2009年04月19日
こんにちわ
「こんにちは」
そう普通に挨拶を返すと、ファミマ!のレジの女の子は一瞬凍りついたような、びっくりしたような顔でこっちを見つめ返した。
いやいや、こちらは何も下心があっての事ではない、あなたが普通にレジの向うからこっちの顔も見ずに笑顔を見せて「こんにちは」と言うから、普通に挨拶を返しただけなのだ。
オークランドのような寂しい都会でも、眼が合えば「Hi!」って挨拶くらいするし返礼もする。
けど東京を回っていると、本当に人と人がぎすぎすしているな〜と感じる。笑顔を見せるのは商売のとき、上司に言われたときだけ。一旦仕事が終わって自宅に帰る自転車に乗れば、子供が歩道を歩いていようが無視して思いっきり自転車を飛ばすし、ぶつかっても謝りもしない。
とにかく余裕のない社会になりながら、会社の指示で「客にあいさつしなさい」と言われれば機械的に挨拶をするけど、それに対して挨拶が返ってくるなど予想もしていないのだろうし、実際にあまり挨拶を返されたこともないのだろう。
これがおそらくちょいと吉祥寺とか新小岩あたりだったら地元の人同士があいさつ交わすんだろうけど、恵比寿の大きなビルの中ではそういう事も出来ないのだろう。
昨日の池田ブログでは「希望を捨てる勇気」が語られていた。これから数年で経済が向上すると思うな、とくに若者の目の前に出てくる現実は、既得権益に乗っかった労組と正社員が最後には大きな退職金をもらって椅子取りゲームの椅子ごと社会から退出していく場面なのだ。
だから若者に残されたのは崩壊した年金システムと医療システム、上がらない給料、専門能力が身に付かない人生で、最後にはすべての責任を取らされてしまうのだ。
希望を捨てる勇気が戦いに向けた勇気に繋がれば良いのだが、どうも今の東京を見る限り、てか2ちゃんを見る限りそちらの方向にはいかないのではないか。
物心付いたときにはすでにバブル崩壊で、親が背中を丸めて子供に何も語れない時代に育った子供たちはそのまま大人になり、とくに新卒で就職氷河期にぶつかった人々は正社員になれず、社会のへの入り口で一旦躓いた彼らはそこから上がってくることは出来ない社会の仕組みに「諦める」しかないのだろう。
池田ブログはいつもと全然違ったコメントが、今日の時点でも64付いている。どれもこれも現場からの深刻な声である。
人が挨拶をしなくなった世の中、他人に無関心な世の中。
大丈夫、僕は君の側にいるよ。そんな事を伝えようとすれば、ますます変てこに思われるしかないから、僕はそのまま立ち去るしかなかった。
その後もちょっとショッピングバッグを整理するふりをしながら見てたら、ほんと、お客の側があいさつ返してない。
カネを払う立場と貰う立場、世の中がその二つだけしかなくなったら寂しいでしょ。けど現実は、そんな世の中を「厳然たる事実」として受け入れている若者なんだろうな。
日本人が自分の力で「こんな世の中おかしい!」と革命を起こすことは、もうないのだろうかな。
池田ブログのコメントでは、現実的な問題処理方法として何名かが「やっぱり海外に出るしかないっしょ」と書いてた。
そういう時代になっているんだろうな。
写真は高輪泉岳寺近くのお蕎麦やさん。