2009年05月19日

馬賊戦記

馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
著者:朽木 寒三
販売元:ストーク
発売日:2005-09
おすすめ度:5.0
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今の時代に馬賊と言ってもぴんと来ない人ばかりだろうな。

 

日清日露戦争以降、日本は中国大陸への進出を図り、満州国を作った。

 

ここ一年ぼくの読んだ本の中で満州ものは主なもので下記に関するものがある。

 

関東軍最高の切れ者で満州事変の立役者「石原莞爾」

 

主義者殺しの「甘粕」満映理事

 

満州の麻薬王「里見」

 

けどやっぱり一番の原点は五味川純平の「人間の条件」だ。ぼくにとっての満州や中国大陸や日本の関東軍は、この本からすべて始まったと言って良い。

 

それにしても満州と言う国。まさに国造り、八百万の神がお互いにやりたい事をやって、それが知らない間に絡み合って、一つの大きな叙事詩を作り上げてるという意味では、満州はまさに近代の八百万物語かギリシャ神話である。

 

当時の満州は日本軍とその背後にある日本政府が、片方は覇道で国を統治しようとして片方は王道で統治しようとしながら全く違う考えで中国の大地の上に覆いかぶさっていた。

 

もともとが中国の清王朝とは国を背後につけた暴力団であり、その後辛亥革命で成立した政府も蒋介石の時代に強盗となり、東北地方では張作霖が軍閥を作って実質独立、そこに日本政府が侵入してきたのだから、まさに三つ巴の無法地帯である。

 

中国では昔から政府とは別に各地域ごとに「青幣(チンパン)」と呼ばれる黒社会組織があったが、これが実質的に人民互助会の役目を果たして無謀な政府の暴力行為と対決していた。

 

そして更に中国東北部の農民は無法地帯となった自分たちの土地や食料を守る為に防衛隊を作り、これを「義勇団」と呼んだ。義勇団は青幣の団員ともだぶってる。

 

そして昭和前期、戦前の日本では「ぼくも行くから君も行け、狭い日本にゃ住みあきた」と言う歌も出来て流行るほど、多くの日本人が大陸を目指した。せまい日本、楽しくないのだ。

 

中には一攫千金を狙った児玉誉士夫などの戦後フィクサーとして名を馳せたものもいるが、馬賊戦記の主人公「小日向白朗」は中国農民を守る義勇団の一員として馬賊生活を始め、遂には東北地方で一番の首領となった。

 

彼はその後数々の戦いの後中国で終戦を迎えるのだが、その数奇な運命は、どこまでが事実かを別としても読むものをどきどきさせるのは間違いない。

 

またその作者の文体が丁度良い。ほどほどに昭和の香りがあり、当時の言い回しや「言わなくても分かるだろう」的な読みやすい文章。

 

ただ、読み終わって一番感じたのは中国の奥深さである。あ~あ、日本人が少々こねくり回しても米国人が戦争仕掛けても勝たないわけだ。

 

結局国民の成熟度が違うとしか言いようがないんだろうな。

 

日本の文化の多くは漢字や儒教など中国からやってきている。明治維新以降最初の50年は近くて遠い国、次の50年は征服の対象として捉えられた中国であるが、彼らはそんな短期間でものを考えていない。

 

100年とか200年単位で一つの事をやり遂げる気性があり、これこそ日本人が一番持っていないものであろう。

 

それは国策とか長期政策とか言われるもので、今の香港の一国二制度や台湾への恫喝と柔和政策などを見ていると、本当に彼らの100年単位の思考の長さを感じる。

 

そう言えば中国とは言っても元は漢民族であるが、そこに二度にわたって北方民族が攻め込んで彼らが政権を獲得した。

 

ところがいつのまにか征服した方の清民族が征服されたはずの漢民族に染まってしまい、そのまま中国人となってしまっている。

 

戦時中に小日向は共産党の八路軍を見て「これはこの国古来から起こり続けていた農民運動の一形式に違いない」と言っている。

 

そう、中国はまさに土地に根付いた活動を行い、その活動は平和的ではあるものの、そこに攻撃者が侵入すればすさまじい勢いで相手を叩き潰す。これはもう国民性の中に根付いてるのだろう。

 

そう言えば共産党に支配されている中国でも最近は次々と農民暴動が起こり、政府はこれを抑えるのに一生懸命である。

 

けど考えて見れば共産党のように捕まえたら速攻で留置場、そこで殴るケルでぶっ殺すのが当然のような政権相手に農民が無手勝流でかかっていくんだから、考えて見ればこれはすごいことだ。例え自分が死んでも自分の権利は守る、その意識の強さだろう。

 

日本人など、政府が大したことも出来ないのに逆らうこともしない。

 

義勇軍は基本的に地域の若者がボランティアで参加するものだが、若者が参加する理由が「農民やっても税金取られるだけだ」ったそうだ。

 

つまり、彼ら農民は税金というものを自分たちの支払うみかじめ料と考えており、そのみかじめの割りに面倒見が悪ければ、そんなもん払わないという事である。

 

どっかの国民と随分違うますね。

 

文中に出てくる古くからの中国語、「大義名分」とか「任侠」とか「仁義」とか、日本ではやくざしか使わないような言葉であるが、中国人の社会の中では普通に使われていたのが、この本を読むとよく分かる。

 

人は人の為に死ぬ。「中国人のような自分勝手がそんな事するもんか!」戦前の日本人も中国人に対して同じような感想をもっていた。

 

結局戦前の日本人の器では中国の大きさは量れず、馬賊の親分となった小日向は中国農民と日本軍の間で苦しい対応を迫られる。

 

しかしこれは戦後の今でも同じではないだろうか。目先にいるバスの行列に割り込む中国人だけを見て「ほら、あれが中国人だろう」と思うのは自分の勝手だが、その結果として本当の中国の大きさを見逃してしまえば、これから100年、日本が自主独立の道を歩けるかどうか。

 

本を読みながら色々と日本の先々の事を考えた。これは全く個人的な意見だけど、これからの100年、日本は自主独立の道を歩きながらも、基本は中国と手を組んで「王道」を歩くべきであろう。

 

米国や西洋と近づくのは日本の精神や国家にとって大きな間違いとなる。何故なら所謂西洋の考え方の行き着くところは「覇道」しかないからだ。

 

温故知新と言う中国の古い言葉がある。100年に1度の危機と言われ、それ以上に今は時代そのものが100年に1度の大変革の時期に来ている。こんな時に小手先の知識で何かが出来るものではない。

 

まさに今、僕らは歴史から学ぶ時に来ているのだと思う。



tom_eastwind at 20:45│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

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