2008年05月08日

函館3 点と線

午後の寂れた大門めぐりを終えると、過去の栄華と郷愁を胸に感じながら、僕らは一旦ホテルに戻った。

 

函館夜景3

 

それから夕食前に函館山登り。雨上がりの夜景と函館山にある古くからの建物群のライトアップを見学する。

 

夜の7時から1時間30分で、函館山から明治以降の建物を見て回るのだが、これは圧巻だ。

 

 

当時の函館の栄華を、そのままに感じることが出来る。北の街にこれだけの文化が出来上がっていたのか、すごいな開国と貿易ってのは。

 

ハリストス正教会

 

 

ロシア正教会、キリスト教会、公会堂、中国人集会場、当時はそれこそ世界中の人々がこの街に集まり、それぞれの才覚でビジネスを展開して、それが結果的に函館の繁栄を招いたのだ。

 

 

 

 

ヨハネ教会

 

勿論彼らの国からここまで辿り着くだけでも大変だったろう。

 

飛行機もなく、北の荒海に飲まれて行方を絶つ船もたくさん出ただろう。

 

 

 

それでもつい数十年前までは鎖国してて言葉も通じなかった国に、ガイジンは船に乗ってやってきた。彼らの原動力、それは「利」と、「夢」=好奇心だったのだろう。

 

公会堂まだ見たことのない日本という国に行ってみよう、どんな文化や文明があるのか、見てやろう。

 

ただし、行くだけでは意味がない。その街に住んで見てカネを稼ぎ、ふるさとに持って帰ってやるんだ、そんな気持ちもあったろう。

 

 

そしてこの街は北方貿易の中継地点として一大都市を北の国に創り上げた。

 

北方で獲れる魚介類や蝦夷の物産品の交易、北の良港として造船技術も盛んだった頃は、それこそ弘前十三湊の最盛期と肩を並べるほどであったろう。

 

それが戦後、200海里問題、海洋資源、オイルショックによる造船不況、青函連絡船の廃止など、続けざまに起こった構造不況により、函館は一気に歴史の表舞台から剥落していった。

 

その中の一つで当時から今もかろうじて生き残っているのが、僕が泊まったホテルや駅前の百貨店、それに美味しいラーメン屋と朝市だけなのかもしれない。

 

朝市今函館は、観光と漁業の街として生まれ変わろうとしている。

事実、泊まっている古いホテルのすぐ横のもっと古い金森倉庫群も、今はその外壁のみ残してお土産や、レストラン、博物館、朝市会場など、地元資本により新名所として生まれ変わって最近の観光名所となっている。

 

函館市wikiを見ても、主要な産業として観光と漁業となっている。函館の人口は現在約30万人。弘前と同じくらいだ。

 

倉庫群に「ラーメンあじさい」が出店してたのには驚いた。勿論食った。うまし、あじさいの塩ラーメン。札幌空港ではよくお世話になった店だ。

 

函館名産の魚をお土産に買い求める日本人、ただひたすら珍しく街のあちこちをガイドブック片手に見て回る外人、それぞれに目的は違うが、観光客と言う点では一致している。

 

朝市焼物未だに函館に残るたくさんの歴史遺産をうまくビジネスに結び付けて、それが各拠点ごとに頑張っている感じはする。

 

でも、何だか線がない。点と線がうまく結びついてないもどかしさ。

 

 

これは、各自が一生懸命頑張っているんだけど、その方向性が少しずつ違うし、その違いを調整すべき団体が主導権を取れてないから起こる現象だと思う。この街ではその団体が政治家なのか役所なのか少年会議所なのか分からないけど。

 

函館人力車企業であろうと市であろうと、人が集まればそこに集団が出来て、そして皆を引っ張ることが出来るリーダーが出てくれば、そしてそれが一つの方向に長期にわたって動き始めれば、その時の力はすごい。

 

ところが今函館で見てる状況は、一人ひとりが独立している様子なのだ。

 

函館にラーメン屋は約300店あるらしい。結局函館滞在中に5軒回ったが、ラーメン屋同士の競争はないんかい?もっと観光客を喜ばせるイベントは?昼過ぎの手の空いた時間に手持ち無沙汰にタバコをふかしながらスポーツ新聞の競馬欄を見てる老舗ラーメン屋のおやじさんを見ながら、ふと思った。

 

じいさん、あんたの知ってた函館は、もうないんだよ。そうやって百年一日の如く過ごしてても、過ぎ去った時代は戻ってこないし、客が黒門を歩くこともない。ほら、あんたの娘さんだか知らんが、名物やきそばの餡を作れずに、途中からあんたが手を出して作るってのは、やっぱり任せられないんだろ?

 

中華なべを持つ手が震えてても、それでも彼女が作るより俺が作るほうが旨い、そう思うなら、その煙いタバコをやめてしっかり後輩に伝授しなよ。誰かに継がせたいのか潰したいのか?

 

家族ともに、スープの旨さは認めた。麺は・・・おねえさん、水切りとか温度管理とか、しっかりしようね。

 

竜馬買い物函館って地域が成長していく為には、自分だけ良ければと言う気持ちでは絶対無理。地域全体が、直接自分に関係のない事でも助け合って、皆で手を取り合って伸びていこうとしないと、「あれは俺に関係ないもん」なんてやってたら、くしの歯が欠けるように少しずつ潰れていって、最後は全滅、ちょっと前までの函館になる。

 

 

駅前の真正面に、客よりも従業員の多い、壊れかかった百貨店があって、それで委員会?

 

ラーメン屋さん巡りを函館名物にする事で、朝市も儲かる。それで駅弁も売れるし、農家も助かる。助け合いをせんで委員会?

 

折角生き残ってきた人たちと、これから頑張っていこうとする一部ラーメン店、そして古い倉庫を改造して更に観光客を集めようとする人々。

 

このような人々の点を線にするにはどうすれば良いか?答えは簡単で、それは理論ではなく利益である。お互いに助け合うことでいくら利益が出るか、逆に言えばその輪の中に入らないと利益は出ないという事を各事業者に認識させれば、自然と輪の中に入ってくるようになる。

 

こっちからタカピーに理論や政治を振り回して個別訪問する必要はない。折角素晴らしい芽が出てきてるし、昔からの素晴らしい遺産も残されているのだから、それがなくなる前に、誰かリーダーが出てきて欲しいと思った。

 

じゃあお前ならどうする?

 

俺ならまず、電車路線を利用する。函館駅から朝市、そして倉庫へ移動出来る、観光客向けのところてん式移動コースを作る。

 

函館夜景1倉庫から函館山と麓にある旧跡めぐりは、地元のおじいちゃんやおばあちゃんをボランティアに使って、定期的に小型バスを無料または100円くらいで走らせる。

 

函館山のロープウェイを起点にすれば、夜景も楽しめるし、地元のじっちゃばっちゃもおしゃべりが出来て楽しめる。

 

 

 

函館夜景2 「わたしらの若い頃、ここには毎日のように内地から移民がやってきました〜大門の人だかりは、それこそ不夜城でした〜」そうやって内地から来る観光客向けに話すじじばばが、ぼけるはずもない。明日は誰が来るかな、そうやって楽しい生活を送れる。人材の有効活用だ。

 

 

そこから倉庫に戻り、大門には電車で移動してもらう。電車はもちろんその頃の雰囲気一杯にして、黒門を再建する。これにカネはかかるだろうが、役所と地元名士が出すべし。パチンコ屋作ってる場合じゃないでしょ。

 

いろいろとアイデアは出るが、誰かもっと頭の良い人、実行してくれないかな。

 

それにしても点と線。松本清張だな全く。

 

明日は五稜郭。いよいよ幕末の舞台を見学である。

 

 



tom_eastwind at 00:06│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

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