権者は耐えられるのか?
選択した瞬間に自己責任が発生して、もう12歳の子供ではいられなくなる。ぬるま湯から出る勇気はあるのか?
騙されたままでいるほうが、楽って事もある。自民党は国民を騙したままで50年近くに本を運営してきた。ほぼ二世代だ。功罪はあるにしても、自民党が全国総中流を作って、人々を幸せにしたのは間違いない。
この本は会社に置いておこう。
あ、そうそう、肝心のNZの事を書かなかった。この本で起きて日本の現象は、NZでは1984年に経験した。
その時デイビッド・ロンギ首相とロジャー・ダグラス財務省が率いる労働党が自由市場化政策を導入して、この国は官僚主義から自由市場経済に切り替わり、同時に個人責任を導入することで乗り切って、現在までの13年連続国家財政黒字を作った。
NZで幸運だった事は、この国の官僚は変なしがらみがなく、政治家は、国家よりも国民の側に立って政策を実行できたって事だ。
何か、毎回まとまりのない文章ですみません。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
ITなどの、新規事業ならともかく、長い歴史のある給料体系を維持している企業では、完全な能力給は導入できないので、結局みんな生涯収入は減っちゃうんでしょうね。