2009年07月18日
冷えた便座
美的感覚のついでに言うと、今泊まってるホテルの部屋は床暖房が入ってて実に温かくて、こりゃすばらしい。
けれどなぜかトイレの便座は冷たい。あれはやっぱりキーウィにとってはまだまだ「それでOK」なんだろうな。
日本人だって戦前は殆ど和式だし、洋式トイレを使い始めたのも戦後のことだし、昭和の終わりに水洗トイレが出てきてから急にトイレ周りが良くなったからって他所の国のことをどうこう言うんじゃないよって気持ちもある。
ただ思うのは、いずれ西洋人の世界でも水洗トイレは本格的に流行っていくだろうし、ニュージーランドは一番最後の一番小さな市場として一般市民の間にしぶしぶ水洗トイレが導入されて、それから5年もすれば「え?水洗トイレってニュージーランドの発明でしょ?」って言い出すキーウィが出てくるかもしれないって事。
つまり人間は快適を求めるものであり、水洗トイレの導入は原子力と違ってYesかNoかではなく早いか遅いかだと思う。
ファーグバーガーや床暖房、水洗トイレなどを通じて今キーウィが何を考えているのかを考えて見ると楽しい。
日本が良いとかニュージーランドが良いとかではなく、それぞれに違う文化を持っているのであるからその部分は変化しないと思う。けど、人間なら誰でも思うような普遍性を見つけることが出来れば楽しい。
人は快適を求める。人は家族を大切にする。人は誰かを愛する。このあたりってのは人種の違いはなく、気づくのに早いか遅いかだけではないか。
それに対して人種に根付いた特性や学校教育で作られた特性があるのも事実。
この国では「誰でも失敗してから覚えるんだから失敗を恐れるな」と教えられる。これは問題ない。けどこの裏返しが「だから失敗しても文句を言うな」なのである。
だから銀行の窓口係が入金額を間違っても文句を言ってはいけないしバスの運転手が道を間違ってもOKなのだ。
それに比べて日本では、人の失敗を叱る日本人は失敗することが悪い、駄目だと学んでいる。だから失敗しないように何もしないのが良いとされる。
「違う」と言う日本語には「悪い」と言う意味が含まれるけど、英語のDifferenceには「悪い」と言う意味はない。
いつもいう事だけど、どこか他の場所に行けば天国が待ってるなんてそんなことは絶対にない。大事なのは自分の気持ちに合った場所に住むことで、それからその場所を更に自分に住みやすいように改善してくことだとおもう。
だから日本のように「失敗は悪い。だから失敗しないように何もしないのが良い」となる文化と「人は失敗するものだ。だから失敗を恐れるな、失敗を叱るな」となる文化と、どっちが自分に合っているかだけの問題である。
どっちが良いなどと比較することはない、それぞれに良い点も不満な点もあるのだ。大事なのは自分の文化だけが正しいと思い込まないことである。
ところで日本の墓に入るのはぼくではない、一般的な移住者の話。ぼくはあくまでも「人生到る処青山あり」なので、どこの青山でもOKです。