2007年11月12日

十三

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週末は大阪。前回たまたま大阪で話を聞いた「十三(じゅうそう)」と言う街に飲みに出る。

 

JR大阪駅から西にタクシーで15分のところにある街だ。淀川のほとり?と言えばよいのか、いずれにしても大阪と神戸の2大都市に挟まれた街だが、タクシーから降りた瞬間、「うわ〜!昭和だね、ここ」

 

ねぎ焼きとか、ねぎ嫌いの僕には信じられないメニューが人気のお店があるのも、この街だ。まあそれは良いのだが、とにかく言葉で表せないような、かなり風俗の乱れたお店が立ち並び、「xx〜!」なんて言葉を大声で、道行く客にかけている客引きのお兄ちゃんたち。

 

普通の住宅マンションの隣に、超短時間滞在用の、無人チェックインが出来るプチホテルが立ち並んでいるのも、それも半端な数ではなく並んでいるのを、これで子供の通学路なんだから、風紀の問題はどうなるの?と、マジで引いた。

 

それも、駅前でっせ、駅前!そんなお店が、十三の駅前を出たら、アーケード状態でびっしりと並んでいるんだから、初めてこの街を訪れた人は、欣喜雀躍して飛び跳ねるか、そのまま電車に乗って大阪に引き返すだろうって感じ。

 

アーケード街の中でも比較的まともなビルの1階の奥にあるバーを訪れる。以前場所を紹介してもらったお店で、行くのは初めてだが、古臭いけど常連ばかりのお店と聞かされていた。

 

カラオケがなかった時代に作られたそのバーは、古い杉板を使ったシックなムードだ。天井からぶら下がるランプも、味のある落ち着いたオレンジブラウンだ。

 

そのシックな壁に、後の時代になって出来たカラオケを無理やり押し込んだようなアンバランスさが、また面白い。

 

ママさんとスタッフ2名でやってるちっちゃなお店は、カウンターが15席あるのみで、ボックスはない。

 

僕が入ったのは比較的早い時間らしく(夜7時30分)、楽しそうに酔っ払って演歌を歌ってる賑やかな中年のお客が二人いただけだった。

 

一人は小柄で、ぴったりとした紺色のスーツにネクタイ、胡麻塩頭という典型的なサラリーマン。もう一人は真っ黒なセーターとジャンパーで統一した、ちょいと自営業っぽいおじちゃん。

 

しかし、場所柄かな、この人たち、濃い!

 

あべひろしもびっくりの、べた=ってしてて、こてこてしてて、うわ!昭和ですか、ここは!?この人たちが平成にスリップしてきたのか、僕が昭和にスリップしたのか、とにかく体から出てるオーラが、昭和なのだ。

 

彼らの中では、昭和の時代から何も変わっていないのだなと思った。高度成長が続いた後にバブルが起こり、それが破裂して、失った15年を過ぎてしまった今でも、彼らの脳内は昭和なのだ。

 

確かにバブルが弾けたからと言っても、金融に直接関わってなければあまり実感はないだろう。

 

十三の場末のバーで飲んでるおっちゃんからすれば、いつもと同じ一日が始まって、一生懸命仕事をして、終わったらこの店に来て、いつもの仲間と飲んで騒いで、後は帰って寝るだけなのだろう。

 

時代と言う大きな波は、彼らの頭上遥か高いところを流れていくが、海底に藤壺のように張り付いて生きる彼らは、何も感じないし変わらないのだ。

 

どう説明していいのか、大阪以外の地域で生まれた人には説明しづらく、まあ見てくださいとしか言いようがなく、大阪の人になら「ああ、はいはい、分かりまっせ」となるのだろう。

 

夜の9時を過ぎる頃には、15席のカウンターはすでに満席で、あとから来る客を次々と断るほどの繁盛だ。ただ、来る人来る人皆常連で、適当にほろ酔い状態で、にこにこしながら入ってくる。いかにも自分の家に帰ってきたよ〜、ママ、俺の席どこ〜?って感じ。

 

そこでカウンター全てが満席なのを見ると、これまたにこってして、「じゃあ後で来るからね〜」と言って、すぐに立ち去ろうとする。このあたり、大阪人の人懐っこさが顔に出てる。おっちゃん達、基本的には良い人ばっかりなんだろうね。

 

ママはカウンターの飲み具合を見ながら、立ち去ろうとするお客に声をかけて、人質=カバンとかジャケットを預かっておこうとする。ほう、やるじゃん。

 

それにしても次から次へとお客さんが来るのだが、どれもほぼ同じ昭和タイプなのには、正直驚いた。

 

気づくと時計の針はもう日曜日、12時を回ってた。今日、てか昨日は土曜日だよね、普通のサラリーマンなら会社もお休みだし、東京の六本木だったらどこの店も営業してないよ。それなのにこの街では、まるで金曜日の夜のように人々が猥雑な街頭を歩き回っている。

 

そういえば昭和の時代は、週休二日制ではなかった時代がずっと続いてた。

 

日本に本格的な週休二日制が導入されたのは昭和45年頃、つまり1970年頃からである。

 

業種によって大きな差があるけど、あの頃は日本の労働組合が春闘という方式で、各産業別組合が、それぞれの産業の体力に応じながら、「せ〜の、どん!」で会社に対して賃上げと週休二日制を要求したのだった。

 

昭和63年に労働基準法が改正されて、組合のある会社はどんどん週休二日制を導入するようになった。

 

週休二日制ってのは、基本的に労働時間の短縮である。だから略して「時短」と言う。

 

週の労働時間を40時間として、土日を休みとする。40時間以上働けば残業手当がつき、基本給の25%増しとなる。

 

これと同時に賃上げを行ったのだから、経営者側からすれば実質的にかなりの賃上げであった。それでも日本の企業は利益を出し続けて海外進出を続けた。

 

週休二日制の導入以降、花の金曜日、略して「花金」と呼ばれる金曜日の夜が飲み屋が一番繁盛するようになる。

 

ところがそのような世間の繁栄を裏に、大阪ではあいりん(釜ケ埼)地区、つまり日雇い労働者、路上生活者などが生活をする地区がある。日本最大のスラムとしても有名だった。

 

このような街では、土曜も日曜もない。毎朝やってくる手配師の乗りつけたトラックに乗り込まなければ、今日の仕事はないのだ。仕事がなければ焼酎も飲めない。だから働けるときに働く。仕事が終わったら、近くの一杯飲み屋で焼酎を引っ掛けて、近くの木賃宿に転がり込むだけだ。

 

この地区ではいわゆる西成暴動と呼ばれる事件が23回も起こっている。一番最近の暴動は1992年である。平成2年、1990年の暴動の際は、10月2日からおよそ5日間続き、南霞町駅が炎上した。

 

そのような未組織労働者がたくさん存在する地域では、当然全体的な労働条件が下がる。木材、衣服、なめし皮、繊維、運輸、窯業、家具、食料品などの業種では、1992年頃も週休二日制を導入しているのは20%程度だった。

 

時代が変わろうとも、彼らの生活パターンはそれほど変化しない。土曜日も働いて、夜はお酒を飲むのだ。

 

、6千5百円のボトル「竹鶴」を入れてもらい、こんな日本もあるんだな〜と思いながら、バーの端っこからおっちゃんたちを眺める夜。この日はアウェイなので、酔わずにホテルに戻りました。

 

お店の良い写真が撮れたのだが、何故かケータイが使えなくなって、PCにデータを飛ばせない。仕方ないので他の写真を使う。

 

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tom_eastwind at 00:19│Comments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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この記事へのコメント

1. Posted by May   2007年11月12日 18:48
はいはい、分かりまっせ〜。京橋のJRガード下も少し似てる。回転寿司は干からびていて仕事の後でも食欲を失わさせるのに十分である。おまけに、私に向かって「酒ですか、ビールですか?」と兄ちゃんが聞く。(やっぱ日雇いに見えるか) 今日行った倉庫、名前がxxxxxおばちゃんたちの発音からして「流し台」だと思っていたら違った。昼休みには人の悪口で盛り上がる。ここ日本にも時代に取り残された?場所がまだまだありまっせ〜。

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