2008年10月20日

死神の精度

死神の精度 (文春文庫 (い70-1))
死神の精度 (文春文庫 (い70-1))

 

文字変換が最近調子が悪い。

 

と甲ってナンだ?渡航ではないのか?

 

「今日の県は」って、NHK歌合戦か? 「今日の件は」って文字が出てくるようになったのはやっと先週後半から。学習機能低し。

 

何で文字変換、一昔前のほうがすきっと一発で出てたのになと思いながら池田ブログを読むと、これはアルゴリズムとか辞書機能とかの、要するに僕ら一般ユーザーが殆ど理解出来ない「あっち側の話」のようである。

 

例えば液晶テレビを知っててもリモコン使いこなしてても、テレビ局からどうやってあれだけの映像が電波と言う目に見えない波に乗ってこの受信機までやってこれるのか、説明出来る日と(人、だ)は少ないだろう。

 

それもどうやらマイクロソフトの技術開発陣があまり日本語環境を理解していないのではないかということ。

 

いずれにしても、Vistaになると更に「ずれ」がひどいようで、これを進歩と言うのかどうか。

 

ここまでは機械の話であるが、「死神の精度」は読んで味のある、そして素敵に楽しめる短編連作集。軽い会話、人生の重みのある言葉、街の情景を死神の視点から描きながら、生きるってナンなの?みたいに読者に投げ返してくる。

 

言葉遊びも面白い。一つだけ紹介すると、死神は人間社会の知識がないから、

「最近、雨が多いですね」

「俺が仕事をするといつも雨が降るんだ」私(死神)は打ち明ける。

「雨男なんですね」と彼女は微笑んだ(中略)

そこで長年の疑問が浮かんだ。

「雪男というのもそれなのか?」

「え?」

「何かするたびに、天気が雪になる男のことか?」

 

この小説では死神と言う視点からのみ「人間全体」を語ることが出来る。同じ人間が偉そうなことを言ってしまえば「それってどうなん?あんたが死んで見て初めて分かることよね」となる。

 

でもそれを死んだ奴が言うなら問題はない。こういう人間批判はロシア文学から始まったようだが、例えば馬の視点から人間を見るとかだ。

 

人はいつか死ぬ。その事をどれほどの人間がしっかり認識しているのか?いつか人は死ぬ。それなのに人間たちが持つ「人間たちの馬鹿げた約束事」は、全く矛盾しているではないか。

 

「長生き出来ますように」

長生きして何かを得られるような生活をしているのか?人生ではなく単なる時間を過ごしているだけでは?ギリシアの哲学者の言葉が出てくる。別に皮肉っているわけではない。死神の視点からは、何故長生きしたいのかが分からないのだ。

 

もし長生きしたいというのが人間が持つ動物性の部分の「種の保存」が目的であれば、長生きとは人間が持つ精神的な部分からは一番離れたところにあるものかもしれない。

 

一章から六章まで短編に分かれているから短時間で読書出来るし、言葉も楽しいので読みやすい一冊です。



tom_eastwind at 00:29│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

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