2008年07月27日
歩道橋 北関東 2
歩道橋が初めて作られたのは戦後の事、特に交通戦争と呼ばれていた昭和30年代(1955年代)には、一年に一万人の死者が出て、二年合算すると日清戦争の死者よりも多かったくらいだ。
外国との戦争よりも国内で交通事故で死ぬ数の方が多いのだからこりゃ戦争、そうなると特に子供の事故が多かった為に、彼らが「無事に大人になるまで生き残れるように」、特に学校近くに歩道橋を作った。
ただこれ、実に見た目に悪い。
最近出来た新横浜駅前の歩道橋とかはエレベーター付きで、駅前空間を意識したお洒落なデザインと老人や子供が使いやすい作りになっているが、1960年代はそんな余裕も発想もない。
何せ戦いなのだ。道路がなければ加工貿易国家として物流システムが成立しないから、国民には我慢してもらい、階段を上がり下がりしてもらう。当時の技術では車を止める信号システムを作る事が難しく、物流の速度低下を招くことは、何よりも避けねばならないことだった。
当時の国民は若いから、階段の上がり下がりなんて大きな問題ではない。だから全国各地に歩道橋を作り、人々の景色の中で、歩道橋の存在が当然のようになってきた。
そこでふと思った・・・。
あれれ?オークランドに戻って車の運転をしながら再度周囲を見回した。
オークランド空港を出てから幹線道路に出るまで。高速道路を走り市街地へ。市街地からシティに入り、再度高速道路に乗る。橋を渡りすぐのジャンクションで一般道に入る。自宅へ到着。
やっぱりない。歩道橋がないのだ。空港から自分の家まで、一つも歩道橋がないのだ。
シティもすべての交差点は信号であり、後でよく調べたらオークランド周辺で唯一歩道橋と呼ばれるものは、高速道路の上をまたぐ、どうしても信号の作りようのない場所に数箇所あるのみで、(実際に僕の記憶ではノースコートのバスセンターに行く為の、ガラス張りの完全に仕切られた、エレベーター付きの歩道橋が一つだけ)、この街には歩道橋と言う概念は基本的に存在しないのだ。
記憶を辿りながらシドニーを思い出す。あそこもそういえば、立体交差の道路はあるけど、日本のような歩道橋はない。
オークランドでさえないのだから、クイーンズタウンは勿論、クライストチャーチでさえ存在しない。
勿論これには人口密度の圧倒的な違いや、予定を完璧に実行する国民性の違い(つまりキーウィはかなり大雑把と言うこと)があるのだけど、う〜ん、キーウィは、街が発展しても歩道橋は作らないのではないかな。
そんなもん作っても使いません、自己責任で左右を見て道路を渡りますって事になるのだろう。
香港にも歩道橋はあるが、多くの人々は道路のガードレールを乗り越えて車の間をすり抜けるように横断している。
結局日本人の強さってのは、国民が社会全体の成長のためには我慢できる人種であり、皆が統一したルールを守って、一人ひとりが弱くても団結して強さを出せる国民性があるって事の、一つの証明なのだろう。
ただ、最近の少子化や老人の増加と電気制御技術の向上で、歩道橋は姿を消しつつある。その社会的使命を終わらせて、老朽化した歩道橋や閉鎖した学校の前の歩道橋は、耐用年数が過ぎたら解体する方向にある。
ちなみに解体に要する費用は、大体300万円との事。
ご案内:
9月14日(日)に東京で第33回NZ移住説明会を行います。