2008年07月24日

またも・・・無差別殺人

66f3a43c.JPG

一昨日の夜、八王子の駅ビル内の書店で昨夜無差別殺人が起こった。今回は書店のアルバイト女性1名が殺され、客1名も被害に遭った。

 

なんじゃこりゃ?である。

 

 

昨日の朝、出発前にテレビを観ると、コメンテーター達が「こんなの社会のせいにするのがおかしい、個人の責任じゃねーか!」と怒り狂ってる。

 

「大体、昭和の苦しい頃だって、苦しいからってこんな事件はなかったよ!」中年後半のアナウンサーも怒り心頭に発したように大声で話し出す。

 

どうなのか?人間から夢や希望、「明日は今日より良くなるさ」と言う気持ちがなくなれば、どうなるのか?個人が社会から完全に疎外された、つまり村八分の状態になった場合、どれだけの人が平然と生きていけるのか?

 

勿論多くの人々が苦しい中で我慢をして生きている。だから「我慢出来ない」と言う意味では犯人は社会不適応である。第一、どんな理由があろうとも他人を傷つける言い訳になんか、なりゃしない。

 

しかし待て。その前に、何で我慢をしなきゃいけないんだって事を誰かが考えないんだろうか?

 

「俺が我慢しているんだからお前も我慢しろ」なんて理屈は、理屈ではない。ある人にとっては耐えられる環境でも、ある人にとっては耐えられなくなる。

 

だからまず考えるべきは、我慢しなきゃいけないような社会環境を誰が作ったのか、である。

 

都内の電車にほぼ毎日誰かが飛び込むような時代に、一体誰がしたんだ?

 

説明会でもよく話すのだが、ニュージーランドは国家が出来て以来、精神病で自殺する人はいても、お金がなくて死ぬ人は一人もいなかったし、今もいない。

 

失業?ならば政府が社会保障給付すべきだろう。

    NZでは最長47年間給付が受けられる。

 

病気?政府が責任を持って治療すべきだろう。

    医療の無料化制度がある。

 

治安?政府が責任を持って予防に努めるべきだ。

     警察が銃を持たなくて良い国なのだ。

 

教育?政府が責任を持って教育のプロが子供に教えるべきだろう。

    無料教育制度による教育の機会均等だ。

 

老齢?政府が責任を持って生活に足る年金を支払うべきだろう。

     平均70%保障の仕組みは今から100年くらい前に作られた。

 

つまりNZでは、社会環境の根幹を占める医療、教育、治安、失業、老齢と言った大きな生活安定要因に対して、政府が責任を持って対応しているのだ。

 

政府も、自分の仕事は民間業務をする事ではなく、国家の制度を整えて国民に安心と将来の夢を与えることで治安を守り住みやすい国つくりをしている。他人事ではない、自分の国と国民を守ることが政治にとって最も必要な仕事なのだ。

 

日本でも同じように、憲法で

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされている。

 

ところが日本では、誰でも分かるように個人が尊重されることはなく、日本株式会社の中の一部分の機械(民間会社)の歯車として生きているのみだ。

 

生命を守る為にはお金が必要だとわかっていながら政府が税金を渡さない⇒失業給付の問題では、「彼らは働けないのではなく働かない怠け者だ」と定義付ける事で保険給付を削減させ、電車に飛び込んでも知らんふり。

 

年を取ったら働けないと分かっているのにすずめの涙のような年金。死ねと言うのか?国民の生命や幸福追求出来る仕組みを作るのが国の仕事であり、その為に国民は税金を払っているのだ。

 

税金取立てはぎゃんぎゃんやるくせに、払う段になるとあーだこーだと出し渋る。そのくせ自分たちの為には国家公務員用の年金制度を別に作ったり退職金やボーナスの権利は守り通す。

 

君らさ、役人は公僕(こうぼく)だよ。本来君らは、国民の僕(しもべ)となって国民の財産や生命を守り、将来の夢を与えるのが仕事だ。

 

だから君らは、僕らが本来施行すべき権利を一時的に貸してるだけなのだ。徴税権、逮捕権、職務執行権限、法制度立法、などなど、日頃僕らが忙しいからかしてるだけなのに、何を勘違いして自分たちだけが守られる仕組みを作っておきながら肝心の国民を放置しているのだ。

 

こんな国になって毎年国家赤字で社会保障も満足に出来ない国にしたのは、君らだよ。その自覚はあるのか?

 

そりゃさ、昭和の苦しい時代もあった。でもあの頃は「明日は今日よりも良くなる」って、そんな自信が社会全体にみなぎっていた。

 

誰もが学校を出て就職すれば後は終身雇用と賃金確保により、30歳半ばで結婚してマイホームを持ち、生活に高望みさえしなければそのまま60歳まできちんと生活が出来て、年に一回は家族で海外旅行や温泉旅行にも行けた時代だった。

 

そのすべての社会のインフラにあったのが、国民に安心と安全を与える国家のシステムである。

 

今、その社会インフラが崩壊しているのだ。

 

僕はこの犯人の動機を許そうなんて思ってはいない。当然死刑を持って対応すべきだろう。ただ、この犯人の動機の半分以上は、少なくとも彼が今から30年前に生まれていれば、おそらく起こらなかっただろうという事だ。

 

テレビでは個人責任と言う方向で話がどんどん進む。そりゃそうだ、これを社会問題と認めてしまうと、国家が社会の安定と安全を守れなかったという答になるからだ。

 

テレビ局、ただでさえ商売が大変なのに、これで政府から免許取り消しとかやられたら商売上がったりだ。だから、こういう社会の根幹に関わるような問題では、お上に矢を向けるような真似は絶対に出来ない。

 

大分県の教員採用試験などは、こりゃ政府の根幹ではないし、元々労働組合の強い県だから、テレビとしても叩きやすい。よっしゃいけ!これは個人の問題じゃない、組織の関与があるのだ!となる。

 

でも、マスコミがどのように個人責任を追及しようが、現場を生きる国民からすれば、増える一方の路上生活者、毎日のように飛び込み自殺で停まる電車、上がらない給料、安定しない雇用、人々のストレス増加による過労死、そういったものを肌で実感しているから、ある程度自分で考えて周囲を見る人なら、この事件は本人だけなのか?と疑問を持つと思う。

 

では、このような状態を解消するにはどうするか?5年程度の中期的視野においては公務員改革しかない。公務員が国民の為に仕事をすればそれだけ収入が増える仕組み作りだろう。

 

長期的には、国民が主権者であることを自覚して、民主主義は自己責任であることを理解して、他人任せではない生活観念を持つことだろう。

 

短期的には・・・もし僕が今日本在住でこのような事件で家族を殺されたら、第一に犯人を殺人事件で、そして政府を、このような治安の不安定な環境になるのを予測できたにも関わらずなにもしなかったという「不作為」で訴える。

 

国民が一人でも多くそのような不作為訴訟で国家を訴えるようになれば、政府も本気で考えるようになるだろう。



tom_eastwind at 00:55│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔