2009年01月21日

農業大国 その3

patumahoeパツマホエ(Patumahoe)と言う地名がもちろん英語ではないのは誰でも分かるだろう。

 

元々オークランドと言う地名はタマキと呼ばれていた時代がある。

 

それが1840年に白人がやってきてオークランドに船を乗りつけるようになり、ここに港町オークランドが成立する。

 

当時は帆船や蒸気船しかない時代で約100日かけて英国からオークランドまでやってきた移民。

★飛行機なんて飛んでないぞ、今の移民は恵まれてるぞ。

 

彼らは青い空と自由な大地と自分だけの農地を目指して、まだ一度も自分の目で見たことのないニュージーランドへ、家族と共にやってきたのだ。

★今のようにちょっと下見なんてできる時代ではない。恵まれてるぞ、今の世界。

 

当時の英国は産業革命の真っ最中と言うのはすでに書いたが、もっと問題なのは当時の社会構成だった。

 

英国の中のほんの一握りの貴族が世襲制で殆どすべての英国の土地を領有しており、中産階級を構成する教師、医者、経営者、自作農民などは、どれだけ働いても最終的には政府への納税と相続税で失ってしまい、ましてや自分の土地を得ることは出来なかった。

 

誰にとっても自分の土地は一つの象徴であり、男なら自分の家を建てることが男のしての役目を果たしたことになるし、女からすればやっと自分の城を持てたと言うことになる。

 

だから誰もが土地を求めたが、政府が提供出来る土地はなく、人々はいたずらにお金を消費するだけであった。

 

その上ロンドンには次々に工場が建つのだが、当然不足する労働者を英国政府は東ヨーロッパからの移民に頼った。その結果英語も満足に出来ない労働者が英国に渡ってきたのだが、当時の英国政府は、彼らはあくまでも労働者であり、生活保護や子供の就労等全く考えていない。

★なんだか外国労働者を抱えてる東洋の国と良く似てますね。

 

だからそのような人々が結果的に社会の最底辺に生きる「下流」と固定化されて、それがロンドンの治安を悪化させた。

 

高い税金、土地はない、おまけに治安は悪い。貴族に生まれなかった人にとっては行くあてのない先進国であった。

 

そんな1838年のある日、新聞に載った広告が載った。

 

「ニュージーランド移民募集中!1エーカー1ポンドであなたの土地が入手出来ます」

 

「狭いイギリスにゃ住み飽きた、僕もいくから君も来い」まるで戦前の満州に日本移住団が進出したようなもので、この広告を見た人々は次々に申し込んで第一期募集は一ヶ月で売り切れたと言う。

 

彼らは工場の排煙で薄汚れたロンドンの空を見上げ、かっぱらいが横行する道を歩くのを怖がり、安全に住める自分の土地を渇望したのだ。

 

そして彼らは決心した。よし、新天地に行こう、そして自分の土地を持って、そこを家族と一緒に耕すんだ。

 

とくに彼らの特徴は、非常に真面目で敬虔(けいけん)なクリスチャンであったと言うことだ。労働を尊び家族を守り大地と共に生きる、そういう人たちが集団でニュージーランド、まだ見ぬ大地へやってきた。

 

イギリスから灼熱のインド洋、南半球のオーストラリアを横目にニューギニアとの間を船は走る。そしてケアンズを抜けたあたりから更に2千キロ進んだところにニュージーランドがあった。

 

新天地!

 

dc5b2887.JPG長旅を終えた彼らは桟橋で船を下りると自分たちの手荷物を抱えてまっすぐクイーンストリートを上り、今もその名残を残すオキシデンタルホテルなど、今のバルカンレーンあたりで宿を取った。

 

写真は現在のバルカンレーン

 

そして久しぶりの堅い地面に感謝しながらシャワーを浴び、ホテルレセプションの壁側にあるボトルで作ってもらった酒を飲む。勿論カウンターの上にはタップビアが並んでいるから、ビールを飲む人もいる。

 

当時はまだシェリー酒もイングランド人が好んで飲む酒であり、ウイスキーはそれほど流行ってなかった。

 

子供たちはお父さんに買ってもらったレモネードを、カウンターに肘を乗せてゆっくりしているお父さんの足元に座り込んで、嬉しそうにチューチューと吸っている。

 

馬車周りには同じような移民家族が集まり、「おう、おたくは南ですか、うちは北のほうの土地を買いましてね」とか「今度買った馬は、なかなか走りが良くてですね、で、オタクの馬は?」などと会話が始まる。

 

 

奥さんたちは船上で仲良くなった友達と料理のレシピと共に住所を交換しながら、「手紙出すわね、またどこかで会えるといいね〜」とやっている。

 

そして翌日。街に出た彼らは、猟に必要な猟銃と弾丸を購入し、馬を選び馬車を買い、旅に必要な荷物をつぎつぎと揃えていった。

 

auckland densha

 

当時の主な移動手段は馬車だが、クイーンストリートやサイモンストリートには電車も走るようになってた。

 

 

今もキーストリートに残る古くからの建物は、その当時の貿易会社が建てたビルが殆どだ。今のフェリービルディングは当時の入国税関だった。そして免税品店DFSが入る建物は元の税関だ。

 

数日をオークランドで過ごした家族は、いよいよある早朝に旅館をチェックアウトして都会とも分かれ、南に向けて馬車を走らせる。荷馬車には充分な食料と毛布を積んで。

 

子供たちは無邪気にはしゃぎ、お父さんはこれから広がる未来にわくわくしながら(これは男性特有・獲らぬ狸の皮算用と言う:男性が良く罹る病気)、お母さんは「どうにかなるさ」と開き直って(これは女性特有の現実主義:明日の夢よりも今日のメシ)、今晩の食事はどこで作ろうかと考えている。

 

「〜遠い明日しか見えない僕と、足元の暗闇を気に病む君と〜」。「まほろば」と言う、さだまさしが歌う歌がある。

 

いつの時代も男と女の考えることは全然違う。それでも一緒にいるほうが良いから美しき誤解で片付く時はそれで良い。誤解が解ける頃には子供が出来て、母親は違う愛情の対象を見つける。

 

オークランドを出発した馬車は南へ南へと馬を走らせて、僕が数日前に車で走った道とほぼ同じ平原を下っていく。

 

そうしてやってきたのがオークランド南部の農場地帯、Patumahoeだった。他の家族はそのまま更に南に下り、ワイカト平野に広がる豊かな大地に向かって馬車を進めたりした。

 

森

 

当時はまだ灌漑も進んでおらず、とりあえず自分の買った土地の猫の額のような平地にテントを立て、翌日から大きな原生木が立っていた森林を切り開き灌漑を行い、少しづつ自分の農地を作っていったのだ。

 

当時の日本は江戸時代、鎖国末期である。

 

日本人がちょんまげを付けて攘夷攘夷と外国人に向けて切りつけてた時代に、ニュージーランドはすでに農業を中心とした国造りを進めていたのだ。

 

そして話は現代に続く。



tom_eastwind at 00:09│Comments(0)TrackBack(0)

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