2008年04月14日
Conventional
一週間前の話になるけど、出張から戻り、土曜日の夜は古い友達がオークランドに来てたので、シティに出て夕食となった。
自宅からシティに行くタクシーの中で運転手のKeithと、南島出張の話をする。
「どうも、何つ〜か、俺はクライストチャーチよりもクイーンズタウンの方が好きで、合ってるような気がするんだよね」
「そりゃそうだ。クイーンズタウンは世界から観光客が集まって、いつも何か新しいものを作ってる街だけど、クライストチャーチは、とってもConventionalなんだ。お前に合うわけがないよ」
コンベンショナルって言い方は初めて聞いた。75歳のKeithがクライストチャーチの人々を示して言う言葉である。
「それってConservativeって意味と同じなのかい?」
「まあ大体同じだ。真面目で、道がどれだけ広くても真ん中しか歩かないし、一回就職すればそこで引退するまで働くし、家族を大事にする。いつも他人と同じような事をして、それが彼らの喜び。つまり退屈な連中なんだ」
キースが運転席に乗せた自分の足の位置を動かしながら、半分くらいこっちを見て話し始める。
「彼らは自分の生き方が一番良いと思ってるし、俺も時々クライストチャーチの人間を乗せるけど、皆オークランドは嫌だって言うよね。別に俺はそれに反対も賛成もしない。ただ、彼らがそういう考え方を持っているという事は知ってる。それだけさ」
クイーンズタウンでは、常に街が発展している理由の一つに、世界から観光客が来るので、彼らの「お目にかなう」施設や食事、サービスが要求される事がある。実際に国際級と呼べるかどうかは別として、街の連中がいつも新しいことをやろうと考えている。
でもクライストチャーチでは、今日も明日も同じ食事を食べるし、同じ事を繰り返して、その中で心の安定を求めようとする。
なるほどな、僕がどうもクライストチャーチが合わないのは、その保守的な街の雰囲気なんだろうな。自分が革新的というつもりはない。革新的以上に過激だから、あの街に流れる空気が、僕にとってはいずらいものになるんだろう。
クライストチャーチの人からすれば、随分と迷惑な話だ。自分たちは今幸せにやってるのに、よその街の人間、それも外国人に口を突っ込まれたくはないだろう。
勿論口を突っ込むつもりもないし彼らの生活を尊重もするし、彼らを好きだ。一緒に酒も飲めるし楽しく過ごせる。決して嫌いではないのだ。ただ、自分と違うというだけ。和して同ぜずなだけだ。
「和して同ぜず同じて和せず」と言う諺がある。「人とうまくはやっていくけど、決して彼らと同じようなことはしないよ」と言うのが本来のありかたなんだけど、「隣の人と同じようなことばかりやってるくせに、隣の人の文句ばかり言う」人がいるって意味。
彼らは楽しく生きている。ただ、「お前には合わないよ」という事を、オークランド生まれのオークランド育ち、現在70歳を過ぎても現役でタクシーの運転をしてる独身のKeithから聞いて、それをconventinalと言う表現をされた、その事が妙に頭に残ってて、一週間前の話だけど書いてみた。
あ、ちなみに僕はお客様によく聞かれるのが「ニュージーランドを好きですか?」。これは勿論YES。でも、「オークランドを好きですか?」と言う質問に対しては「別に〜。ただ商売やるのに一番都合が良いから住んでますね」と答えてる。これは事実。
じゃあ何でニュージーランドを択んだのかと言われれば、それが運命だからと答えるしかない。
今から20年前に買った片道航空券、行く先はバンフでもスイスでもクイーンズタウンでも良かった。たまたま立ち寄ったクイーンズタウンで仕事を依頼されたこと、そこで奥さんと知り合って結婚したこと(これは一生のうちで最高の巡り会わせだった)、香港生活を終わって次に行くとすると、オークランドが一番都合が良かったこと、そんな事の組み合わせが今僕のオークランド生活を作っている。
そんなbumpyな生活を送っているからこうなのか、それとも性格がBumpyだからこんな生活を無意識に択んでいるのか分からない。でも、多くの日本人には静かで落ち着いたクライストチャーチの方が良いのかもしれない。これからはクライストチャーチを勧めていこう。
Conventional
〔社会的{しゃかい てき}〕慣習{かんしゅう}の、慣習{かんしゅう}として認められた
伝統{でんとう}の、伝統{でんとう}として確立{かくりつ}された、従来続けられている、標準{ひょうじゅん}となった