2008年11月29日
プラムアイランド
最初:
ワインショップでワインを選んでいるとその店のオーナーらしき人が声をかけてきた。
「どのようなワインをお探しで?」
「軽くてドライなのがいいですね。今晩の彼女との特別なデートで飲もうと思ってるんですよ」
「そうですか、ではこのソービニヨンはいかがですか?」
「美味しそうですね、ゆきこが喜びそうだ」
「ええ、それはもう彼女は絶対に満足していただけますよ」
「え?何であなたが知ってるの?」
次:
ワインショップで僕が持っているこの店の紙袋を見たオーナーが聞いてきた。
「ここで何を買われたのですか?」
「絵の描いてあるお皿ですよ。ガールフレンドとの今日の特別なディナーの為に」
「というと、どの?」
「ゆきこです」
「どのお皿かときいたんですよ」
こういう会話、嫌いな人には耐えられない不快さらしいけど、これが面白くて生きてる人もいる。
ネルソン・デミルの「プラムアイランド」は、まさに上のようなせりふの連続で、とにかく鋭く緊張感のある文体の中にこっそりと隠しこまれたユーモアのエッセンスがあるから楽しい。好き嫌いは分かれるんだろうけど、少なくともこの人が全米でトップクラスの作家であることは統計的事実。
「プラムアイランド」を読むためには、かなりの体力を要する。何せ「将軍の娘」なみに分厚いのだ。いや、将軍の娘が太っていると言うわけではない。それどころか将軍の娘はすげー美人でスタイル良くて・・・いや、話がそれた。
なので僕は自宅にこもり一人でもくもくと読み始める。週末にかけて一気に読まないと、週明けには気分がだらけてしまいせっかくの素晴らしいストーリーが楽しさ半減になってしまうからだ。
なので無理やり勝手に自宅に戻り本を開く。仕事は本を読み疲れた頃に開始する・・予定。
そういえばこういう会話が嫌いな人って、基本的に真面目な人が多いような気がする。
真面目な人と言えば、今まで会って話をしたヒトデ、じゃなかった人たちの中では、文章に書かれたことはすべて真実であり、例えば朝日新聞に「人が犬を噛みました」と書いてればそれを無条件に信用してそれを前提事実として「だから人間には口輪をしなくちゃいけないって、あれほど言ったんです」なんて話す人が多いのは統計的事実だ。
だから文章の中でユーモアが出てきても、それを「物語」として楽しむことが出来ずに、自分に向けられた一つの事実として捉えてしまうから、「何よ、あたしのほかに女がいたの!」と怒り出すことになる。
「だ〜から、ちがうっちゅうのに」
「違うってどういうことよ?!」
「ここに書いていることは誰かの脳みそが発酵して出来た空想だっちゅうの」
「何が空想よ!ここにちゃんとゆきこって書いてるじゃないのよ!」
それ、本だっちゅうのに。
考えて見ればインターネットの発達で掲示板が使われるようになったけど、あれもアル意味もちっと人々が活字文化に慣れて自分で考える力があれば、例え文字になっていても間違いには気づくだろうし冗談は理解出来るだろう。
やっぱり子供の夏休みの宿題は塾で10x10が100って暗記で学ぶよりも、「おい知ってるかい、来年から10x10は110になるってことだ。いいか、真実が何かなんてどうでもいい、受験で通ることがすべてなんだ」と子供に世の中の現実を教えることだろう。
世の中はルールを作る奴の方が、ルールを守る奴よりも有利なんだってこと。
それにしてもプラムアイランド。日曜までに絶対読了。