2009年02月25日

卵と壁

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非常に危険な言葉である。村上春樹がエルサレム賞授賞式で受賞演説をした(何の演説かはいろんな人が書いている)際に使った言葉である。

 

 

村上春樹は世界で人気のある稀有の作家でありながら、濫読daisukiの僕がどうしても受け入れることが出来ないから困ったものだ。

 

何故かと言うと、彼の第一作「限りなく透明に近いブルー」をリアルタイムで読んだからだ。

 

なんて書いたら、あはは!バカジャン!と言われそうだ。

 

同姓で同じ時期に作品が出たので、なんだかいつも頭がごっちゃになるが、村上春樹と村上龍がぼくにとっては非常に苦手だ。

 

てか、「風の歌を聴け」でも「ノルウェイの森」でも感じたのが、こいつ、ずるいじゃんって事。

 

ここまで言い切ると世界の大小説家に対して大変失礼だし、彼をおっかけする読者が多いのでやばいくらいだけど、ただ自分が本を読む人間として、何故読むのかという点は常に忘れてはならないと思う。

 

その本が描きたかったことが例えば宇宙活劇だろうが恋愛だろうが、そのテーマにどうこう言うつもりはない。けど、村上春樹が世界に広がってそれが現実に影響を与えるとすれば、これはやばいっす。

 

彼の作品は、それこそ一時期のフランス文学と同じであり、カフカにしてもそうだけど、結局自分を虫にしたり暑いから人を殺したりと、大正時代の私小説に非常に近いものを感じるからだ。

 

志賀直哉の作品とかもそうだけど、読んでて「だからどうした!」と言いたくなるのである。

 

文章はすんごいうまいよ、村上直樹も志賀直哉もカフカも三島も。

 

村上文体の出来の良さってのは、それだけで芸術と言える。ありゃすごい。あれはもう、言葉という本来は人間間の意思伝達手段として使われていた素朴なものを、全く違う芸術品として昇華させたものだと言える。

 

そりゃ素晴らしい。

 

これを書くにあたってもう一度村上春樹を思い出そうとして会社に置いてあった「海辺のカフカ」を手に取るけど、やっぱり彼の文章はすごい。

 

もしかしたら彼は文字で人を殺せるのではないか、本気でそう思わせるほどの素晴らしさ。

 

そりゃ素晴らしいんだけど、けど、どうしても芸術技術としては最高の評価をつけたとしても、人間として絶対に認めたくないものがある。

 

それが、彼の作品を読んで「結局何?何が言いたいの?あんたは人を助けてるの?」と言う素朴な疑問だ。

 

彼が書くのは自由だけど、あれはもう凶器ですよ。あんなもの読んだ日には、神経の鋭い人は自殺するかもしれないよ。

 

人を殺すものが作品か?それならナイフや銃と同じではないか。

 

要するにそこには阿片窟で煙をくゆらせながらベッドに横たわり目をとろんとさせて独り恍惚に浸る喜びしかないのだ。

 

彼の作品は麻薬的なすごさであるが、けど山本周五郎や司馬遼太郎のようには僕の心を駆り立ててくれない。

 

多くの政治家や企業経営者は座右の本で司馬遼太郎を挙げる人が多いが、それは彼らの本が人に夢を与えるからだ。

 

人間は何故生まれてきたのか?どうやってこの社会を良くしていくか?それを過去の日本人をテーマにしながら、例えば「坂の上の雲」などで人々を鼓舞する小説を書き上げてきた。

 

山本周五郎は、「それでも人は人なんだよ、信じていこうよ」と言うメッセージを放ち続けてきた。その最高峰は短編ながら「裏の木戸は開いている」だろう。

 

三島由紀夫と同じ時期に本を書いてた作家で野坂昭如がいる。彼は「蛍の墓」で有名で、彼の文章もまた切り取ったら血が流れ出るのではないかと思うくらい凄まじい。

 

ちなみに僕は今でも「蛍の墓」は映画でも本でも漫画でも絶対に読まない。読めば泣くと知っているからだ。何度泣いても、次のページの筋書きが分かっていても泣ける、そんな文章だ。

 

野坂昭如はそんな自分を「売文家」と卑下していた。本を読めば、行間に垣間見える自分に対する羞恥心を感じて、実際に彼はそう思っていたのだとわかる。

 

そんな素晴らしい小説家の中にあっても、村上春樹の文章はすごい。けど嫌だ。

 

確信犯。これが彼に対する一番適切な言葉ではないかと思う。分かってて何もせずに言葉を弄んで、村上言葉で踊る人間を上からワインでも飲みながら眺めているって感じ。

 

この冷たさと言うか、何も作り出さない寂しさ暗さ、それはまるで底の見えない深い井戸の暗闇を覗き込んでいるような感じだ。

 

今回の卵と壁でも、すんごいそれを感じるのだ。今までは日本人相手に遊んでたのが、今回はイスラエルですかい。

 

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

 

言葉遊びジャンか。

 

村上ファンからすれば「ふざけんな!」と怒鳴られるのを承知で、それでもあえて「そりゃ違う」と言いたい。

 

子供の頃から本を読んできて、例えば18歳で車の免許を取りそれから毎日運転している人にとってハンドルさばきは殆ど無意識に行っているよね。そんな人が自分の車のハンドルにちょっとでもぶれがあれば感じるよね、あの感じ。

 

これと言って切り出して説明が出来ない分だけ、くそ、村上の野郎うまいことやりやがって!と言う気持ちになるのだ。切り出しようがないけど明らかにそこに存在する、人間の存在や尊厳に対する冷たい視点。

 

これは彼がイスラエルに行ってイスラエルの人々を批判することへの批判ではない。

 

彼自身が人々に対してどう思っているかと言うことをはっきり伝えてもらいたいと言うことだけだ。

 

ただ、何度も言うけど彼の文章の怜悧さは、並みの作家が何百人集まっても書けないほどのレベルの高さであることだけは認める。

 

演説の日本語版はこちらから

 



tom_eastwind at 00:43│Comments(0)TrackBack(0)

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