2008年09月20日

はだしのゲン

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りょうまと一緒に「はだしのゲン」アニメを見る。

 

てか、出張が終わりオークランド空港に到着して会社でちょっと仕事をして自宅に戻って風呂に入り、やっと一息ついたとこでソファに坐ると、りょうまが何故かアニメを見ている。

 

 

そのアニメが日本語でやってたので何気なしにちらちら見てると、こりゃどうも広島弁のようだ。そのうちりょうまに「君は何見てるんだ?」と聞くと「日本のアニメ!」と答える。

 

もう話しても無駄なのでパッケージを見ると、何と「はだしのゲン」ではないか。英語版で普通にニュージーランドで販売されているのだ。

 

この漫画は僕の子供の頃に出版されて、リアルタイムで読んでた。そう思い出してwikiで調べると、最初は1973年、少年ジャンプで連載が開始されたとの記録。

 

一番感性が豊かな時期にあの時の少年ジャンプと巡り合えたのは運が良いとしかいいようがない。

 

当時の少年ジャンプは後発漫画週刊誌だったけど、そのレベルの高さは今思い出してもぞっとするくらいだ。

 

何せ毎週毎週発売される漫画雑誌なのに、どの掲載作品も質が高い。てか、あの当時に質の低い漫画なんて到底生き残れなかった。

 

もちろんマガジンもサンデーもレベル高かったな〜。今の漫画やアニメや実写映画などを見ても、原型はすべてあの時代にあるって感じがする。

 

書き出したらきりがないから「子供と終戦」だけをテーマにすると、あの時代の最高峰は(漫画が原作ではなかったが)「火垂るの墓」と「はだしのゲン」だろう。

 

戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さ、そんな体験を子供の目から見た作品であり、一生懸命に生きようとする子供たちの姿は、漫画やアニメ、小説、その媒体や言語を超えて世界中に広がった。

 

「火垂るの墓」は、今でも絶対に見たくない。涙が止まらなくなるからだ。みっともない。

 

ところが「はだしのゲン」は原作以来ずっと見てなかったので、ついついりょうま君と肩を並べて見てしまった。

 

やっば〜、これもダメじゃん・・・涙が止まらなくなる。呼吸をしようとすると胸につっかえがきてしまい、声を出そうとすると涙腺がゆるむ。

 

政治のレベルで考えれば人が戦争で死ぬのは理解出来る。しかし、目の前でこのような絵を見せられると、出来る限り戦いはせずに話し合いで片付けたいと思う。

 

同時に、話し合いだけで世の中がすまないこともよく分かっている。だから、相手が喧嘩したくなくなるような強い人間にならないといかんと思う。そういう気持ちを少しでも人に持たせることが出来る、素晴らしい作品だ。

 

この映画は反戦とか平和とか、そんな物語ではない。生き残る為の戦いを描いている。仲間を守る為に戦い、生き残る為に戦う。

 

そんな姿の前ではどんな偽善ヒューマニズムも通用しない。死ぬような苦労をして生きてきた人間にとって何より腹が立って嫌いなのは、上っ面だけの偽善と上っ面でヒューマニズムと言いながら自分だけは守ろうとする連中である。

 

立派なことを言うんなら、自分の資産と土地を全部差し出してみろといいたい。自分を捨てる事が出来もしない人間が偉そうにヒューマニズムなど、言うな。

 

りょうまが「はだしのゲン」を見ながら、時々目をうるませている。

 

「お父さん、何でアメリカは原爆を落としたの?」、「お父さん、彼らはガンになったの?」、「何でアメリカは日本と戦争したの?」悲しそうな顔で分からない事を聞いて来る。

 

勿論英語だ。英語で戦争の話をしてあげる。結局言葉の問題じゃない。心の問題なのだ。日本人だから分かるとか米国人だから分からないとか、そんなことじゃない。英語でも伝わる。良いことだ。今のうちに豊かな心を持ってもらいたい。

 

日本には、こんな素晴らしいアニメ文化がある。政府も下らないことに金を使わず、こういう本当に世界に通用する文化の背中を後押ししてもらいたいものだ。

 

聞けば麻生さん、外務大臣の頃に「はだしのゲン」の英語版アニメを核拡散条約の会議の際に各国に配布したそうだ。

 

 



tom_eastwind at 00:24│Comments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 | 日本

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