2007年11月24日

本棚 ナツコ

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本棚

 

会社の棚には、現在大体300冊程度の本がある。

 

「ニュージーランド殖民の歴史」とか「ニュージーランドの市民と政治」とか「ルソー」、「旧約聖書」から、「ゴルゴ13」、「ポーの一族」まで、色々と取り揃えている。

 

ただ、最近その中に、僕の趣味でない本も少しづつだが増えはじめている。

 

どうも、誰かが読んだ本を寄付してくれてるみたいなのだが、流れが僕と違うので、一緒に置いておくと、何か安定感がない。

 

てか、知らない人がこの本棚を見て、僕の性格を勘違いされてもな〜と思ったりするのだ。

 

例えば「影丸極道帖」とか「海岸列車」とか。作者で言えば赤川次郎とか。どう違うのか説明しずらいが、感性がどこか違う。「赤川次郎詠んでるんですか、私も好きなんですよ」と言われると、嫌なのだ。

 

要するに、ゴルゴ13を見て「うえ〜、漫画じゃん、バッカみたい〜」と言われても気にしない。ゴルゴ13は立派な文学であると思えるが、赤川次郎は僕にとっては何の役にも立たないばかりでなく、本の存在意義が不明であり、世間を欺いてあふぉ化させた作者の一人だと思っているからだ。

 

そんなあふぉな作家を「好きなんですか?」と聞かれても困るので、「その系」の本は、本棚の下の方に固めておいてある。

 

ところが、色んな人が読んだ後に、適当に空いてる場所に本を返すので、どうしてもばらけてしまう。なので、大体2~3日に1回は本棚を整理するようにしている。

 

その棚の新刊の欄(要するに棚の一番上の欄、目線の高さにある)に今回の出張で加わった一冊は、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」である。

 

昨日の葉桜も非常に面白かったが、「ナツコ」も、違った意味で面白かった。戦後沖縄の復興の影に、こんな裏の歴史があったとは。

 

本にしなければ歴史の彼方に消えてしまう。そういう人物は多い。特に反体制側の人物は、なかなか本になりにくくて、代表的なのが坂本竜馬だろう。

 

司馬遼太郎が本にするまで、歴史の中で埋もれて忘れられていた人物だ。今は日本人なら誰でも知っているが、大正時代や昭和初期には、誰も知らなかった人物だ。

 

この「ナツコ」も、当時の存在はとても大きかったが、一度過去に流されてしまうと、人々の記憶から薄れてしまい、何も残らなくなる、そんな人物だ。

 

敗戦と沖縄返還までの間の、失われた歴史。そういう視点で見ても、単なる海洋冒険小説としても、ある力強く生きた女性の記録としても、どの視点から切り取っても面白い作品だった。

 

「ナツコ」を詠みながら思った、やっぱり、やる前から不可能だよ~なんて言ってるようじゃ駄目だ。やってやってやり抜いて、最後は天の運に任せきって、ど〜んと構える。本当の成功は、その先にしかないって。

 

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tom_eastwind at 00:33│Comments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

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