2008年04月28日

雪国 何故地方に住まねばならぬのか?

hirosaki 1東京から弘前に向かう。花見だ。みゆきが日本の桜を見たことがないために、スクールホリデイに合わせて連れて行く。

 

散財ではあるが、金は盗まれても記憶は盗まれない。だから勉強になる事ならと思い、ついでに日本の田舎も見せようという狙い。

 

東京を出ると、少しずつ空気が冷たくなる。北に向かう新幹線は、途中から在来線特急に変わり、dandan線路の幅が狭くなって、揺れも強くなっていく。そして、途中の駅に止まるたびに老人の数が増えるのに、否応無しに気づく。

 

限界集落と言う名称で、過疎化が問題になっている。所謂老人ばかりの村である。

 

僕が子供の頃にお盆で里帰りしてた九州の里に比べれば、この東北、新幹線が走ってるなんて立派なものだ。あの頃の里は陸路がなくて、ぽんぽん船と呼ばれる10人乗りくらいの小型船で1時間かけて通ったものだ。

 

それでも当時は日本の人口が増えていた。だから田舎といえども活気があった。じいちゃんもばあちゃんも元気だった。

 

こんな事書くとまたも批判されそうだが、過疎化の問題を語るときに大事なのは、人には移動の権利があるという事だ。

 

人が幸せを追求する権利があるなら、なぜ人は常夏の島に行って、一年中・山には果物、海には魚のいる場所で生活しないのか?

 

hidari

 

何故に氷点下の中、凍えそうな雪に吹雪かれながら生きていかねばならぬのだ?

 

それが先祖代々の土地だからと言って、その義務はそれほど大事なことなのか?

 

たまたま日本の人口が増えた時代に安い土地代の田舎に残っただけであり、その土地を放棄することは不可能ではない。相続等せずに、権利放棄して国家に返却すればよいのだ。

 

自分の家を離れたくない人は、生活のスタイルを変化させたくない、結局そういう事ではないか?

 

それを否定しているのではない、ただテレビが過疎化の問題で「病院に通うにも大変なおばあちゃん」を描くたびに思うのが、今の日本でどこに住むのも自分の権利であるが、その結果として発生する不利益を蒙ることは理解すべきではないかという事だ。

 

今日のテーマはどうしても政府の考えに近くなってしまうから嫌なんだけど、人口減少の中で日本が選択する一つの冷厳な事実として、人が固まって都市社会を作って住むことも必要だってことだ。

 

日本ではダムに沈む街とか成田空港とか色んな問題があって、強制的に先祖代々の土地を立ち退かされることがあった。その場合は政府がきちんと面倒を見るのは当然である。

 

ただ、自分の判断で北海道の山の中、道路もない、周囲20km以上に人がいないような場所に住んでいる人が、東京で生活をしている人と同じようなインターネット環境や文化環境を政府に対して「東京の住民と同様の原価で」求めるのは、それは違うのではないかと言うことだ。

 

たまたまおばあちゃんおじいちゃんという事で問題になっているが、これが20台後半の夫婦が子供二人を連れて山の中に住んでて、子供の病院が大変だと言っても、誰も気にしないだろう。

 

例えばアロータウンの先にあるメイズタウンは、砂金堀の1800年代後半には立派な町だったが現在ではゴーストタウンである。だって、人間が生きていく最低限の数が不足すれば、それは引っ越すか、他所の町を合併するしかないからだ。

 

合理的な判断の結果、メイズタウンの人々はアロータウンに引き揚げ、そこに残った人もいれば中国や欧州に戻った人もいるだろう。

 

いずれにしても、大事な点は「移動の自由」である。

 

日本の過疎化の村も、そこから住民を引き揚げて人口30万人くらいの街に移して手厚い看病をしてあげればよいではないか?勿論本人が先祖代々の土地と言って離れないなら、それは本人の自由。その代わり行政の手当てが薄くなることは覚悟すべきだし、実際にしていると思う。

 

この点マスコミにも言いたいが、限界集落に住むおばあちゃん、実は自分の判断の原価はしっかり理解していると思う。「いずれ政府に切られても仕方ないね〜」、そう思ってる人が今も田舎に住んでいるんだと思う。

 

それを感情論でネタにして、限界集落問題を世間に問題視させるマスコミと、そのような人々を都会に集めたい政府が手を組んで、あと1〜2年くらいで「引越ししなければ福祉厚生もないよ」ってなるんだろな。

 

naka今の過疎化の一番の問題は、「おらが村」、「一所懸命」と言う村信仰、数百年間にわたって続いてきた日本の農家構造が崩壊している点にある。

 

駄目なら見切って捨てな。もうそこには住めないんだ。住み慣れた場所かもしれないけどな。今の年になって辛いかも知れんけど、

 

農民は、自分が好きな今の場所に住みながら行政の補助を求める。行政は、農業改革をしないまま他の納税者のおカネを勝手に再生産のきかない場所に投入する。

 

それだけのカネがあれば、それを東大阪の中小企業にまわしてあげれば、国家としての税収がもっと増える、そう考えてる人もいるだろうに。

 

夕張を潰して、そこに住んでいる人を札幌とか他の土地に移してしまおうと言う中央政府の隠れた政策がある。読売新聞のゆうばり特集を見ると分かるけど、倒産した会社は解散して、社員は他の会社に行けという事。

 

北への旅は続く。



tom_eastwind at 02:36│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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