2008年05月05日

津軽 十三湊

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津軽十三湊 正史

 

日本海側にある弘前から函館に行くには、一旦青森に寄る経路となる。ただ、街の規模としては青森と弘前は殆ど変わらないが、歴史的には弘前の方が圧倒的に長く、東北の中での存在感が強いと感じた。

 

ちょっと調べて見ると、弘前は江戸時代から弘前藩と呼ばれていた。それが1871年の廃藩置県で弘前県になり、更に近郊の八戸県などと合併して弘前県となったのもつかの間、県庁を青森に移したことで、それ以降この地域が青森と呼ばれるようになる。byWikipedia

 

丁度博多が福岡県になったようなものだな、そんな事を考えながら更に昔の歴史を掘り起こして見ると、津軽十三湊の歴史に辿り着く。

 

何と平安時代、ここには大規模な都市があり、北方のロシア、中国北部、蝦夷のアイヌなどと取引を行っていたというのだ。

 

いんこつい最近読んだ「海国記」の東北版である。

 

島国日本は、実は港で結ばれていた。北の漁場で獲れる海産物や物産を、十三湊を経由して日本海を下り、博多の湊まで物産を運んでいたというのだ。

 

 

 

一般の歴史の本では、東北は山の中であり、源氏が東北平定をした後に安藤氏氏族によって栄えたとなっているが、僕としては平安時代から栄えていたんじゃないのかなって思う。

 

何故なら、奥州の山道から見れば確かに北の辺境でも、海側から見ればそのロケーションは全く変貌する。それは北方交易をする為に理想的な位置にあるのだ。

 

鐘朝鮮半島から博多を経由してやってきた貿易路は、そのまま日本海を北上して途中の湊に寄りながらその本州の最北端を十三湊とする。十三湊には、北部中国、ロシアや蝦夷からやってきた貿易品があり、北の物産が南へ、南の物産は北へと通行していたのだろう。

 

博多から瀬戸内海に入ってきて、平清盛がその栄華の基礎とした貿易路とは流れが違うが、当時は日本海が貿易の中心であり太平洋側ではなかったのだから、そう考えれば船で移動する貿易形態の場合、湊が最も重要となる。

 

 

GoogleMAPで見ると、やはり十三湊から岩木川が内陸に広がっており、その山と山の付け根に位置するのが弘前である。つまり弘前は、九州における大宰府のような、戦争にも貿易にも便利な場所にあったのだ。

 

当時の世界最大の国であった中国とも取引を行い、ロシアや蝦夷のアイヌと取引を行うのに、山の中は関係ない。それよりも海、湊なのである。

 

その湊がある日突然の大津波で町全てが流されてしまい、その文化と歴史は海の藻屑となった。その後も何故か歴史の本から十三湊のことは出てこないため、殆どの日本人からすれば平安時代の大都市は空想もつかないだろう。

 

だが、時の王様によって作られた正史は、政権側の都合の良いように書かれているだけで、必要であれば歴史的に抹殺することも可能なのだ。十三湊、時間のある時にきちんと調べて見れば、北の海に広がった日本人の「本当の歴史絵巻」が広がっていくんだろうな。

 

五重塔要するに戦争で勝てば官軍、何を言っても良い、負ければ歴史でぼろくそに書かれるか抹殺されてしまい、いつの間にかそれが事実として定着していくって事を良く知っている中国人と同じように、東京のど真ん中のブラックホールに住んでる人の祖先が、彼らの好きなように歴史を書きなおしたんだろうな。

 

だから弘前を回りながら、九州の邪馬台国も思い出しつつ、今から1500年前の日本ってどうだったんだろうと、過去に思いをめぐらせる。

 

特に最近は、興味のある場所はGoogleの航空写真で確認するようにしている。絵に描かれた地図ではどうしても分からない戦略上のポイントとか拠点、川と海岸線などは、船を利用して物資移動をしていた当時のキーワードである。

 

もっと面白いのは、よくよく見てみると、今から1500年前は、そこって海じゃなかったのって場所が見つかることだ。逆に、そこは陸があったのでは?と言う場所もある。

 

そういうところでは、歴史に書かれなかった様々な物語があったのではないだろうか?時の政府、つまりブラックホールの祖先にとって都合の悪いことはどんどん消していき、都合の良いことだけを残した歴史ってのが正史なんだろうな。

 

昔西村寿行が何かの小説で書いてたけど、もしかして6世紀頃の東北は今の東京くらいに温かかったのではないかという仮説。気温なんて100年でころころ変わるわけで、今の東北が雪降るほど寒いからって、1300年前も寒かったってのは言えない。

 

ましてや1500年も前であれば、温かくてもおかしくはない。そこに北方民族、中国、ロシア、アイヌ、様々な人々が貿易に訪れていたのではないだろうか?

 

石塔その当時は、津軽十三湊や弘前が文化の中心地で、平泉が奥座敷だったとしたら。

 

今から1000年以上前に東北で栄えた文明があったとしたら。そう考えてくると楽しくて仕方ない。

 

 

 

東北の桜と歴史を堪能した僕らは、11時11分発のかもしか1号で弘前を出発、36分で青森に着いて、そこで青函トンネルを越えて北海道に行く特急に乗り換える。11時47分に着いて11時56分の乗り継ぎなので、都合が良い。

 

東北新幹線よく整備された青森駅はエレベーターやエスカレーターが整備されている。こういうところを整備して観光客の利便を図るってのは、観光政策の基本ですな。

 

途中に見える陸奥湾の景色を楽しんだり、岩木山を遠くに見たりしながら電車は進む。駅弁もビールも、東北の空気に包まれると、何故か旨い。



tom_eastwind at 08:34│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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