2007年12月18日

The enemy’s enemy is a friends

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なんか先週の週末はいろいろあったな。なのでちょっと時間は前後するが、りょうま君とアルバニーショッピングセンターに行ったのが先週土曜日の昼。

 

ショットガンと狙撃銃と短銃身マシンガンを2ドルショップで購入。

 

 

合計金額は9ドルだ。どれほどプラスチックのおもちゃとは言え、ちゃんとゴムの矢も飛ぶし、マシンガンの音もするのに、一個300円ですかい?

 

 

ちょうど同じくショッピングセンターに来てた、現在はハミルトンに住む元EWの社員たちとコーヒーを飲みながら、「男ってバカね〜」と笑われる。

 

 

マシンガン

そりゃそうだ、りょうまくんは喫茶店でいきなりマシンガンを持ち出して、あちこち撃ちまくっているのだから。

 

←がマシンガン。

 

 

 

 

 

 

 

ショットガン

その後、ショットガンを撃ちまくるガンマン少年に「人に向けるな音を立てるな」だけ注意しながら、元社員たちと最近の生活の話をする。←がショットガン

 

 

 

 

いやいや、週末のショッピングセンターでこんなゆっくりコーヒー飲むなんて、しばらくぶりだ。いつもなら、目的とするものをさっさと買って、余所見もせずに自宅へ帰るだけなのだ。

 

 

その後、ニューワールドで今晩の食事の材料を買い込む。いやいや、ここのニューワールドは随分品揃えが違うな。シティのニューワールドも結構上等な品揃えだが、ここの方がもっと上だ。

 

ハミルトンから来た人も、アルバニーの発展ぶりにびっくりしていたようだ。

 

街の色が変わるのは早い。たった2年で全然街の様子が変わり、人の流れが変わり、そして商品が変わる。

 

シドニーほどではないが、オークランドも段々都会化している。その悪い意味での証拠が、クラクションだ。

 

以前はシティでもクラクションを鳴らす人などいなかった。ところが今では、交差点で青信号で止まっていたら、普通にクラクションを鳴らされる。昔はそんな事はなかったけどな。

 

良い意味での証拠は、このアルバニーだろう。高速道路網が広がり、住宅が増えて、これならノースショアから橋を渡ってシティに出てくる必要がないくらい整備されている。実際、週末にシティに出てくる理由もないくらいだ。

 

人々が上品である。常に唇に笑顔を浮かべて、機会があれば笑おうとしている。健康診断するよりも笑う機会を増やすほうが正解かもね。

 

友達の子供は3歳だが、機関車トーマスがdaisukiで、自分の家でもおもちゃの車の中に寝ている。りょうま君と言えば、野戦用のテントの中で毎日ライフルとkatanaを持って眠っている。DNAの問題だろう。

 

楽しい買い物が終わると、今日は早めに自宅に引き揚げて、5日ぶりのお風呂に入る。シャワーは毎日浴びてたが、やっぱりお風呂のほうが疲れが取れてよい。キーウィには、この喜びは理解出来ないだろうな。

 

夜はハウスバーモントカレー中辛を食いながら(家では鳥手羽と豚肉を使う)、大型スクリーンで映画上映会だ。

 

Snake on the Plane ,

 

Alien VS Predator ,

 

Tomb Raider

 

と、日頃女性陣がいる時は観られない映画を、昼間買ったショットガンでお互いにバンバン撃ち合いながら楽しむ。

 

銃があるから撃つんでしょと言われても、男の仕事は戦いですから、その日のための訓練は欠かせません。こっちがどんなに平和主義を貫こうと、相手が銃を持ってれば戦うしかないのだ。

 

平和を愛するから武器を持たないなんて理論は通じません。人は、その気になったら家庭用の包丁で旦那を刺せるし、指を使って人を絞め殺せる。つまり、人間が手にするものの殆どは武器または武器に転用出来るものなのです。

 

だから、相手がその武器を使用した時に、こちらが自分の身体を守るのは、相手よりも強力な武器を持って、相手が戦う気を起こさせないことです。

 

もし相手がナイフならこちらは刀を、相手がkatanaならこちらはGunを、相手がGunならこちらは自動小銃、そうやって武器が進化してきて、現在はミサイルから原爆まで開発された。しかしこれは、作ってみて、実際に使える武器じゃないという事は誰しも分かっている。

 

ただ、国家として抑制が効いてれば使える武器じゃないと分かっているけど、相手が持っている限りこちらも手放すことは出来ない。

 

こっちが武器を捨てれば相手が捨てるなんて甘い話は、ロマンス小説の中だけだ。

 

そうなるとこれが夫婦喧嘩ならまだしも、相手はわけのわからん国家、それが隣人として住んでる場合、今回の佐世保の射撃事件じゃないけど、キチガイを相手にするのだから、相手がこっちに攻めこみたくなるような武器を持たせてはいけない。または攻めて来た時に防衛できるだけの備えが必要だ。

 

そうは言っても、相手の国が勝手にやることだから、武器を持つなとはいえない。今回だってそうだった。個人の自由になってしまってる。

 

僕は個人的には、銃の個人所持は認めるべきではないと思う。猟銃も含めて、銃は専門の機関によって管理されるべきだ。ただ、国家の場合は武装すべきだと思う。

 

「武器があるから使ってしまうんでしょ」なんて理屈は個人間の話であって、国家間では通らない。まあ、この理屈は世界の歴史、特に戦争の歴史をきちんと学ばない限り、理解は難しいかもしれません。

 

いずれにしても人間に欲望と衝動がある限り、防衛は国家運営の要になるのだ。

 

だからまあ、平和の構築と外交交渉は女性に任せて、男性は毎日戦いの訓練です。こちらが武器を使って相手の国に攻め入ろうと言ってるのではなく、あくまでも防衛の為の武器です。

 

エイリアン対プレデターで、敵の敵は味方と言うせりふが出てくる。秀逸な哲学だし、その通り。最初に言い始めたのが誰か知らないが、中国では紀元前から知られていた戦争のルールの一つである。

 

国家の基本は国民の生命と財産の保全であり、その為に外国からの防衛の基本は外交=話し合いだ。その時に上記の理論が生きてくる。

 

例えばちっちゃな国が弱い軍隊しか持たずに隣国から攻め込まれそうになれば、その時は隣国を敵視する国を見つけて、そこと共同で戦えばよい。

 

そして誰もが、腹の中ではナニを考えているにせよ、やはり他人にけなされたくない。だから侵略戦争であっても「大義」を持とうとする。前回のイラク戦争で米国が取った手法だ。

 

しかし、結果的にイラク戦争は大義なき侵略戦争だという事が暴露され、米国に付き合った英国、豪州は恥をかかされた格好だ。逆に、国連決議を守って参戦しなかったニュージーランドは「や〜い、豪州の、ば〜か!」って言える。

 

まあ、こんな戦争論の基本など書く必要はない。

 

てか、クラウゼウィッツと、彼を解説、分析した本を読めば、近代の戦争の事はすべて分かる。戦争の根源を知りたければ、中国の古典を読めばよい。孫子などが最もよいのではないか。

 

そんな理屈は横に置いておいて、男の仕事は、必要な時に外に出て戦うことだ。それだけ分かっていればよいと思う今日この頃。昨日銃剣を手にしたからこんな事考えてんのか?

 

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tom_eastwind at 00:00│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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