2009年07月09日

diversity

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Diversity Programと言うことばが最近移民局で使われている。相違性とか多様性という意味だ。

 

実は先日の「マジョリティとマイノリティ」と言う話でいくつか意見を頂いた。

 

米国では国民に多様性を持たせるために「DV200x」なんてのがあって、グリーンカードだか永住権が抽選で当たったりする。DVとはDiversityの略です。

 

けどその条件は米国における少数民族であること。毎年人種別統計を取ってDVの対象となる国家を発表する。日本は常にDVの対象である。日本人はあまり外に出ませんからね。

 

色んな人々が集まることで新しい智恵や相乗効果が出てきて国家の活性化に繋がるという考え方であるが、ニュージーランドでもこの考え方が出てきてる。

 

え?色んな人種が集まったらかえって面倒じゃん。今なら同じ価値観をもつ人たちが「あうんの呼吸」で生活出来て楽だし、一から十まで説明するのって面倒だよ。

 

日本人は完璧なまでに周囲と同質化することを要求する社会であり、同質化することで共同生活が営まれてそこに伝統や文化が育まれてきたのも事実。

 

けどそれは日本という国が日本で閉鎖されてた時代の話であり、実質的に国境の壁がこれだけ低くなってしまうともうそういう理屈は通らなくなる。

 

合法的に移住した外国人が日本の生活に対して違う意見を持つことがある。そんな時にばっさりと「嫌なら出て行けば?」となるのが同質化社会である。

 

けど、他の価値観を認めた上で「おう、そういう考え方もあるな、学ぶものがあるよな」と自分の人間性を広げてに幅を持たせて自分自身の価値観をさらに磨く機会があっても良いのではないかと思う。

 

こういう考え方は日本人には理解が難しいかもしれない。移民社会で21世紀を生き残っていこうとする戦略は日本の純血主義とは正反対の道だからだ。

 

ぼくは純血主義を否定するものではないし鎖国だって国民全員が腹を括ってその気になってやるのであれば何もいう事はない。

 

ただ、他人の価値観を頭から否定することが純血主義と言うのは違うと思う。これは単純に何かを学ぼうとする姿勢が不足しているだけの、要するに「建前を並べて本音では現実からずる賢く逃げている」だけだと思う。

 

他人の価値観を理解するとか学ぶってのは、時には今まで自分が培ってきた価値観が根底からぶっ壊されることにも繋がる。

 

だから、折角一生懸命子供の頃からテストのたびに隣の席に坐る僕より頭の良い子が風邪をひかないかなと期待したり有名大学の名前だけで合コンに人が集まってくれて大会社の名刺を出すだけで周りがきゃあきゃあと騒いでくれる状態が心地よいのに「そんなのには何の意味もないよ、大事なのはあなたがどれだけ自分を磨いているかだよ」なんて言われると「ふざけんな!」と言いたくもなるだろう。

 

そりゃそうだ、だってこの居心地の良さを得るために小学校のお受験から始まって企業面接訓練までマニュアル使いまくってやってきたんだから、それを一発で否定されたら頭にも来るだろう。

 

けど、そんなこと言っても現実は現実である。殆どの日本人が日本国内で作り上げた自分なりの理屈や考え方や道理は、世界の様々な価値観の中ではOneOfThemである。だから常に新しい人と出会って新しい価値観を理解することで自分の価値観に幅が出てくるのだ。

 

こういうのが一般的には「自分の殻を破る」というのだけど、そういうのって年を取れば取るほど殻を破るのが面倒になるよね。

 

移民を受け入れるってのはそういう苦しみが必ず出てくるし、そりゃ日本人だけで固まる居心地の良さはない。

 

けどさ、そうやって日本人だけが固まって日本特有の言葉しか使わずに人口が減少して技術が他国に追いつかれたとき、日本が世界の中のマイノリティになる。

 

内弁慶で威張っているうちは良いが外を向いた瞬間にマイノリティになるってのは、それだけで社会の競争のスタートラインから大きく後ろになることを意味する。そしてマイノリティを恐れる日本人は日本人であることをやめてマジョリティ民族と融合しようとする。

 

今マジョリティで生きている人々は、たぶん彼らの時代まではOKなんだろうけど、子供の時代になれば日本がなくなる、子供に残すものがなくなってしまう、そんな恐怖は感じないのだろうか。

 

日本を出てから常にマイノリティとして香港とクイーンズタウンとオークランドの生活をしている僕より。

 

★抜粋開始

比較文化学者によると「日本は同質を重んじる文化」であるという。現に日本社会で働く米国人は、日本語の「違う」という言葉は、different(異なる)の意味とwrong(正しくない)の両方の意味があり、すなわち「異なるのは悪いことだ」という価値観が根底にあると主張する。とすれば、種々雑多なものを受け入れるというダイバーシティを、日本人が真に理解、賛同し、推進するのは簡単ではないといえよう。

★抜粋終了

 



tom_eastwind at 00:55│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

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