2008年08月14日

中国民用航空とニュージーランド航空

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僕が初めて中国民用航空(CAAC)、略して民航(CA)に初めて乗ったのは20年以上前だ。

 

古い旅行業界の連中なら知っていると思うが、1980年代の中国旅行手配は中国国際旅行社(CITS)が独占してて、とにかくツアーを組んでも、東京から北京までのフライトと、帰路の広州から香港に戻る便だけが決まってて、後は全く白紙と言う時代だった。

 

意味が分かりにくいと思うが、要するにミステリーツアー、どこに泊まるのかは当日にならないと分からないのである。今日行く先が万里の長城なのか天安門なのか、とにかくその日にガイドに言われたところに行くだけ。

 

旅行費用も、一日1万円でチンタオビールのみ放題とだけあって、どんなクラスのホテルなのか、何を食えるのか全く不明。

 

そんなもんだから、勿論飛行機も列車も、座席指定なんてあったものじゃない。

 

「当然です!共産主義国家であり、世界で一番偉い国を見て回るんだから、黙って私の後を付いてきなさい」 なにせガイドが国家公務員であるのだから、皆さんお話することが立派である。

 

ましてや、座席がどこに坐ろうが、要するに目的地に着けばいいんでしょ、何をでれでれと、家族だから一緒に坐りたいとか甘い事を言うのだ!国家が世界制服をするときに、そんな戯言を言うなんて何事!みたいな話だ。

 

まあ、これを言い出したらきりがないので話を航空会社に絞って見る。

 

香港から北京に飛ぶ民航は、1990年代初期は座席指定がなかった。とにかく来た人間にどんどん坐らせる。団体なので事前座席を依頼しようが関係ない。とにかく詰め込みをして、あとはお客同士の話し合い、てか、座席の奪い合いを平気で国際線でやるのだ。

 

ほんと、座席番号が何番であろうが関係ない、とにかく機内に乗り込んだら、自分の好きな席に好き勝手に坐るのだ。座り込んだ奴に自分の座席番号を見せて「どけ!」と言っても、逆に「あっちが空いてるんだからあっちに坐れ!」である。

 

そして機内乗務員も、「あんた何言ってるの、どこでもいいから早く坐りなさい!」なのだ。

 

この時の彼ら、つまり中国人乗客と航空会社職員及び機内アテンダント、彼らの息はぴったり合ってる。同じ哲学を共有しているのだから、誰もその状況を疑問と思わない。

 

要するに人間を貨物の一種と考えているのだ。その機内で快適さを味わってもらおうとか楽しんでもらうとか、そういう発想が根本的にないのである。ある物体がポイントAからポイントBに移ってしまえば、それでOKなのだ。

 

乗客も自分を貨物と納得してて、航空会社の人間とは喧嘩せず、貨物が他の貨物と喧嘩して座席を奪い合うのである。何故なら「航空会社の職員は偉いのだ。座席指定など客同士が適当にやっとけ、嫌なら乗るな」と言う共通認識が航空会社と乗客の双方にあるからだ。

 

だから、彼らにとっては航空会社とはホスピタリティ産業ではなく運送業なのだ。

 

こういう精神ってのは、時代が経って2008年になっても、何が変わるわけではない。

 

それを今回体感したのは、ニュージーランド航空に久々に乗ったときだ。(実際に搭乗したのは7月末です)

 

青酸カリの甘酸っぱいアーモンド臭は、生まれつきに感じる人と感じない人がいると言う話を聞いたことがある。

 

ホスピタリティも同じで、どんな事にも感謝出来る人は幸せである。ただ、これを商売として30年やってきた人間からすれば、勿論どんな事にも感謝の心を持つことを前提にして、「でもプロとしてどうなの?」と感じることがある。

 

航空会社を運送会社と思うなら、定時に出発するニュージーランド航空はちゃんとしているだろう。しかしホスピタリティ産業と思うなら、これは全く視点が変わる。

 

やっぱり社会主義国家の毛色がまだ残っているのだろう、「俺が決めた飛行機にお前が乗れ。俺がメシを食わせるから黙って食え、お前がどうのこうの言うな」である。

 

そして「俺は労働者だ。お前らの為に12時間も黙ってサービスするつもりはない。俺がメシを食ってるときは呼び出すな」である。

 

これは文句ではない。それはそれで一つの立派な社会主義国家を建設する為には大事であり、尚且つ労働者であろうが乗客であろうが同じ人間なんだから、相手を思いやれって事だろう。

 

でもさ、だったら最初から、「うちは人間輸送会社です」と言えよ。偉そうにホスピタリティ重視とか、、美味しいご飯を作ってますとか、嘘を言うな。あ、嘘ではないな。やってる本人は本気で信じ込んでるんだから。

 

結局中国の民航と全く同じなのである。時代は変わっても社会主義的発想は何も変わらない。

 

結局、経済改革によって市場原理主義が導入されてNZ航空は民営化されたものの、まだ航空会社の多くの人々の頭は昔の社会主義のままって事だ。

  

これ、感じない人からすれば「何言ってるのあんた?」って事になるけど、どういえば良いのか分からんが、世の中の大体の理不尽な差別を受けて苦しさとか階級の壁の重さを見てきたら、どしてもそういうことに敏感にならざるを得ない。

 

そんな視点から民航、じゃなかった、ニュージーランド航空を見ると、どうしてもこりゃ「貨物輸送会社ですね」と思わざるを得ないのだ。

 

じゃあお前が乗ってるキャセイ航空はどうなんだって話になるけど、キャセイ航空の場合は、最初からはっきりと「うちは人種差別はしません、金種差別です」と明確なポリシーを出した上で、商売としてホスピタリティをうたっている。

 

だから機内サービスは明快である。乗客の為にキャビンアテンダントは働いている。空中のホステス(空中小姐)である。金を払うのだ、当然サービスを提供しなくちゃ。

 

それに対してニュージーランド航空は、働いている人は良い人なのだろうが、根本的に社会主義なのである。金を払おうが払うまいが、そんなのは関係ない。同志なのだから、俺がやることに文句を言うな、なのだ。

 

サービスとは何かを全く理解出来てない上層部が、サービスを受けたことがない現場スタッフに教育をするわけだから、本当のサービスが成立するわけがない。

 

いやさ、再度言うけど、別に彼らの批判をしているわけではない。ただ、やってる事と言ってることがずれてますよって事の指摘である。運送会社なのだから、日通とか佐川急便のように「定時到着!」とかをお客に案内すればよいだけなのだ。

 

それを他の航空会社がホスピタリティとかサービスとか言うから、意味も分からずに表面だけ真似をしてしまい、「うちもホスピタリティ!」とか宣伝するもんだから、乗るほうもついつい期待をする。「お、もしかしてサービス産業かも?」

 

ところが蓋を開いて見ると、何のことはない民航だ。

 

嫌なら乗るなって話になるよね。でもそれを言い出したら公共交通機関ではないよね。

 

ニッチなビジネスをやってる、例えばラーメン屋の「次郎」は、「これがうちのラーメンだ、嫌なら食うな」は分かる。他に選択の余地があるからだ。

 

しかし日本とニュージーランドを結ぶ航空会社はここしかないのだ。他に選択の余地がない中でまずいラーメン食わされた気分だ。

 

そうは言ってもオークランドから東京なら、経由便であれば選択肢はたくさんある。アジア経由便は直行便よりも4時間程度余分に時間がかかるけど、4時間なんて寝る時間の調整でどうにでもなる。

 

「早いですよ直行便!」なんて、人生で4時間くらい、いつでも取り戻せる。それよりも12時間も不愉快な気分を抱えて精神的抑圧を感じるほうが、よほど体に悪い。

 

国内線ならオークランドからクイーンズタウンまでも1時間30分だから、まだ我慢も出来る。口を聞かずにずっと本を読んでればよい。しかし、密閉された空間で12時間も社会主義者と付き合いたいと思えない。

 

いやさ、彼らがもし本当に社会主義者なら、まだまし。社会主義者のふりをして仕事の手を抜く、そして飛行機を持ってると言う権力にしがみついて乗客に対して強気に出る、昔の中国やロシアの官僚のようなエセ主義者なのだから嫌になるのだ。

 

一体何があったの?_て、別に何か特別なことがあったわけではない。彼らの多くは友好的だし笑顔が素敵だし、よく気軽に話しかけてくれるし、社会主義者だ。それも自分で気づいてないほど洗脳された社会主義者ってだけだ。

 

じゃあ何があったの?_だ〜から、何か特別なことがあったわけではない。

 

ただ、7月の出張はたまたまビジネスクラスで、空港では優先チェックインが出来ると書いているのだ。立派なものだ。

 

ただ、優先チェックインカウンターは一つしかなく、そこに長い行列が出来ている。隣の普通チェックインは窓口を6個くらい空けてて、どんどん流れてる。

 

エコノミーの乗客を捌いているスタッフに、「こっちは全然流れてないし待たされてるんだけど、ちょっとおかしくない?」と聞くと、ぶすっとした顔で「そっちは私の担当ではありません」だって。まさに社会主義。

 

座席指定を事前に行ってても、当日は彼らの都合で適当に座席変更されている。だって、彼らの都合で座席を組み合わせてるんだから、客が偉そうなことを言うな、である。

 

そして東京からオークランドに戻る真夜中の機内で食事中に、ウイスキーを一杯欲しいと言ったら、「よし、僕のこの仕事が終わったら作ってあげよう」である。その仕事は料理をお客に配る仕事であり、それがすべて終了するまで、つまり最低30分は待たねばならないのだ。自分で作ったほうが余程ましだ。

 

プレミアエコノミーと言う座席を作ったり、ビジネスクラスのシートをフラットにするけど、スタッフがたった2〜3人では、どうにも回らないでしょ。ハードの部分で作りこんでも、結局ソフトの部分がどうしても社会主義者なのだ。

 

何度も言うが、社会主義を否定してはいない。ただこの場合、他の言葉、例えば「時代遅れ航空」とか「思いっきり勘違い航空」とか「プロのサービスを知らない人間がやってる素人会社」とか「スタッフも乗客も同等、だからお前も我慢しろ航空」とかで表現すると少し意味がずれるので、総合的に説明しやすり社会主義という言い方をするだけで、社会主義には良いところもたくさんあるのはよく知っている。

 

ただ、サービスをプロとして提供すると言う視点で見ると、やっぱりニュージーランド航空は人民同志の航空会社なのだ。

 

今回も(つまり8月)国内線でニュージーランド航空に乗ってクイーンズタウンに向かう機上でのことだ。韓国からの旅行団体客が20数名乗ってる。あまり海外旅行慣れしてないのは、一目でわかる。

 

一人のおじさんがスチュワーデスに2杯目のコーヒーが欲しいとたどたどしい英語で言うと彼女、無表情で振り返って、「If I have a time」だって。そのスチュワーデスは、それからずっと同僚と機内後部でおしゃべりをしてた。

 

「だ〜から、一体何が悪いの?」

 

悪くはないのだ。彼女は1時間30分のフライトで皆に飲み物を出して疲れているし、友達ともおしゃべりをしたいし、大体一人にコーヒーを出して、機内の全員が「もう一杯」となったら、そんなのやってられない。

 

だから労働者の判断としては正解なのだ。それで良いのだ・・・・・・・。

 

第一多くの人々はそれで満足しているのだから、お前も黙って満足しろって事なのだけど・・・。

 

説明のしようがないので、一度ニュージーランド航空の自動チェックイン機械(航空会社が人件費削減と顧客管理のうざさを避ける為に作った機械=決して乗客のためではない)で家族でチェックインしてみればよいと思う。そしたらあの機械が誰の為に作られたのか、よく分かる。

 

「あれ?あなたたち、一緒に坐りたいの?」うざったそうなその言葉を日本のハネムーナーにぶつけてみろって。

 

勿論座席の組み合わせでどうしても坐れない事もあるだろう。しかしサービス産業であれば、基本は一つのグループは固めて坐らせるのが世界の常識。そうなるようにシステムを作るべきである。ところがこのシステム、そこを重視してない。自分の飛行機の離陸時のバランスだけ考えているのだ。

 

つまり、牧場主が羊を一箇所に追い込む為に牧羊犬を使うように、飛行機主は乗客を追い込むためにシステムを作る。そこに顧客視点は存在しない。

 

でも、乗客からすれば離陸時のバランスとかよりも、家族と一緒に坐って飛行機の中でおしゃべりもしたいだろう。結果的に駄目なら仕方ない。しかし最初から駄目とは意味が全く違うのだ。

 

もちろん他に選択の余地がなければ、僕もニュージーランド航空に乗る。それは否定しない。でもそれは、世界中に食べ物が玉ネギしかなくなった時に、死ぬほど大嫌いなたまねぎを食べるようなものである。

 

世界中で食べるものがたまねぎしかなくなった時・・・・食べるかな〜?

 

今度機会があれば、青酸カリを嗅いで見よう。僕はアーモンドの香りを感じるのだろうか?

 

写真はファンショー通りにあるニュージーランド航空のオフィスです。



tom_eastwind at 00:02│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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