2008年10月26日

1984

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土曜日のクイーンズタウン行きの飛行機は満席だ。三連休のせいかもしれないが、とにかく機内でネクタイをしている人は一人もいない。

 

カップルや子供連れの家族がわいわい言いながら機内でのんびり過ごしているその中でパソコンを立ち上げているのはもしかして僕一人か?

 

以前から約束していた個人的な件もあり、1泊2日でクイーンズタウンに向かう。

 

130人くらい乗れる飛行機の中には金融業で働いている人もいるんだろうけど、見たとこ皆さん、機内では平和そうなお顔。

 

そりゃそうだ、例え金融会社が破綻しても、とりあえずNZでは生活が出来るし食っていける。この安心感ってのはやっぱり大きいと思う。

 

前の座席の乗客が広げている新聞では、マウントアルバートの住宅がかなり安い価格で売りに出てる。

 

左となりの座席では、お父さんのヒザの上に座ってるばぶばぶを付けた赤ちゃんがシートベルトをいじってる。お母さんはちょいとリラックス、かな。

 

スチュワーデスは知り合いの座席に座って歓談してるし、呼び出しボタンがなってもあまり気にしている様子はない。そりゃそうだ、次にいつ会うか分からない友達が同じ飛行機に乗ってるのだ、知らない人のピンポンなんて相手出来るかよ。

 

これから世界は大幅な信用収縮に向かう。つまり世界的なデフレが始まると言うことだ。日本は既にデフレに入ってるけど、これがさらに広がる。

 

今考えているのは、この金融危機の後の世界がどうなっているのかってこと。

 

これから信用収縮が始まる。クレジットクランチと言えば響きは良いが、要するに世界中の様々な生産設備が縮小していくのだ。

 

人々はモノを買わなくなりその結果工場は閉鎖され失業は増えて、さらにそれが生産減少に繋がり失業が増える。

 

「米国の1920年代の金融恐慌では国内総生産が50%落ち込み、物価は32%下落、失業率は24%に達した。1929年に3.2%だった失業率はその4年後に24.9%に跳ね上がった」(日経ビジネス10月20日号引用)

 

セーフティネットのない今の日本で家族を抱えた旦那が失業したらどうなるだろう?電車にダイブしても、加入していた保険会社がお金を払ってくれなければ終わりだ。

 

そんな中で生き残っていけるのは、よほど目端の利いた奴か、大企業の中枢にいて企業人になりきれる奴か、役人だろう。

 

少なくともこれから一年はジェットコースターだし、その間に何が起こるか誰にもわからない。とにかく自分の身を守るだけで精一杯だ。

 

ただ、この金融危機を抜けた後の世界は何となく見えてくる。新たな社会秩序が出てきて新たな金融ルールが決まって、、、そして米国の時代は終わる。

 

世界は3つに分かれる。欧州とアジアと米国の3極体制だ。その時に日本がどの立ち位置なのか分からないが、出来れば中国と肩を並べて円が世界通貨の一つになればと思う。

 

ただそんな世界の波とは別に、日本国内では懐古主義と言うか、いつか来た道に戻るような気がする。

 

まず言えるのは地方金融の再編成。これは日本だけでなく世界中で起こるだろう。ただ日本ではその結果系列化が進み政府の銀行に対する関与が今より大幅に高まる。

 

そして肥大化した金融業は自分が作ったルールをすべての企業に押し付けて、結局は政府がすべてのビジネスを官業にしてしまうだろう。

 

そうなれば人々の生活はますます国家に従わざるを得ず、そこには国家に対する尊厳もなければ国家の威信もなく、あるのはただ国家に逆らってはいけないと言う恐怖心のみ。

 

そんな世の中ではすべてがルール化されて、人間が国家の歯車になる。

 

ジョージオーウェルの「1984」を読んだのは高校生の頃だ。

 

あの頃は本当にいろんな本を図書館から借りて読んでたが、その中でも衝撃的な一冊だったのが「1984」だ。

 

しかしまあ、1984が世界中に広がるのは実際には起こりえないと思う。東洋だけなら、そして国境があればあり得るかもしれないが、21世紀のように国境が事実上消滅してしまえば、良い意味で西洋の個人主義ってのが世界中に広がっており、そいつが食い止めてくれるだろうと思うから。

 

それくらいは人間の良識を期待したい。



tom_eastwind at 21:33│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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