2008年05月04日

桜の花の咲く頃two

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以前、桜の花の咲く頃と言うコラムを書いた。

 

日本人と桜は切り離せないようだ。実際に今回も弘前の桜を見て、その美しさに感銘したものだ。

 

それは、単純に桜が綺麗というだけではない。

 

みゆきが桜を見て「一つの花」として綺麗と思うのと、桜の花の下で花見をした記憶や、桜を背景に卒業や出会い、別れがあった、そんな「原風景の背景の一つ」として思い出す僕とは微妙に角度が違うのだと思う。

 

何よりも胸にぐっときたのは、桜の散り時である。

 

 

aruku昨日まで満開だった桜が、今朝の一陣の風に吹かれて、春の日差しの中で花吹雪を散らす。

 

散る桜の潔さってのかな、とにかく余計な事は言わずに、さっと咲いてさっと散る。これが日本人が桜を大好きな理由の一つでもある。

 

海外に住んで20年、いつも考えることは生き残ることばかりだった。僕の海外人生で「桜のように清く散る」なんてやってしまえば、お前か俺かの中で生きてる西洋社会や何でも食ってしまう中国社会では、本当に地球の反対側に吹っ飛ばされてしまう。あ、今が反対側だから、月まで飛ばされるというほうがしっくりくる。

 

桜と正反対の生活を続けていた僕が、こうやって20年ぶりに桜の花吹雪を見て、その散り際の美しさに感激するのだから、変な話だと思う。それにしても綺麗。

 

今年は普段より開花が早く、僕らが到着した時は弘前城の桜が満開。平日のお昼だというのに、弘前公園ではあちこちに青いビニールシートを広げて楽しむ人々がいた。hanami group

 

学校のサークルなのか、一人の若者がリーダーシップを取りながら、まだ固さとぎこちなさが残る参加した若者皆が楽しめるように立ち上がってゲームをしている。

 

 

 

 

 

 

jiisan多分地元の古い友達の集まりなのだろう、皆が自分の立ち位置を熟知して、おばあちゃんは空っぽになったおじいちゃんのカップに冷酒を注ぎ、おじいちゃんはそれぞれに、ここ10年で何十回も繰り返しただろう自慢話を、まるで今日初めてみんなの前で披露するように楽しく話している。てか、大声。かまうものか、桜の木の下じゃないか。

 

花見女性三人組の女性は、学校の同級生なのだろうか、屈託のない様子で友達を待っている。

 

結婚している友達よりも独身の方が多くて、多くの同級生よりは一応優秀で、地元で仕事があって、実家通勤だからお金も自由に使えて、今まで学校で学んできた事よりもこれからの社会で経験する事の方が数倍楽しいと無邪気に期待出来る人たちだろう。

 

最初、誰も坐ってないのに青いビニールシートがあるのを見てみゆきが、「お父さん、東京の人達は公園とか駅だったのに、ここの人たちはお城の中に住んでいるんだね」

 

違います。あれは路上生活者で、こちらは花見。

 

茶店僕らも途中の茶店で、弘前名物のおでんこんにゃく、焼き鳥、津軽ソバ等を、板台に坐って食べる。

 

僕の片手にはビール、片手に焼き鳥で、空は青くて人々の顔は幸せで、心がなごむ。

 

隣では日本酒を飲んで良い気分のおじさんが、奥さんから「お父さん、お昼からあんまり飲んじゃだめですよ」とたしなめられている。

 

勿論そんな奥さんの話に耳を傾けるはずもないってのは、奥さん自身が一番良く知っているのだろうが、案の定「まだ酔ってね〜ぞ!」と応えるおじさんのだみ声。夫婦って、そんなもんなんだろうな。よかった、僕のうちだけ特別じゃないんだ。

 

とにかくみんな楽しそう。春が来たぞ〜!そんな感じなのかな。無条件に明日を信じて、どうにかなるさ、まあ大丈夫だよ、さあ酒でも酌み交わして、今日を楽しもうぜ。

 

弘前ってのは東北でも田舎と思ってた僕は、今回の旅で弘前が実は昔の東北の中心地だって事に気づいた。弘前は江戸の時代からの本格的な城下町だし、キリスト教だって来てるし、文化の中心地だって弘前じゃんか。

 

案内してくれたタクシーの運転手さんからも、言葉の端々に弘前の歴史の古さを誇りに思う気持ちが伝わってくる。

 

長勝寺初代津軽藩主の菩提寺である長勝寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

この古いお寺の横に弘前陸軍連隊の墓がある。最近は誰も手入れをしないのか、草生す古いお墓だ。

 

弘前軍人墓地

 

古い話だが、日露戦争の時に最も勇敢にロシア軍に突撃を挑んだのは、熊本と鹿児島の兵隊だった。ところがいざ防戦に回ると、元々我慢すると言う事を知らない九州人だから、すぐに突撃するか撤退する。とにかく動き回ってそそっかしい。

 

 

それに対して東北出身の兵隊は凍てつく北東中国の平原にちっちゃな地下壕を堀り、強力なロシア軍コサック騎兵の全面攻撃や野砲の砲撃の中でじっと耐え、後方で見ていた司令部が、あれでは一人も生き残ってはいないだろうと思う中、敵の攻撃がやむと自軍陣地から反撃を開始し、当時世界で最強と言われていたロシア軍を相手に一歩も引かなかったという栄光の歴史を持つ。

 

その東北出身の軍隊の中でも中心となったのが弘前連隊である。遠くに北の海を眺める小高い丘の上にある苔むす墓は、弘前の歴史の深さを十分に感じさせてくれる。

 

今から100年以上も前に、クワを銃に持ち替えて弘前から出征した若者の多くは、見たこともない中国東北部の平野でその命を落とした。

 

弘前城彼らが凍て付く平原で最後に見た景色は、薄霧に包まれて雪をかぶった岩木山だったろうか、それとも故郷の村の桜の木の下で酒を酌み交わした花見だったろうか。

 

今こうやって僕が弘前城で桜を楽しめるのも、そのような先達があったからの事。

 

何も分からない竜馬は、お墓の周りで飛び跳ねて、お母さんに叱られてた。その後にお墓に合掌させられてたが、何で石に向かって手を合わせるのか、意味不明って顔をしながらも、素直にお母さんのいう事に従ってた。

 

今から100年以上前に東北アジアで起こった戦争。二級国家であるサル顔のアジア人が一級国家である白人、それも当時世界一の陸軍を、例え運が良かったとは言いながら破った。この後、アジアの植民地は独立に向けて動き出す。そんな話をニュージーランドに生まれた竜馬が理解出来るようになるには、あと何年かかるのかな〜。

 



tom_eastwind at 13:12│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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