2009年06月22日

安心社会と信頼社会

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池田信夫ブログの中で取り上げられていた記事のテーマ。

 

これはまさに海外で仕事をするぼくとしてはずきっとするくらい頭の中に入ってしまう理屈である。

 

 

 

長いので前後は省略するけど、池田信夫ブログ  

 

★抜粋開始

これは山岸俊男氏の一連の研究でもおなじみの定型的事実で、ゲーム理論で合理的に説明できる。日本のような安心社会では「一見さん」を仲間に入れないことが長期的関係のレントを維持する上で重要なのだ。しかしこれはネットワークを広げる上では不便なので、まず相手を信頼して取引し、裏切り者は法的に処罰するのが欧米型の信頼社会である。

★抜粋終了

 

日本で取引をしようとすると、まるで取引をしたくないのかと思わせるくらい参入障壁が高い。紹介はあるのか、取引先銀行はどこだ、日本で支店はあるのか、どんなビジネスをしているのか、挙句の果ては株主構成???

 

おいおい、そんな外見で取引が始まるようならバブル期以降の日本の大不況と超大手企業が倒産する現状は一体どういうことだ?

 

これに比べて西洋人との取引は、シビアではあるが間口が広く敷居が低い。良いものであればどんどん買ってくれる。その代わり切るときも早い。

 

日本の地方の革新的技術でも東京では採用されず、米国で最初に採用されてそれから日本に逆輸入された技術が多いのも、まさに日本の企業間の「参入障壁」である。

 

けど、ここまで学術的に言うよりも更に前段の、もっと低いレベルに今の日本企業の問題がある。それは「自分で考えて評価する能力がない」と言うことだ。

 

自分がバカでありながらバカであるという事を知らないから自分の判断が正しいと思い込む。ところがその判断の根拠と言うのは全く意味のないものであったりする。てか、かえって社会の成長を阻害するような内容であったりする。

 

その結果、折角の技術が潰されていくのが日本である。更に問題なのは「安心」と言うネットワークで繋がってしまうと、自分が相手を信用するのでそこから先相手のやることを疑わなくなる。

 

また自分がネットワークの中にいるとそれだけで「安心」だから、それ以降何の勉強もしなくなる。

 

日本の大学等まさに良い例だ。一旦中に入ればあとは努力の必要なしという組織が、日本には実に多い。

 

ところが西洋社会では転職等当然だし現場に入ってからも毎期ごとに実績を出さねば相手にされない。ビジネスを拡大する為にはリスクを取って全く見知らぬ市場に参入する必要もある。

 

けどその分新規市場の勉強もするし日常に置いても自分の知識を磨くために様々な分野の人と話をしたり本を読んだりする。

 

そうやって日頃自分を磨いているから、見ず知らずの人間が来て話をされても理解出来るだけの素地があるのだ。それが相手を信頼出来る素地なのだ。

 

こっちが何の知識もなしに相手のいう事をはいはいと聞くのは盲信であり、これは日本人の陥りやすい癖。

 

それと池田ブログの抜粋の最後の部分に書いている「裏切り者は処罰」と言う考え方も、組織を守る為には権力の行使が必要だし、権力を行使するだけの実力があるから言えることだ。もちろんこれには大前提としてキリスト教的倫理観念が必要だけどこれを書くと長くなるので省略。

 

日頃は組織の中で安住して何もせずに、さあ会社が新しいことをするぞとか外部から新しい提案があってもその意味が分からずに結局すべてを駄目にしてしまうのが最近の風潮ではないだろうか。

 

日本の場合、企業に限らず村社会でもどんな社会でも、とにかく通過儀礼のときだけきちんとすれば後は大丈夫、どうにかなるさと言う発想が強すぎる。

 

だから技術がどれだけ優れていてもこういう外部との摩擦によって成長する部分がないから、結局外部に一番美味しいところを吸い取られてしまう。

 

「存在感のない日本」と言うことばがぼくの頭の中にある。

 

安心社会が日本一国で続くなら逸れも一つの選択肢だと思う。世界が日本でしかなかった鎖国時代なら、その中で安心で生きてこれた。同じ価値観と同じ文化の中で生活できた。

けど今はもうそんな時代ではない。否が応でも門戸は開かれているのだ。

 

そんな時に恐れて萎縮して何もせずに食われて、それで周囲が悪いと批判したって誰も救ってはくれない。自分で自分を磨いて社会に向って外に向って戦っていくしかない時代なのだ。

 

かと言って再度の鎖国は今更不可能である。少なくとも経済的には利益よりも不利益の方が圧倒的に多い。それでも政府が鎖国をするとなれば、その理由は政治的安定のための人心掌握だけでしかない。政府は損はしない。何故なら鎖国で損をするのは国民だからだ。

 

自分を磨いて未知の世界に飛び出して向い傷を気にせずに突っ込むか、それともオストリッチのように目の前にある問題に眼をつぶって何もせずに砂の中に頭を突っ込むか。

 

安心社会はもう存在しないのだ、それくらいの気持ちでないと生きていけないのだ。西洋人と真っ向から立ち向かって対等の立場で仕事をしようと思えば、こちらも理論や技術や文化で武装をする必要があるのだ。

 

まあ最終的にはどちらを選んでも自己責任。ただ、後になって「あいつ、いいよな」なんて、間違っても言ってほしくない。自分が選んだ道なんだから。

 



tom_eastwind at 08:49│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZの不動産および起業

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