2008年12月14日

テレビの終わる日

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最近急にテレビを見なくなった。とは言ってもニュージーランドの話ではない。日本の話。

 

と言うのが、毎回日本に出張すればホテルに泊まるわけで、大体部屋にいる間はテレビをつけるのが僕の習慣だった。

 

昭和半ば生まれの人間の習性というか、あの頃は世間と自分を結ぶ媒体がテレビか新聞しかなく、何時何をしててもとりあえずテレビのスイッチだけは入れておいて、緊急のニュースとか面白い時代劇とかなんちゃらかんちゃらを流し見してた。

 

ところが今年になって、何故かテレビから出る音が雑音と聞こえるようになってきた。

 

雑音?なんでじゃ?と思い、流し見じゃなくてちょいと真面目に見た。すると分かった。

 

番組の質が無茶苦茶低下しているのだ。安物芸人が経済評論とか政治評論して、何か事件らしきものがあるとその本質や背景を全く理解もせずに、大手新聞が掲載したことをそのまま真に受けて金切り声でピーピーキャーキャーと騒いでるのだ。

 

これがまた程度の低い解釈で、それでいて芸人たちは自分が世間の味方、大衆の学者くらいの勘違いな顔をするからやってられない。ましてやその中でぎゃーぎゃーぴーぴーやってても、そのうち喋りながら「あれ?俺おかしくない?」と気づいてスタジオが一瞬凍りついたりすると、もう本業よりもお笑いである。

 

しかしそれにしても仕事中に女を殴ったり舞台で相手の頭を引っぱたいたり汚い言葉を吐いて下卑たことしか言えない人間が法律事務所がどうこうしたとか、まさに「あり得ん」レベルである。

 

そして一般の番組も「何チャラ旅殺人事件」とか、よくもあんな脚本と演技で視聴者を引き寄せられるものだ。

 

そしてもう一つ気づいたのが広告だ。異様なまでにパチンコ業界の宣伝が増えたのだ。

 

サンヨーと言えば家電製品と思ってたら実はパチンコ機械を作る会社だったり、海物語と言えば海賊でも深海の不思議でもなくパチンコ?ぱちすろ?台てな感じ。

 

僕自身まったくパチンコをしたこともないし興味もないしこれから一生する事もないから分からないのだが、テレビに広告載せて客が増えるのか?

 

興味のある人間はテレビ宣伝をしなくても来るだろうし、しない人間はテレビを見ても絶対に行かない。

 

あれは要するにパチンコ業界が社会的地位を高めたいがための自己陶酔用宣伝なのではと思ったりしている。

 

けど、何で最近になって急激にパチンコ業界の宣伝が増えたのか疑問に思ってちょっと調べたら、東京のキー局のパチンコ宣伝は元々「倫理的によろしくない」と言うことで受けてなかったらしい。

 

ところが最近の不景気で一般企業の広告が20%近く減少し、今まで広告を支えていた貸し金業界がほぼ全滅したので、背に腹は変えられずということでパチンコ業界広告を「解禁」したのだ。

 

2004年には年間で2066回しかなかったパチンコCMが2008年には20,000回!2万回ですぜ、約10倍。そりゃ目立つはずだ。

 

でもって、それでも売上が激減しているテレビ会社としては、ついに制作費の削減に手を付けて番組制作費を10%削減しただとか。それじゃあまともな人は出演しないだろうしまともな脚本も書ける訳がない。

 

つまり、広告の質が下がり番組の質が下がった。それがテレビ全盛時代に生まれた僕でも感じるようになったということ。

 

これ、やばいっすよ。

 

池田ブログでも取り上げられてるが、今テレビをまともに見るのは高卒で50歳以上の専業主婦だとのこと。NHKではそのあたりを視聴者ターゲットとして捉えてる。民放にいたっては更に酷いとのこと。

 

要するに見るほうがバカだから見せるほうもそれに合わせているのだ。だからまともに自分の頭で考えればあり得ないような内容でも、ある種の人々にとっては「信用のおける報道と、娯楽性のあるドラマや討論番組」ということになるのだろう。

 

お笑い芸人を安い金で雇い、すべてをスタジオの中でやってしまい、脚本、てかネタはその日の新聞から拾ってくるんだから、こりゃ費用は安いわな。

 

こういうのを日本語でなんと言うんだっけ?粗製乱造?

 

もちろん良い作品もあるんだけど、そういうのは対象としている視聴者の皆様には難しすぎて誰も見ないから視聴率が下がり打ち切りということになり、結局はボツ。

 

視聴率という実体のない悪魔に振り回されているから視聴者に合わせて社会の下部向けの情報発信装置としかならざるを得ず、その方向性はどんどん下に向けて進むという構造なのだ。

 

ところがテレビ局の社員と言えば見掛けは良いから業務内容やビジネスモデル自体が崩壊しててもとり合えず高い給料は貰えるし社会的地位も高いと思い込める。ある意味脳内満足だけで生きてるゾンビーみたいなもので、「実はお前はすでに死んでいる」状態なのだ。

 

地方のテレビ局はすべて実質赤字だというのは業界の常識。

 

その辺は電波利権に詳しく出てるけど、遂に東京のキー局でも日本テレビ、東京ローカルのテレビ東京が2008年9月決算で赤字となった。

 

5社すべてが大幅減益となり、下期も売上期待が出来ないから、恐らく日本テレビは来年決算では赤字に陥るだろう。

 

その分インターネットが発達しているのは、自分の行動を見てもそう思う。実によくパソコンを使っているからだ。

 

以前のインターネットでは能動的に情報を入手する必要があった。けど今は技術の進歩で、ある程度はテレビのように受動的に情報が入手出来るようになった。

 

予め興味のある記事や言葉を選んでおけば、その記事が出た時に自動的にパソコンにデータが送られてくるとかである。

 

もちろんテレビや新聞が全面的に消滅していくことはないだろう。いつの時代になっても一方的に情報が発信される仕組みは有効である。

 

ただそれが、今のテレビ局や新聞社の形として継続できるか、これは別問題である。そして今のビジネスモデル=無料番組を見せる代わりに広告を見てもらう=は崩壊していく。

 

と言うのが、テレビや新聞の本質は誰かに何かを伝える為の「媒体」だからだ。

 

企業が消費者へ商品を売ろうとするときの媒体は、今まではお店に商品を置くかテレビか新聞しかなかった。ところがインターネットが出来ると企業のウェブサイト自体が有力な媒体となり、テレビや新聞と言う「媒体」が不要になるのだ。

 

企業のウェブサイトへ呼び込む窓口としての媒体としてはテレビも新聞もいくらかチャンスはある。電車の吊り広告や屋外広告と同じレベルってことだ。

 

けどこんなのは音楽の世界ではすでに常識だ。昔はLPレコード、そしてCDという媒体を通じて音楽を入手していた。今はインターネットでそのままダウンロードしてパソコンで音楽を聴くのだからCDを買う必要がない。

 

つまり音楽会社とかCDと言うのは媒体にしか過ぎなかった。一番端っこにあるコンテンツ=歌手がその反対側にある購買者=聴き手が直接結びつくようになれば、途中に発生するコストはすべて無用となる。

 

最近になって一部の歌手は自分が直接サイトで歌い、気に入った聴き手はお金を払って直接パソコンにダウンロードすると言う販売方法が出てきた。こうすれば音楽会社の社員の給料やCDを作る費用を聴き手が負担する必要はなくなるから、随分安く購入できる。

 

コンテンツが重要であり、伝達手段が変化すれば媒体は滅びるか変化するしかないのは自明の理でその変化を誰よりも嫌がったのがテレビ局や新聞社であろう。だからこそ今、世の中の流れに逆流していくことで時代に押しつぶされようとしている。

 

皆さんの同期でテレビ局や新聞社に入社出来た人たちのこと「あいつ、すごいな〜」と思ってたでしょ。「あいつ、最後のコーナーで可哀相なことになったな、あの年でリストラかよ」という事になるのも近いですよ。とくに地方のテレビ局ではすでに崩壊は始まってます。

 

その代わりに出てくるのが、今ニュージーランドの自宅でよく見ている有料チャンネルだろう。例えばディスカバリーチャンネルは非常に優秀な報道内容でありまともな大人の視聴に十分応えてくれる。金を払って見る価値がある。

 

今僕は東京に出張してホテルの部屋に入っても、真っ先にスイッチを入れるのはパソコンだ。テレビはいつも音楽モードで、その時の気分でジャズを聴いたりするだけ。自分のパソコンに入れてる音楽を聴くときは、それさえもスイッチを切ってる。よほど面白そうな討論番組とか時間ごとのニュースくらいかな、スイッチを入れるときは。

 

それにしても、さようならテレビ(自己責任)、こんにちはインターネット(時代の流れ)である。

 

書き終わって気づいたんだけど、今年の1月7日にはこのあたりの本を読んだ時の感想ブログ「テレビがテレビでなくなる日」を書いてた。

 



tom_eastwind at 00:11│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

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