2009年07月20日
雪の華
ニュージーランドのことばかり書いている。というのも日本ネタで書き出すときりがないからだ。
自民党の迷走、役所の横暴、いよいよ戦前の官僚政治体制が現代の日本に出来上がった感がするわけで、いよいよ今読んでいる満州本と同じような様相を描いているのが日本だ。
日本は敗戦で全てを失いゼロから国造りが始まった。そしてある程度形が出来上がった時点で官僚による産業ごとのより分けが行われ、生き残る企業と去っていく企業が決められた。
失われた10年の後にゼロから日本を作り直し始めた日本は、戦後すぐと同じようにまずは誰にでも何でも自由にやらせた。
そしてある程度産業ごとに形が整った時点で一気に法整備、政府による管理統制が導入、官僚による日本株式会社の復活である。戦後の日本は昭和30年代から60年代まで30年間、官僚による統制経済が行われ、これが日本の活力の源泉となった。
本当に歴史は繰り返すとしか言いようがないけど、戦前の日本で革新官僚と呼ばれた中の代表格が岸元首相で安倍元首相のお爺さんである。
岸さんの懐刀が椎名悦三郎であり、彼らが満州で出来なかったことを戦後日本の中枢に入り込んで実現させたのだからたいしたもんだ。
要するに戦前の日本と戦後の日本は表向きの政治体制は完璧に異なっているのだけど、それを運営する人々や思考方法は全く変わってなかったということなのだ。もっと簡単に言えば社会主義であろうが資本主義であろうが、運営方法はそれほど変わらないということだ。
けどま、こんな魑魅魍魎みたいな頭の切れる連中と戦って素人政治家が勝つわけもない。結局満州では日本本土のような政治家が存在せずにすべてが軍部と一部官僚の手によって国造りが行われた。
外は手ぬぐいが凍るような寒さのクイーンズタウン。朝はスノーダストみたいな空中にきらきら光る雪の華が舞い散り、夜ともなるとしんしんと音がするような寒さの帳がすべての家々の屋根にかぶさっていく。
そんな街のホテルの一室で満州国演義を読む。現在は第4部。それにしてもこの部屋の中は暖房完備なのでTシャツで過ごせる、まるで北海道のようだ。
けどこんな静かな環境でしんしんと冷え込む外の空気の音を聞きながら過ごしていると、僕が初めて読んだ満州もの「人間の条件」の梶をどうしても思い出す。
零下40度の中で井戸の水も凍り、ほんのちょっとした間違いがすぐに死に繋がる世界で人間は人間であろうとして生きてきた。
満州で人間らしく生きようとした人々の群像を読むと一番悲しいのは、結局体制についていった人が幸せになっていく現実。
多くの日本人にとっては官僚にきちんと管理された中で生きるのが幸せなんだろうと思う。
ここは中国じゃないし何かあれば移動の自由もあるけど、それを行使するほどには苦しくないし、ほどほどに生きていけるからいいじゃないか、これ以上やれば苦しみもセットでやってくるなら、やらないほうがいいよね。素直にお上とうまいこと妥協しながらやってるほうが楽だよね。
それにしても満州の歴史は面白い。戦前の満州にはある一瞬にすべての人間的要素が凝縮されて出来上がったようなスピード感と、多くの夢がぶつかり合っていく人間の波動と、それが外部世界とぶつかり合いながら昇華していく様が手に取るように見えてくるから不思議なものだ。
それにしても歴史は繰り返す。学ぶべきは古典であり、今の問題の答えは常に過去にあるんだなと、ひしひしと感じる。