2008年08月20日
一人で頑張ってる大人たちへの、小さな恋のメロディ
読了。表紙はおふざけだけど、1ページ目を開いたとき、のっけから「いいな」って思う。
今の時代の恋の中編集。か細くて繊細で、でも強くて、社会に巻き込まれながらも自分の道を探している、そんな素敵な若い大人や大人になろうとしている人たちの恋の物語。
***本文から抜粋編集***
「どうしたの?」
「うん・・・」
今日の真介は、なんとなくふさぎ気味だ。そして生返事が多い。
「どうしたの」
もう一度聞いた。いつになく自分の口調が優しくなっていることに気づいた。
「俺さ、ああ、こういう感じっておれ、しばらく忘れてたなって思った」
「そう?」
「うん」
それからテーブルの上にあった陽子の煙草を、意味もなくいじくり始めた。
「ひょっとしてしょげてんの?」
「しょげてない」
この感じ。やっぱりこいつはしょげてる。昔に忘れ去った何かを、妙に懐かしがっているような雰囲気。
陽子は少し考えた。
なら、今日はちょっとだけ優しくしてやろう。
ただし今日だけだ・・・。
**抜粋終了**
真介は最近流行のリストラ請け負い会社の面接官、つまり首切り担当だ。
陽子は42歳、一生結婚はしないと決めて都内にマンションを買い一人暮らしをするキャリアウーマン。今は8歳年下の真介とつきあってる。
そう、これは山本周五郎賞を受賞した垣根涼介の名作「君たちにあすはない」の続編なのだ。
真介は34歳、地方から上京して好きな道を目指すも、途中で挫折。それから営業職やったりして今の首切り人の仕事に就く。何をやらせても誰よりも要領よくこなすし冷淡にもなれる、同時にばっかみたいにとても明るいんだけど、心の中のどこかに、どうしても棄てられないものがある。
そんな二人を軸として、首切り現場で会う様々な人が、まるで人生の切り絵の走馬灯のように一瞬だけ姿を見せては去っていく。
そこには現代社会の歪が描き出されている。
借金取りの王子はサラ金の店長。
有名デパート外商での現場の首切り。
大手生命保険会社で人間性をすり減らしながら働く30代サラリーマン。
切る方も今の時代のあだ花のような商売だし、切られるほうも今の時代に擂り潰された人々だ。
この本の主題は重いけど、最近流行っている蟹工船的な社会への反抗ではない。最初から一人称で自分の物語が進む。要するに人とつるんでないのだ。
一人で生きてきて、いつも自分の目の前に立ちはだかるものがあって、そいつを力づくでぶっ壊しながらも、ぶっ壊すなんて良くないんだよね、そんな事しなくても生きていけるような世の中じゃないとおかしいんだよね、そう思ってる自分がいる。
でも、だからと言って蟹工船のような、共産党に入って社会を変えてやるとか、そんなのはない。この社会も、それなりにいいじゃんか。少し頭に来るけど、殆どの人は良い人ばかりだよ。
だから、優しくなるために強くなろう、人の事を考えるだけの余裕を持てるように力を持とう、そうやさしく話しかけてくるのだ。
そう、これは司馬遼太郎ではなく山本周五郎なのだ。
司馬遼太郎のように「国運がかかった大騒乱」のような派手さを狙った内容ではなく、その騒乱に参加するしかなかった市井の人々が、その夜何を食べてどんな話をしたか、その時長屋の隣の部屋では若い子連れの夫婦が将来をどんな風に夢見てたか、そんな事を書くのが周五郎だ。
「君たちにあすはない」が山本周五郎賞を受賞した時に、垣根の多くの初期からの読者は「違うでしょ、おれが読みたいのはワイルドソウル」とか「ヒートアイランド」を期待しているんだ」と言う書評があった。
でもそれは、ある意味作者に対して「同じ芸を何回もやれ」と言ってるようなものだ。作者は進歩したい。いろんなものを書いてみたい。だけど読者は時々とても自分勝手になるんだよな。
個人的に受けたのは、物語の中で関越自動車を川越から越後湯沢に向けて走る場面。
「だって一昔前のスキー街道だもん」思いつくまま陽子は言った。
こんもりと木々が覆った赤城山の山頂が、やや色づき始めている。
湯沢インターを過ぎた時点で、それまで無人地帯に等しかった山間の景色が突如として変わる。十階建て、二十階建ては当たり前の高層ビル群が田んぼの中に広がり始める。
ほとんどが80年代後半のバブル末期に建築されたものだ。
「あのさ−、スキーって昔、本当に流行ってたの?」
「むかーしね」
陽子は答えた。たしかにそうだ。あの頃は日本国中が浮かれに浮かれて、夏は軽井沢で避暑、冬は越後湯沢でスキーというのが友達との小旅行の定番だった。
でも、本当にもう昔のことだ。今ではもう世紀さえ変わっている。
**編集抜粋終わり**
あの道路、スキー客用だったのか〜。そうか、バブルの頃は、この道路ってスキーに行く人で溢れてたんだろうな〜。
関越自動車道が全面開通したのは1985年。そしてバブルが始まった。
Amazonの書評でこんなのがあった。
「久々に出会った、読んだ後に幸せな気分になれる本でした。ちょっと生ぬるいかな?とは思いますが、心がホワっとなる作品です。」
20歳前のような世間知らずの小娘でもなく、かと言って人生を投げ出してしまったようなおばさんでもなく、その間で一生懸命自分の為に活きようとしている、そんな人向けの本。
どこから読んでも楽しめるけど、どれか一つとなれば迷わずに「借金取りの王子」です。中篇集なので一篇が1時間もかからず読める、長編が苦手な方にもお勧めです。