2008年11月20日

米国との距離感 オバマと厚労省事件

bc305cd1.JPG

オバマが大統領選挙に勝って来年から米国大統領となる。地上最強の、てか誰がやってもブッシュ以下にはならないでしょうって状態でのデビューだから、本当は喜ばしいことかもしれない。

 

けどどうも、今の政権の終わる前にいろんな時限爆弾を仕掛けておいて、民主党の星オバマの在任中に、溜まったいろんな膿を一気に噴出させる共和党の作戦かもしれない。でもってオバマが悪いってことにして、次の次で共和党が大統領を狙うのかもしれない。

 

米国大統領とは言ってもやはり国民の支持あってであり、国民の支持を得るためにはマスコミを味方につけねばならないが、そのマスコミはユダヤ財閥に牛耳られている(マスコミだけではないけれど)ので、ユダヤ財閥の意見に簡単に逆らうことは出来ない構図。

 

なのでこれからのオバマ、国民の支持と財閥の要望を同時に取り入れての政策運営はとても大変だろうことはよく分かる。

 

けど問題は日本だ。この機会に米国から距離を置いた外交を展開できるのか?今まで米国の占領下にあった日本が、これから自分で餌をとれるかどうかの問題で、それは恐らくかなりの自立した勇気が要求されるし、それは普通の日本人が最も苦手とするところだ。

 

記事抜粋:

別の外務省幹部は「米国のアジア外交の基軸は引き続き日米同盟だ」と反論する。「日米は自由・民主主義、基本的人権の尊重、市場経済の推進といった価値観を共有している」(5日の首相談話)からだ。ただ、「外交は最初が肝心だ。来年1月の大統領就任後も日本の政治の混乱が続き、米側の期待に応えられなければ、オバマ氏の目は中国に向く」として、「ねじれ国会」が外交に影響するとの指摘がある。日米の外交・安全保障の課題には、アフガニスタン支援、北朝鮮問題、米軍再編など、新大統領が就任後、ただちに直面する案件も多い。

抜粋終了:

 

自由;日本でも米国でもある程度の自由があるのは政治権力や金やマスコミを握った一部の人々だけですよね。

 

民主主義:国民をバカの塩漬けにしておいてどこが民が主なのか、全くよく言うよ。

 

基本的人権の尊重:政府のいう事を聞いたらね。いう事聞かなければほりえもんや村上みたいに潰されたり、公害で人が死んでも人権は尊重されない。

 

市場経済の促進:嘘もここに極まれり、ですね。保護主義経済、恣意的な政府の行政指導、一体どこが市場経済なのか、普通に恥ずかしくないか?

 

等等、発言した官僚が本気で言ってるならほんとのばかだし、もしわざと嘘ついてるなら大した役者だ。

 

けどまあそんなことはどうでも良いことで、今回のオバマに一つ期待出来るのは、彼はどうやら労働者の味方であるという点だ。彼はシカゴの下町で貧困層の為に一生懸命働いてきた。そしてシカゴの下町ではどうしようもないからと政治の世界に身を乗り出した。

 

金持ちには貧乏人の気持ちは、ほぼ絶対と言って良いほど理解不能である。

 

あの複雑な心理は今の社会の不平等に対する怒りと自分に対する甘えと諦めと、もしかしたら自分にも出来るんじゃないかって少し思った瞬間にくしゅっとつぶれてしまう弱さと、でも出来れば人には頼りたくない気持ちと、いろんなものが混ざっている。

 

そんな貧困の現場を見てきた彼なら、労働者同士の連帯が理解出来るのではないだろうか?一昔前に平和を訴えたキング牧師は暗殺されたが、遅れて来た平和主義者のオバマがどこまでその理想を語り実行出来るのか、今回は期待出来る。

 

振り返って日本。とにかく平等と言うものは理屈ではなく肌で感じるものだ。人々が本当に不公平だと思ったら、それは革命に発展する。

 

今までの日本が曲がりなりにも民衆の革命が殆ど起こらなかったのは、江戸時代から最低限守られた平等があったからだ。どんな不公平に感じても、どこかで何とか帳尻が合う、日本はそんな良い国だった。

 

勿論江戸時代には一揆もあったし明治維新後も米騒動なんかもあったけど、それが国家全体をひっくり返すような革命に繋がらなかったのは、江戸時代で言えば武士、明治以降は官僚や政治家に自浄機能があり、それが国民の爆発の前に稼働したからだと思う。

 

なんてことを書いてたら、おいおい、米国を追っかけしてた日本でもついに米国並みの暗殺みたいなことですか!

 

元厚生労働次官が殺傷される事件が起こった。

 

「警察当局としても連続テロの可能性も視野に入れて捜査をしている。これが意図をもったテロならば、断固許すわけにいかない」

 

「仮に歴代幹部を政治的目的で狙ったテロとすれば許し難い。民主主義社会では断固としてテロは排除しないといけない」

 

「2件発生したことを考えるとテロ行為だ。平穏に暮らしている夫婦を刺し殺すというとんでもない行為は理解できない」

 

次々と政治家が意見表明する。

 

ある官僚はこう語ったそうだ。

「家族も巻き添えにするやり方は許せない」

 

けど彼らは福祉の狭間で擂り潰されて死んでいった人々に何の救いの手も差し伸べなかった。

 

不器用ながら一生懸命生きている人々に対して何の手助けもせず、彼らが電車に飛び込むのを防ごうとしなかった。そしてその家族は路頭に迷い、子供は将来を失い妻は失意のまま後追い自殺をした。そんな家族が巻き添えでなくて何なのだ?すべて政府の失政の結果ではないか?

 

そんな連中が自分の身内を殺されたときだけ声を荒げてこのようなきれいごとを言うのは、どう聞いても詭弁である。

 

米国においては日常的に金持ちが泥棒に襲われている。貧しい人々は教育を受ける機会も医療を受ける機会もない。そんな彼らが絶望にかられたら、残された道は強盗や殺人、いずれにしても犯罪の道に走るしかない。

 

子供の頃から社会の不条理を見続けてきた人々は、殆どまともな教育を受けていない。そんな彼らに「我慢しろ、頑張っていればいつか良い時も来る」なんて言って、それで彼らが我慢して頑張るなんてあり得ない。

 

そのような教育を受けていないのだから子供みたいな心のまま悪の道に走る。そんな彼らを止められるのは教育しかないが、社会的平等が喪失して教育が崩壊すれば必ず犯罪が起こる。これはいつの時代も同じだ。

 

今回の事件はあくまでも特別な例であるかもしれない。けど、本気で国民が怒れば、そして彼らが厚生労働省にデモをかけて建物に火を放ったら、警察が実力行使をして止める事は出来るか?同じ国民を殺すことが警察に出来るのか?

 

国民がたとえ一部でもデモや暴動と言う形で共同の認識を持って行動した場合、それはすでにテロではなく一つの国民行動であり、形式としては違法でも精神論として違法と呼べるのか?

 

本来国家は、そういう事の起こらないように国民を平等に扱うべきであった。それが一部の利益だけのために国家運営をすれば、国家に日常業務を託した国民としては、当然許すことは出来ない。

 

それが体制側によって体制を守る為の法律を作って官僚は何をやっても無罪となれば、そんな法律、誰がまともに守ってられルカという話になる。

 

その延長が、殺人さえも厭わないという無政府状態に繋がってしまう。

 

しかしその原因を最初に作ったのは誰か?その原因を無視していたずらに犯罪のみを強調しても、何の問題解決にもならないのは実は政府が一番良く知っているはずだ。

 

ある官僚はこういった。

「事件関係者から恨まれやすいのは覚悟しているが、家族が狙われるのは心配だ」と幹部から不安の声が出た。

 

それなら何故日頃から国民に向けた政治をしなかったのか?殺人を容認するものではないが、もし僕の家族が厚生労働省の失政によって命を落とした場合、僕がそれを「仕方ないですね、許しますよ」と言えるかどうか、正直言って分からない。

 

個人が人を殺せば殺人と言うが、国家が何もせずに国民が死んだ場合は「自己責任不足」であり「仕方ない」で済むのか?その矛盾が今目の前に出てきた。



tom_eastwind at 00:33 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!諸行無常のビジネス日誌  | 日本ニュース

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔