2009年03月01日

よく晴れた朝は社会主義

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晴れた日曜日のすがすがしい朝は「資本主義」を考える時間として丁度良い。

 

もちろんこんな事は普通の人が普通の時間に考えることではない。

 

 

そんな事を考えても今晩のおかずがメザシの焼き物から鯛の刺身になるわけではないし、目先の売上が増えるわけでもない。

 

メザシと鯛のどっちが美味しいかは別にしても、それほど「資本主義」なんてことを考えることの無意味さは、まるで階段を降りる時に右足を出しながら何故僕は右足を出すのだろう、左足を出したらどうなるのだろうなんて考えて結局は階段を転ぶようなものだ。

 

平日の昼間に仕事をしながら考えるようなことでもない。平日の昼間、仕事の真っ最中に考えても何の意味もない。

 

平日の昼間ってのは、今目の前にある「状況」をどう処理するかであり、社会の成り立ちなんて考えてたら足がもつれて「おおこけ」する。

 

だから日曜日の朝、ルーティンワークとしての仕事がない時間が、こういうしょうもない事を考える一番の時間となるのだ。

 

だけど、そんな事を時々立ち止まって考える時間が大事だとも思う。

 

誰が資本主義って言葉を最初に使い始めたか?

 

そんな議論が池田ブログでも盛り上がっているが、僕からすればむしろそこから引き起こされた共産主義、そしてロシア革命、文化大革命という現実の人間が引き起こした生の話の方に興味がある。

 

今日の朝食はインスタントラーメン。「も」というべきか。普段は出前一丁やマルタイ棒ラーメンだけど、今日は久しぶりに入手できた「博多美人ラーメン」にしてみた。五木食品という熊本の小さな会社が作っている豚骨ラーメンなのだがこれがかなり旨い。

 

MadeinNipponで一袋3ドル50セント(だったかな?)くらいで買えるのだけど、袋の中の細いラーメンが折れないように型紙を入れたり、豚骨白湯スープが余計なもの(つまりねぎ)が入ってなくて茶漉しで漉す必要がないし、気遣いを感じられる(笑)。

 

ねぎは、中途半端な乾燥ネギを入れるくらいならネギ好きは自宅で新鮮なネギを刻んで入れれば良いではないか、なんて勝手な理屈をつける。そのくせどんべえの「乾燥した揚げ」なんかは万歳!と喜んで食べているのだから自分勝手(笑)。

 

コラーゲンが1000mg入りってのは可愛い。これが博多美人になりますよって意味なのだろう。けど1000mgってのは要するに1グラムだっけ10グラムだっけ、いずれにしても少ないですよね。そこで苦肉の策としてのミリグラム適用ですか、あんまり九州人らしくないぞ。

 

小学生からインスタントラーメンを何十年も食い続けてきた僕としては、舌が麻痺している、じゃなくて味が分からない、じゃなくて化学調味料にやられている、じゃなくて、豚骨系の味がやっぱり一番しっくり来る。

 

だからと言って土曜の朝から豚骨ラーメン食うのか?って話だけど、これが旨いのだ。

 

マルタイ棒ラーメンよりも更に細麺だけど腰がある。時間があるので半熟卵を作ってみたり昨日中国のお店で買った焼き豚(焼肉のほう。豚の三枚肉を皮のほうからこんがり焼くやつ。基本的に塩味。だから甘い味の叉焼ではない)を少し入れてみたら、これがまた良く合う。

 

焼き豚からしみでたほどよい塩が豚骨の甘みの中で時々顔を出して化学調味料に麻痺した舌、じゃなくて、味が分からない舌、じゃなくて、長年ラーメンを食べ続けてきた僕の舌を喜ばせてくれるのだ。

 

美味美味。

 

こうして出来上がったラーメンをパソコンの左側に置き少しずつすすりながらマルクスに関する記述から読み込んでいく。

 

おお、そうか。マルクスも基本的には資本主義を認めていて、その延長として共産主義の提案をしてたんだな、これはうれしいぞ。

 

けど共産主義が結局神の思想であり現実の世界を不合理の感情で生きる人間には決して適用出来ないという事実は何も変わらない。

 

レーニンからスターリンあたりに行くと、共産主義が実は独裁主義と同意義になるという人間の現実。

 

であれば資本主義がいかに人々にとって社会をより良くするための装置とするか、ここが考えどころである。

 

しかしその資本主義が行き過ぎて今の米国のようになると取り返しがつかない。

 

社会が人間の進化と共に更に発展していったその基盤は、人は一人では弱いと言うことがある。虎と素手の人間が戦っても勝ち目はないが、皆が分業をして銃を作れば人間は虎に勝てる。

 

これが社会の基本である。ではその社会を発展させる為に役立つ思想をどうするかという問題になる。

 

そこでまずは資本主義(=人は働けば働くほど豊かになると言う個人の欲望をくすぐる手段)が最初に出てくる。

 

子供が自分の好きなことなら徹夜してでも遊ぶようなものだ。

 

ところがこれをやり過ぎると人が人を潰してでも自分の利益だけを増加させようとして、本来社会が虎と戦う為に持つ「助け合い」と言う機能が働かず結局社会そのものが崩壊して人間は弱くなる。

 

だからやる気とわがままの線引きをするためにキリスト教社会では個人が豊かになればそのお金で他人を助けると言う文化が出てきた。日本では皆が横一列になり、極端な金持ちもいないけど極端な貧乏人もいない村社会を作り出した。

 

ここでラーメンを半分くらい食い終わる。丼の中ほどに沈んでいた半熟卵を取り出して割るときだ。これも快感。とろりとした黄身がじわーっとスープと混じっていく様は、まさに昇る太陽がアフリカの大地を明るく照らすようだ。(たかがラーメンの卵ではしゃぐな)

 

けれど金儲けの味を知り良きキリスト信者でなくなった西洋人は「やっぱり金が一番」とばかりに目先の利益に走る。その先には結局社会を崩壊させる為の時限爆弾が転がっていると言うのに。

 

マルクスはこのあたりも理解しており、だからと言って子供っぽいやる気を取り上げてしまえば社会の成長を止めてしまうこともあるので、段階的に共産主義に近づけようという考えだったようだ。

 

ところが人はいつまでも生き続けることは出来ない。マルクスは1883年にその65年の生涯を閉じることになる。

 

ただマルクスはその中でどうやら一つの真実を見つけていたようだ。誰が20世紀を作り操り、その結果として何が起こったか。偶然にそんな文章を見つけると、どきっとする。

 

書いた人はまさかそんな事と繋がると思いもしなかっただろうな。

 

 

彼の死後、社会主義思想は世界中に広まっていくが、実は彼が一番研究したのは資本主義である。だから彼の発行した本は「資本論」となる。

 

だから資本主義の抱える時限爆弾を理解した上で、社会が熟成すれば共産主義に切り替えるべき、つまり国家による管理と言う考え方を提案したのである。

 

人間って、その内面に元々の大きな矛盾を抱えているんだな。自分が頑張ろうとする気持ちと人を助けようとする気持ちがあるときはそれぞれの力が反対の方向に向いてしまうから困ったものである。

 

けど、正直言えば東洋の世界ではすでにこの問題はクリアーされていると思う。

 

ニュージーランドで生活をしているとここは西洋人社会だからいつも感じるのだけど、この社会の人は基本的に子供っぽい。

 

このあたり、短い文章で表現することが出来ないのだけど、西洋人社会ってのはよく言えば若いけど、悪く言えば子供っぽくて、一段階の理論しか出来ない麺、じゃなかった面がある。

 

例えば鯨の問題なんか子供並みの感覚でしか理解出来てないし、考え方の違う他人と同居すると言うことも理解出来ない。

 

民主主義の発達した立派な国ではあるけど、日本の政治よりは数段程度の高い政治ではあるけど、国民自体が子供っぽいと言うのは、これは教育の問題なのか宗教や文化の問題なのかな。

 

けど少なくとも、この国ではまだ人が人を助けるだけの心の余裕もあるし、人々が優しい。それだけを見ても今の日本に比べればずっとしっかりした社会だなと思う。

 

勿論この国が危機に陥ればこんな余裕なんてなくなるだろうし、それは分かっているけど、今と言う時代を切り出して他国と比較した場合、都内で毎日ダイブで電車が止まってそれが記事にもならなくなる国よりはましかと思う。

 

日曜の朝、社会主義とか民主主義とかをゆっくり考えて見る。立ち止まって考える時間があるだけ、僕は幸せかなとも思ったりする。

 



tom_eastwind at 18:10│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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