2008年01月31日

[天国と地獄] 対 [未来予知ノート]

fa85c853.jpg

 

 

写真は博多中洲に流れる川の写真。夕暮れ、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

出張中の移動の飛行機の中で、大体2時間くらいで浅井隆氏の「天国と地獄」読了。

 

天国と地獄―2010年から史上空前の世界経済大変動がやってくる

 

小学生の頃から本の虫だった僕は、まず単行本を手に取って適当に開き、文字のサイズと縦書きの行間を見た瞬間に、大体その本の流れが見える。

 

行間が広くて文字が大きいのは、初心者向けに書いたものが殆どである。まずは誰でも読めるように文字のフォントとサイズをいじる、次に行間を広げることでページ数を稼げるので、買うほうからすれば何となくお得感があるのだ。

 

反対の例を見れば分かる。岩波書店の戦後初期の本などは、文字さえ戦前のフォント、サイズはワードで言う9ポイントくらいだから、よほど文字好きで明るい太陽の下で読まなければ、到底読了不可能な作りだ。

 

それでも昔は、そういう本を本屋が読者に強制できた。資源のない時代だ。ちっちゃな紙に出来る限りたくさんの文字を詰め込もうという発想。そしてそれを受け入れる、知識に渇望していた人々。

 

日刊新聞社も昭和の中期までは文字が小さかった。

 

それが1980年代頃からかな、新聞も「読まれるために」段々と文字を大きくして行間を広げて、写真を多用して、読みやすさを図った。

 

ただそれが、内容は良いのだが体裁が悪くて読まれない読者層を呼び戻す手法としてではなく、本屋が売りやすい本を作るための手段と大きく変化したのは、角川以降か?

 

それでも角川の時代は、本と映画が融合して楽しかった。楽しくなくなったのはその後、角川が逮捕されて、出版社がどれもこれも貞操観念なくして方向性が見えなくなった頃だ。

 

最近では幻灯舎が好きだ。あそこ、ゲーテと言う男性向け雑誌で最近「ミシュラン批判」をしていると聞いた。他にも、「お、これは」と思う本を見ると、幻灯舎が目立つ。

 

 GOETHE (ゲーテ) 2008年 03月号 [雑誌]

 

 

プロの世界でどう評価を受けているか知らないが、本好きの僕としては、幻灯舎の棚は見逃せない。

 

さてその中で「天国と地獄」。264ページなら普段皆さんがカバンの中に入れる標準サイズの文庫本と同じくらいのページ数だ。

 

でもって、内容を細かい事をいちいち取り上げなくても、それは他の方がじゃんじゃんやっているので、僕の感想のみ。

 

こりゃ予言の書だ。テレビにでるおばさんとかおじさんが「あんたの死んだ家族はね〜」とやってるのとほぼ同じ。

 

ただ、それを説明する肉付けが実にうまい。どこかにゴーストライターがいるのかどうか、本人と話したことがないので何とも言い様がないが、今回の文章の全体の流し方は良く出来てる。

 

日経が書評で取り上げるだけの事はある。これなら、以前に読んだ「日本が駄目ならNZがあるさ」のぐちゃぐちゃさは、一体ナンなのだ?

 

「男子三日会わざらば活目してみよ」って事なのか、今回はきちんと代役が頑張りましたって事なのか、ちゃんと世界情勢をベースにして日本人がどう考えるべきかを描いてる。

 

ただ、このような話を学者的に説明するには、あまりにも多くの事例を取り入れており、環境問題から世界経済、日本政府の動向までを、基となるデータの挿入をせずにこんなに薄く広く書くなら、こりゃ小説だ。

 

そして困ったことに、彼が予測のベースとして使っている様々なデータは、まだどれも科学の裏づけがなく、もっと言えば科学自体がまだ全然世の中の現象を解明出来てないので、結局こりゃ占い本として扱ったほうが分かりやすい。

 

てか、最初に書いたとおり、小説というよりも未来予知ノートって感じなのだ。書いてることは一つ一つ良く分かる。ただ、「その結果としてxx年にこうなるよ」と言う時間限定の結論への飛びつきに蓋然性も必然性も見えない。

 

2010年に世界は大不況になる。以前は2007年と書いたが、それはたまたま景気が良くてずれてるだけだ」

 

そんな話が通用するなら、学者は苦労しない。景気予測を立てるからには、一旦出した予想が外れれば、時期を2007年と区切って予想している限り、そりゃ外れくじ。

 

ずれてるなんて言い訳が通るなら、女を好きになって「あなたは今年私を好きになるでしょう」と女にも、更に自分の友達にも言っといて、それでも彼女が今年振り返ってくれなくて、周囲に「ぶあ〜か!」と言われて、「ふざけんな、俺の予測は間違ってね〜、たまたま今年は彼女がついててさ〜」なんて言い訳しているようなものだ。

 

 

だから、最初から「僕のは予知です。外れることもあります。外れたほうが世の中が幸せになるから、その方が良いのです」と穏やかに語ってる「未来予知ノート」の予知能力者ジュセリーノのほうが、よほどすっきりしている。

 

 ジュセリーノ未来予知ノート

 

ジュセリーノの予言は、90%近くが当たっている。彼の予言の特徴は、時間を限定して、「xx年にこんな事がxxxで起こります」とか「xx年xx月にxxxさんが死にます」とかまで、かなり時間を限定しているのが特徴なのだ。有名な例では911テロを数年前から日時を指定して警告していたとか、スマトラ沖の地震を予知していた、などだ。

 

浅井隆氏とジュセリーノの一致している点が一つ。2010年に世界が大不況に陥ると言うことだ。その時に向かってどう資産防衛をするかと浅井氏は説き、ジュセリーノはそうならないように皆が心を清くすべきだと言う。

 

ただ、心を清くなんて実際問題では無理なので、こりゃ仕方ない、浅井氏の講義に耳を傾けるしかないとなる。

 

ただ、この2冊を読んだ感想とすれば、浅井氏のよりもジュセリーノの方が、日本にしゅっちゅう出張に行く僕としては影響が大きい。

 

人間がやることならどうにかなるが、自然相手では勝ち目がない。大震災の起こる時は、そこにいないようにする事、それしかない。

 

でもって今年最初の震災が、215~28日の川崎で震度6.3だ。この時僕は日本だから、ひっかかる可能性ありだな。

 

実は911テロの時も、事件を成田のホテルで見て、翌日朝のキャセイ航空に運よく乗れたが、その数十分後の運行便はすべて欠航になった記憶がある。

 

一瞬の差でも、海外に逃げておけば難を逃れることが出来る。

 

次が4月または514日の千葉で震度6.7だ。

 

86日には東京で6.5だ。これなら何とか耐えられる。

 

問題はその次で、913日の震度8.6だ。3万人が被災して600人以上の死者。その後に行っても、暫くは商売にならんな。ただ、これは中国で起こるかもしれないと言ってる。中国なら防災体制が整ってないので、死者は100万人を超すだろうと予知している。

 

2009年以降も地震が続き、その中には関西方面での、95年の地震を上回る大災害、そして主と直下型の地震みたいなのも予知されている。

 

こうなると、移住の営業とか説明会どころではない、早いとこ災害に備えて、日本の地震の影響がNZにどう影響を与えるのか、その予測をやっておくほうが最優先である。

 

浅井氏の本が人災だとすれば、ジュセリーノ氏の本は天の災害を描いている。どちらに共通しているのも、現在の科学では完全に証明出来ない「何か」によって導かれたものだと言うことだ。

 

実際に両方の本を読み比べて見れば、読者が良く理解出来るだろう。

 

片方は、9歳の時に宇宙から降ってきた「何か」に触れることで未来予知が出来るようになり、もう片方は、最初は夢を持ってあっちこっちで写真を撮ってる最中に「世の中の現実」に触れて「こんなんじゃ一生カネにならん」と将来が見えるようになったのだろう。

 

ただ、両方とも、一読の価値はある。

 

浅井氏の作品は、今まで惰眠を貪っていた人からすれば、十分に驚愕の書である。

 

ジュセリーノ氏の作品は、長いこと地震観測をやってきた学者にとって、遂に自分の限界を感じさせた驚愕の書かもしれない。学者よさようなら、予知能力者よ、こんにちは。

 

 

人気ブログランキングへ



tom_eastwind at 00:11│Comments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔