2008年03月16日

ニセコアンヌプリ 朝食会場にて

ニセコスキー場 

翌朝は軽い二日酔い。

 

あやちゃん来る前にメシ食わなくちゃとか、最近飲み過ぎかも〜とか思いながら、朝食会場に向かう。

 

「朝食のレストラン」ではなく、「朝食会場」ってのが良いよね。

 

 

何だか、15年くらい前にヤオハンツアーで北京の人民大会堂で数百人が集まって大宴会をやった時のような、言葉と現実の場違いさに、その町の人々の感覚と僕の感覚のずれを感じて、そのずれが物差しになるので、距離感がつかめる。

 

そういえば、「かにかま」の事を思い出した。北京の人民大会堂で最初に出た前菜に、何と「かにかま」が出てたのだ。「お^−、こういう風に味付けして食うのか、おもしろいな〜」と感じた。

 

中国の人々にとっては、「かにかま」は「かに」ではないとわかった上で、魚のすり身料理の一つとして重宝しているのだ。ところがそれから数週間して、日本のある新聞がこの問題を取り上げた。

 

「本場の中華料理といいながら、かにかまのような誤魔化しな食い物を出すとは何事か!」と言う趣旨である。

 

それはそれで言いたいことは分かるのだが、その視点、違うんだよね。それ、日本人だけが持つ、「凝ったこだわり」であり、そんな事、世界ではあんまり考えてないんだよよね。日本人の持つ、作る側の視点が、実は経済の観点から見ると、とても多くの無駄を産んでいるってことだ。

 

ここは会場の窓からリフト乗り場とスキー場の一部も見えるので、窓際の席に座って料理を食いながら、スキーしているお客を見ながら、ついでに周囲を見渡す。

 

バフェット形式(バイキングの事)なので、大人も子供も楽しそうに、白黒黄色と混ざって、三々五々に行列を作って「え?なに、これ?」とか言いながら、順々に食事をお皿に載せてる。楽しい場所に、人種も肌の色も国籍も関係ないよね。

 

ニセコアンヌプリリフト焼いたばかりのパン、シリアル、新鮮な牛乳、スクランブルエッグもあるし、目玉焼きはその場で焼いてくれる。炊き立てのご飯、おかゆ、お味噌汁は3種類から択べる(但し固形になったものを汁椀に入れてて、お湯を入れてを溶かすインスタント・なんでこれだけインスタントなのか?)。

 

僕はいつものように、日本食。ご飯、海苔、生卵の代わりの温泉卵、それに漬物を少々、である。味噌汁は、インスタントでねぎが入ってるので、今回は敬遠。日本茶にした。

 

洋食も充実しているので、幸い僕の周りのガイジンたちは、楽しく洋食の朝ごはんを食べてた。さすがに、白ご飯に牛乳をかけている人はいなかった。

 

ただ、お箸で食事をするアジア系の家族旅行もあちこちで目立ち、これはまたちょいと違った言葉の壁だ。肌の色も行動律も同じなので、見かけからは日本人と区別がつかない。なので、レストランのスタッフも話しかけてみて初めてガイジンと分かる。

 

だが、たまたまこのときだけの偶然だろうが、面白いことに、この日のアジア系の人々は、家族の中の一人が普通に日本語を喋ってて、日本語で会話が成立している。

 

年の頃30代半ばでやってきた、ちっちゃな子連れの香港人ファミリーは、お父さん、君はアニメで日本語覚えたでしょって感じ。お父さんは「あ〜、そう、うんうん、わかった」とか、ちっちゃな子供は多分お父さんに教えられたんだろう、スタッフを見ると「おはよ、ごじゃいま〜す!」とか言ってた。

 

台湾からやってきた3世代ファミリーでは、おじいちゃんが今の日本の世代の誰よりもしっかりとした日本語を話している。お孫さんは日本語を流暢に使っているおじいちゃんに、何の違和感もないようだ。

 

シンガポールから来た、やはりこれも3世代ファミリーでも、おじいちゃんがしっかりした日本語を話してた。上記2組が家族内ではそれぞれ広東語、マンダリンを話してたのに対して、この家族は基本が英語の会話である。さすがリークワンユー。

 

このシンガポーリアンの、じいちゃんと4歳くらいの孫とは、昨晩大浴場で偶然一緒になったのだが、お二人、最初から最後まで英語で話してた。ただ、孫が自分のおばあちゃんを呼ぶ時に「ぽぽ」と言ってたので、ああ、広東語圏出身ですねというのがかろうじてわかったくらい。

 

香港から直行便が札幌に飛ぶようになり、雪を見たことがないアジア人にとって、札幌は素晴らしい冬の観光地と一変した。

 

生まれた土地では絶対に雪が降らず、普通に生活してたのでは子供にも孫にも見せることが出来ない雪。

 

彼らにとっては、戦前も戦後も、日本は一種の憧れの土地だ。ちょうど戦後の日本人が米国の生活に憧れてたように(いつかは夢も醒めるのだろうが)。そんな彼らからすれば、日本でスキーが出来るなんて、こんな楽しいことはない。

 

多くのアジア人は、やはりアジアの文化の発信地は日本という感覚を未だ持っており、実際にディズニーランド、新宿、原宿、銀座、アニメ、カラオケ、ソニーと、とにかく見て回りたいところがてんこ盛りだ。そこに更に「安くて楽しくて、絶対に自分の国では出来ない経験!」と言うので注目されているのが、北海道のスキーだ。

 

日本人は今日本が不況だからと、何でも値段を下げようとする。しかし、それは1億2千万人の日本人相手にものを売ろうと考えてる時だけであって、世界に目を向ければその市場は全く変わる。

 

勿論世界で60億人いるといっても、その全員が市場になりうるわけではない。ただ逆に言えば、全員を相手にする必要はないのだ。年間にニセコに来るスキーヤーは何万人だ?アジアやオセアニアに住んでる富裕層は何万人だ?単純に考えれば分かること。

 

日本人の悪い癖は、市場を考えるときに、その全員に何かを売ろうとする。車や食料品などのビジネスならそれは良いのだが、サービス産業においてはそれは違う。

 

サービスを提供する市場を、だれかれなしに広げてしまっては、サービスビジネスは成立しない。何故なら、今日のご飯にも困っているアフリカの人々と、明日は飛行機に乗って札幌ラーメンでも食いにいこうかと考えてるアジアのお金持ちは、要求するものが違うのだ。

 

だから、自分のサービスが誰にいくらで売れるのか、まずはそこから考えねばならない。

 

北海道にやってくる観光客は、何も北海道庁が世界中にまともな営業をかけて呼び込みをしたわけではない。YokosoJapanなど、実際はどこの国でもまともに相手にされてない。ニセコは、アジアオセアニアの富裕層である彼らが、自ら発見してやってきたのだ。丁度、1800年代後半に日本が鎖国していた時にやってきたペリーのように。

 

片方では観光立国と言いながら、長距離電車に荷物置き場はない、ビザ発給は厳しい、何かと言えば「ルールですから」と、言ってることとやってる事がちぐはぐな日本の観光政策をまともに相手にする外国人はいない。

 

では何故オージーやアジア人は「高いおカネ」を払ってニセコにやってくるのか?それは、逆説になるが、彼らにとっては、高くないからだ。

 

自分の国にいたのでは、絶対に見ることが出来ない雪、自分の国では期待出来ないパウダースノー。彼らからすれば、今のニセコは、安いのだ。

 

ガイジンは、能動的に北海道にやってきて、自分の頭で考えて、これは売れると判断し、キャセイ航空は直行便を飛ばし、オージーは不動産開発をやった。

 

彼らと日本人の発想の違いはどこか?答は明快であり、今までの日本が繰り返し失敗してきた、てか見過ごしてきた視点だ。

 

それが顧客視点である。お客から見れば、北海道の雪にはいくらの価値があるのか?

 

日本人はメーカー主導の考え方でいつも両極端に走る。「良い技術なら誰でも買う」とか「この商品は絶対に売れる」等と、供給者側の視点でものを考える。ところが、受け取る側は決してそうではない。ソニーのPS3と任天堂Wiiの売上を見れば分かる。

 

その反面、全然売れなければ、原価も考えずにすぐ安売りに走る。どちらにも共通しているのは、マーケティングがないままの製造である。良いものを作ってから、それから考える。

 

日本人は製作者主導で、すぐに凝ったものに走る。マニアックになる。スキーをやるとなれば、スキーの道具がどうとか滑り方とかがこうとか。

 

でもその雪山で昼飯を食おうとすれば、重くて歩きにくいスキーブーツを履いたまま、テーブルに座ってカレーを食べてる人の後ろに立って、いつ食い終わるのかといらいらしながら待ってなきゃいけない。

 

ホテルの部屋はすし詰めで、何の遊びもない。単なる箱、でしかない。

 

でも、今こうやってニセコにスキーに来る人々は、スキーの技術がどうこうとか考えてない。ゆっくりと、好きな時間に美味しいお昼ご飯が食べられて、ゆったりとした部屋でCNNなどの世界中のテレビを英語で見ながら、温泉につかり、その合間に天気が良ければ滑るのだ。

 

 

今ニセコに来る旅行客にとっては、ニセコは安いのだ。ニセコの原価がいくらか、彼らは知る必要もないし、知りたくもない。大事なのは、彼らが母国で稼ぐ可処分所得から比べれば、また母国で同じカネを払って得られる満足感に比べれば、ニセコは十分に安いという点なのだ。

 

払っただけ以上の対価を受け取っていると感じるからこそリピーターが激増しているのだ。そんな時に、日本国内で一生懸命値段を下げて競争して自分で自分の首を絞めるのではなく、彼らがいくら払って何を望んでいるのかを理解するというのが、顧客視点=マーケティングだ。

 

考えても欲しい。世界を相手に商売しているハングリーなビジネスパーソン連中が、日本に来たときだけ高い金を払って悪いサービスで満足すると思うか?彼らは、価値を見いだしているからこそおカネを払うのだ。

 

昔の北海道の日本人にとって、雪はごみでありおカネを払って排除すべきものだった。そこにスキー文化が導入されて、雪が売れることに気づいた。だから、雪の原価は無料、雪かきの費用よりリフトの係員で少しだけ余分に稼げればよい、そんな値段設定だった。

 

ところがバブル崩壊後、スキー人気は減退、こうなると生き残る為に安売りをするしかなくなり、ニセコの一日リフト券は、NZのコロネットピークのリフト券の半額になった。

 

コロネットピークで10ドル出しても、食えるものはRubbishである。誰もがご存知の通りだ。ところがニセコでは、900円出せば美味しい札幌ラーメンが食える。

 

そんな美味しい話が、どこにありますか?!

 

だから日本人も、今日本人が何も買わなくなったからと言って価格を下げるのではなく、もっと外に目を向けて、世界にいるスキーリゾートdaisukiな人々に対して、素晴らしい商材(パウダースノー)に素晴らしい付加価値(食事、笑顔、サービス)を付けて、本来あるべき価格で販売すればよいのだ。

 

ところが日本では、サービスを提供する供給者が、マーケットリサーチの経験もない人々が、開発コストを考えて、じゃあまあ、これくらいでいいやって値段を付ける。

 

このミスマッチこそが日本が今陥ってる大きな価格問題だ。

 

逆の悪い例で、最近の新聞で見かけるのは、メーカーがまず最初に日本の消費者の値ごろ感で売価を決定して、それに合わせて原価を計算していくから、下請けになればなるほど叩かれる図式になっている。

 

ならば何故、売る相手を変更して、まず最初に適正な原価を積み上げて売値を決めてから、それを喜んでくれるようなお客を作るというマーケティングをしないのか?

 

やってる作業は同じなのだ。ただ、値段を下げる為にするのか、適正価格を守る為にするのか、だけの違いである。

 

安売りに流れてちゃ駄目だ。ものには値段がある。そして、人は夢を観て生きてる。夢を叶える為の会社、事業、そういうものを作るのが、社長の仕事でしょ。それが国家で言えば、政権政党のするべき事だ。人が夢を持って働ける、そんな環境作り。今の北海道なら、可能だ。

 

 

ニセコアンヌプリリフト朝からついつい色んな事を考えて見た。でも、北海道は素晴らしい資源を持ってる。世界を視野にして、誰にどう売るか、それさえ間違えなければ、絶対にクイーンズタウンより大きなビジネスになるぞ。

 

お、やばし、あんまり熱くなってる時間はない。もうすぐ”あやちゃん”が来る。早いとこメシ食わなきゃ。

 

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tom_eastwind at 18:11│Comments(0)TrackBack(0) 日本 | 諸行無常のビジネス日誌

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