2008年10月22日
言ってる事と言いたいことの違い
今日は久しぶりに弁護士とのミーティングに参加する。ここ暫く全然彼らとの時間が取れずにスタッフ任せにしていたが、今回のお客様を入れたミーティング内容を事前に聞いて、あ、これは僕が参加したほうが良いと感じて、急遽の飛び込み参加である。
そこで話をしている内容を聞きながら、「あ、やっぱり!」と思った。
お互いに共通の言語を持っていないのだ。
もちろん英語をベースとして話しているし、その意味では共通の言語を持っているのだが、一つ一つの単語の持つ意味の理解が違っているのだ。
だから例えば当社スタッフAが「じゃあこれで大丈夫ですよね?」と聞く。
すると弁護士Bは「はい、大丈夫です」と答える。
Aの大丈夫は「絶対ですよね?」であり、Bの大丈夫は「多分」である。だから後になって「言った言わない」の話になるのだ。
これではお客様にご迷惑をおかけするのも当然だ・・・。
相手が何を言ったかではなく、何を言いたいかを理解する力は、会話力とでも呼べばよいのか、出来ない人間は悲しいくらいに出来ない。相手の言った字面だけでしか理解出来ず、その裏にあるもの、本当に意味するものが分からない。
そんなことを考えてたら、ある本に面白いことを書いていた。
「まず本質的なニーズを理解せよ」
この意味は
「今すぐに傘が必要である」 と言う言葉の本質的な意味は、
「風邪を引きたくない、濡れたくない」である。
「休暇を取って旅行に行こう」 と言う言葉の本質的な意味は
「家族の絆を強くしたい」だ。
みたいなもので、相手の言った言葉を理解する際に非常に重要だ。
お客にI’ll be back と言われて売り場で一日中本気になって待っている店員もいないだろう。
そしてもひとつ目立つのが、相手の話の都合のよいところだけ聞いて、他のところは都合よく忘れて「彼はああ言ったこう言った」となるパターン。
これは、本当に多い。
例えば、
「NZで生活出来ますか?」
「それは可能です、現実に4百万人が生活してますからね。
でもその為には人一倍努力して、最初は最低の生活で我慢して、友達もなかなか出来なくて大変ですけどetcetc、第一今住んでいる人々は、その親やおじいさんの世代に移住してきて、相続税がないおかげで子供たちに家を残す事が出来たから何とか楽しい生活を送ってるんです。
第一代移民の皆さんが行って、それと同じような生活は出来ませんよ
それに大きな問題は為替です。今は1NZドルが40円ですから日本から見れば安く感じますが、これが1ドル100円になったら全てのものが高いと思いますよetcetc」
と言っても、彼の頭には最初の一文しか頭に入ってない。
そして4年後に会った彼は僕に言う。
「話が違うじゃないですか!おれはNZで生活出来るんだ!豪華な家に住んで仕事もせずに政府のお金でメシ食って、毎日魚釣りできるんだ!と思ってたのに、実際に渡航してみると物価は高いし家は高いし、誰も僕に注目してくれないし誰も僕を偉いと言ってくれないじゃないですか!」となる。
「生活出来る」という部分だけを切り離して、そこに現在の自分の社会的地位、給与、名誉、などなどはそのまま自動的に付いて来ると思い込み、為替は今のままずっと変わらないと思い込み、つまり話の一部だけ聞きかじり、後は空想で頭を膨らませているとこうなる。
4年も経てば世の中は変わるし、そんな常識的なことをベースに持てない人は、とにかくとんでもない事を自分の頭の中で膨らませて信じてしまう。
とにかくどうして??と思うくらい勘違いしやすい人が多いのは事実である。
相手の言いたいことを聞き取る能力とか、自分が聞いてることが何なのかを理解する能力、あれは、一種の才能なんか?
もしそうだとしたら、才能がない人は大変である。
相手の言いたいことが分からないから、いつも的外れなことばかりやってしまう。
自分が聞いてることが理解出来ないから、いつまで経っても他人と話がかみ合わない。
どっちにしても良い事はない。少し勉強すれば?と言いたいところだが、どうしようもないのかな〜。