2008年05月13日
元祖長浜 豚骨ラーメン食ってみろ!
これは20年以上前の話だが、ある時東京から「山猿の郷九州」に出張してきた親子三代江戸っ子だってんでえ!と言う威勢の良い20代後半の営業マンと飲みに出た。
最初に中州のバーに連れて行くと「お〜、福岡は飲み代安くて女の子は可愛くて、“こんなとこでも”どうにかなるもんですね〜」と喜んで頂いた、ははは。
口を開くと「俺はね〜、親の七光りなんて関係ないんっす!自分の力で就職先を見つけて、自分で頑張ってんだ、他の奴らとは違うんですう!」。
そりゃまあ良いことで。こちらは一応接待なので、はいはいと聞いておく。別に話すことが嫌なわけではない。ただ二人で飲んでれば、どちらかが語り手になるし、僕が語り手になってお酒が入ってるのでは、こりゃやばいっしょってな事。
その後彼は少し気が大きくなったのか、安心出来る「ガイド」を使って地獄の底を恐る恐る探検するって気持ちになったのだろう、地元の人が食べるものを食べて見たいと言い出した。
当時の東京には豚骨ラーメンもなければ最近の洗練された焼酎もない。それを味わおうってのか?本気かい?
「いや、こう見えても僕は、同期の連中(勿論六大学)と違って、現場で頑張ってきたんですよ、親の力なんて関係ね〜!、ナンだってOKっすよ〜!」
よしよし、では夜中の3時の元祖長浜ラーメン屋に行きましょう。
当時の元祖は今のような食券がないどころか、今のように周囲に屋台のなかった時代であるから、周囲は本当に真っ暗な大通りで、元祖だけが唯一薄明るい光を灯してた。
近くに浜の町公園って薄暗い公園があってその隣が大きな浜の町病院で救急病棟もあったから、夜はかなり気持ち悪い地域だった。病院で死んだ人がそのまま隣の公園に腰掛けて、ラーメン食ってる俺たちを恨めしそうに見てたりしててね。
え?その頃は向かいのファミマはなかったのって?あんた、今の平成の時代に生きる、単純でよい人だね。
客は車で店のまん前に乗り付けるのだが、このコンクリートの床が地震にあったようにヒビだらけ。それとも近くの病院の地下から、誰か来たか?
壁も薄汚いコンクリートの箱みたいな作りで、ガラガラって脂ぎったドアを開けると、睨み付けるような目つきの兄ちゃんたちが厨房のラーメン丼の前にずらっと並んで、「きさん、くいかた、わかっとーとや〜」(お客様、当店での食事の方法はご存知でしょうか?)と威嚇するように腕組みしている。
ところが客も慣れたもんで、脂ぎった安物テーブルの下に雑然と置かれているビニール張りの丸椅子を引っ張り出して座る寸前、兄ちゃんの一人に向かってガン付けしてから、ぐっと目を据えて怒鳴るように注文する。「カタ!ビール一本!替え肉ね!」
が、客の注文が入るやいなや、あっという間に目の前に投げつけるようにラーメンを置いていく兄ちゃん、実に手早い。
誰も「いらっしゃいませ!」も「ありがと!」なんて言わん。すべて最低限の言葉だけ。
毎日味が違うし、時間によって麺の固さも違う。今時の言葉で言えば品質管理がなってないという事になるのだろうが、毎日仕込んでるし、忙しいときのお湯の温度なんて管理出来ない。
でもとにかく、味がどうのこうのサービスがどうのこうの、CP(支払い価格に対する満足度)がどうのこうの、きれいの汚いのと言って元祖でラーメンを食う客はいない。元祖は元祖、なのだ。美味しいとか不味いとかで店を選ぶのではない。東京で言えば、次郎か?
最初の頃は僕もタイミングが分からず、まずはビールでもと思ってた坐ってたらいきなり目の前にラーメンが来た。切ったばかりの新鮮なねぎがたっぷり。ネギ大嫌いの僕は、やばい状態に陥った事に気づく。
「あれ?まだ注文しとらんけど」
びっくりする僕。
「坐ったっちゃろ、ラーメン食べるんやろ、他にメニューもないけんね」
さらっと答える兄ちゃん。
「ビールが欲しかったんやけど」
「追加注文やね」
「俺、ねぎ無しやんね」
「遅かったね」
深夜の店には、両肩を揺さぶるようにして前掛けを血で汚して市場の仕事の合間に食いに来た連中、迫力満点。その横では極道刈りにそりこみ入れたトラック野郎が、魚がパックされるまでの時間を利用してがつがつとラーメンを食ってる。スープの残った丼を指差して、「たま〜!」。(すみません、ラーメンの替え玉を一つ下さい)これで通じる世界だ。
中州の仕事帰りのお姉ちゃんたちは、半分酔っ払ったように壁に背中をもたせながら、大きな声で今日店に来た親父連中をネタにしてげらげら笑ってる。
片手にタバコ、片手にビールのグラス、目の前の、割り箸が突っ込んである食い終わった丼はぎらぎらの口紅がべっとり。
タバコの煙と物凄い豚骨の臭さと、屋外にある掘っ立て小屋のような汚い便所のドアが半開きになってて、そこにふらふらしながら左手を壁について小便してる酔っ払いサラリーマン。
確かに強烈ではあるが、そこには生きている人間の生の姿がぎらぎらと炙り出されている。
六大学の兄ちゃん、タクシーを降りた瞬間に、こんな店の雰囲気に唖然として酔いが抜けたように周囲を見回し、店にはいってく客を見てぽかんとして、更に店の中に入った瞬間に体が百分の一に縮んでしまったようだ。
誰にも見られないように、お願いだから視線が合いませんようにってな顔で、緊張して体を丸めて目の前のテーブルの一点だけをじっと見つめ、割り箸だけが唯一の武器だと言うように、ひざの上で両手で握り締めてた。
兄ちゃんにガン付けされてやってきたラーメンを一生懸命見つめているのだが、しかし鼻はすでに恐るべき拒否反応を起こしてる。いつもばあやから貰っていたとらやの羊羹が懐かしいのだ。
自分が今どうすれば良いのか、まさにこれこそ親の七光りではなく自分で判断しなければいけない状態に陥ってる彼。
結局彼はあまりに臭いラーメンに手をつけることが出来ずに、でも何とかその場であまりの臭さと緊張に吐かずにいただけ立派、それは褒める。
ラーメンは僕が代わりに食べた。多分そうなるだろうと思って「最初はネギなしがいいっすよ、九州のネギは匂いが強いからですね。後でネギは追加出来ますから」って言っておいたのだ。
もちろん今ではこぎれいになり、食券機も導入されて普通にサラリーマンも来るし、親子連れなんてのもやってくる。でも夜の遅い時間は、あいも変わらずなのかな。久しぶりに行ってみたいな。
まあ、彼のような連中は、よい連中だと思う。一生懸命自分なりにがんがっている。ただ、制度として今の日本がどうあるべきかとなったら、やっぱり悪いけど「あっち側の人」なのだ。こっちの連中との痛みは共有出来ないのだ。
そりゃそうだ、社会の公平性とは、詰まるところ誰にいくら配分するかのゲームであり、あっちの取り分が多ければこっちが少ないのだから、その妥協点を探す事が政治である。ところが今のように政治が機能せずに弱者が虐待を受ける状態になれば、こりゃ革命っしょ。
結局一昨日の本「貸し込み」に戻るのだけど、このようなお人よしのお兄ちゃんたちは、自分が関わってる個別ケースでの「押し貸し」なんてのがあれば、怒りを感じて激怒して許しがたくなってる。
でもそういう下流社会の下流民から、NZや米国では無料の高速道路利用料とか高すぎる国内航空運賃とか高すぎる家賃とか給料から天引きされる社会保険とか国民健康保険とか市民税とか高すぎる電気やガス、水道料金とか、とにかく本来国民のインフラであるべきものを様々な形で吸い上げたカネが、上流社会を支える「旨い汁」となっている事実には、決して怒りも感じないし激怒なんて絶対にしないし、許すんですよね。
今ではすっかり豚骨ラーメンも焼酎も東京で当たり前になったけど、当時は労働者の食い物だった、そんな時代の話だ。
なんか、ロシア革命の頃にこんな議論があったような気がするな。「何故君は僕を労働者階級に入れてくれないんだ!?僕が貴族だからと、差別するのか!」