2008年07月08日
TAMIYA

先週末に竜馬くんと一緒にシティのホビーショップに行き、田宮のプラモデル、「イギリス正式戦車」を購入した。勿論35分の1シリーズ。
店にはイタリア製や中国製のプラモデルも並んでいるが、はっきり言って田宮に敵う品質は、精々長谷川くらいだろう。張り合わせた時の正確さ、全体の形容の正確さ、部品の精密さ、どこを取っても「プラモは田宮」である。
ほんっと、日本人ってすごいよな〜。何をやらせても徹底的に隅っこまで究極に詰めて、世界で最高のものを作る。まさにモノ作りの極みみたいな人種だ。
これは日本人の置かれた環境にも、先天的なものもあるのだろうが、とにかくアフリカ人がスポーツやって白人の上をいくってなもんで、こりゃもう、日本人の手先の技術の程度の高さはどうしようもなく強い。
問題は、日本人は一生懸命現場を見つめてプラモを見つめて、さてどうするかなんて考えているときに、うえのほうではその会社の経営は西洋人に乗っ取られるという、西洋社会の仕組みへの理解不足が結果的に日本企業の衰退を招いているのだ。
誰が悪いの?
答えは簡単で、戦後の日本経済を大元で仕切ってた政府通産省と、オーナーでもないのに会社のボスと思い込んでろくな仕事をしなかった経営者連中だ。
この点だけは、誰に反論されても、絶対に引かない。自分が10年間ビジネスをやって、その中で学んだことは、組織とは最後にはボスで決まるし、日本ではそのボスをやってたのが政府なのだ。
勿論僕も、1980年代前半までの日本の「ボス」の存在は十分に評価している。ありがとう、と言いたい。問題は、その後に来た、敗戦の痛みを知らず哲学を持たないぼんぼん連中の存在だ。
こいつら、まさに戦犯ものの馬鹿ばかりである。
折角の素晴らしい人材を生かすことが出来ずに、経営レベルで次々と西洋スタイルに巻き込まれて、日本企業の一番の特性を生かすことが出来てないのは、これは現場の問題ではなく経営、政府の問題であることは一目瞭然。
これは多くの人が指摘するが、第二次世界大戦で日本が滅びた時の構造と全く同じである。日清戦争、日露戦争に勝利し、その勢いを駆ってのぼせ上がり、日本が神の国とか言いながら、要するに自分の保身だけを考えたばっかやろう連中が、日本を負け戦に追い込んだ。
誰よりも優秀な現場の兵隊を抱えている軍隊が、上にいけばいくほど腐れていき、誰もが中途半端に小利口だから無責任で、結局現場の兵隊を死に送り込む図式だ。
特に日本軍、てか日本人組織の上部の馬鹿さ加減を一番理解したいなら、インパール作戦に関する指揮官の馬鹿さ加減、現場の兵隊の凄まじいまでの努力を読んでもらうことだろう。これは高木俊朗の本が一番良いと思う。
TAMIYAのプラモデルは僕も大好きで、中学の頃はかなり凝ってやってた。今でも、大体の戦車や飛行機の形は覚えている。
戦争には負けたけど、現場での技術では負けないぞ、そういう気持ちが常にあった。
今、国際人となった竜馬くんがTAMIYAを作りながら、「お父さん、これ、ほんっと難しいし、細かいよ〜」と文句を言ってる。
そりゃそうだ、彼が今まで作ってたのは外国製の入門編、ガンダムにしても、バンダイが作った特殊な「作りやすい」プラモデルであり、TAMIYAのような伝統的な作り方ではないから苦労しているのだ。
竜馬くんが、早くTAMIYAを作る技術を覚えてくれるとうれしいなと思う今日この頃だ。