2009年07月26日

60プラスに乾杯を!

麻生首相、高齢者は「働くことしか才能がない」

 

 麻生首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所の会合であいさつし、「日本は65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人たちは8割を超えている」としたうえで、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは働くことしか才能がない。働くということに絶対の能力がある。80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」と語った。

 高齢者に働いてもらい、活力ある高齢化社会を目指す考えを示したものだが、高齢者をやゆしたともとれる表現に批判が出る可能性もある。

20097251327  読売新聞)

 

これは読売新聞だけど、内容は昨日の朝日新聞と同じ程度の知性である。

 

「高齢者をやゆしたともとれる表現に批判が出る可能性もある」

 

だってさ。あふぉくさ。批判をするのはマスコミ自身であるくせに、それを一般大衆の意見としようとしている。要するに自分は後ろに引っ込んで、「あ、あれね、あれ、オレじゃないよ、大衆の意見だよ」って逃げるんでしょ。

 

以前に鶏インフルエンザで老夫婦を自殺に追いやったのと同じで、「世間に対してどう考えているんですか!」とか「世間が許しませんよ!」とか、嘘ばっかり。自分が記事書いて金が欲しいだけの為に善人を自殺に追い込んでおいて、自分たちは知らん振りだもんね。よーやるわ。恥ずかしくないのか、全く。

 

今時こんな手口に引っ掛かるのは中高年過ぎの、新聞やテレビが絶対的に正しいと思い込んでる一般国民や大衆だけですよ。

 

けどま、今でも電車に乗ると新聞を折りたたみながら読んでる若者もおっちゃんも多いから、この手口に引っ掛かって本気で「おれたちゃ60過ぎても遊ぶことだって出来るんだ!」ってど素人が焼けどするような遊びに手を出したり「麻生は駄目だ!」なんて思ってる人が大勢かもしれない。

 

それにしてもこんなに書かれてしまうと、かえって麻生さんがかわいそうになる。こんな低俗ブンヤに付き合わされてたら、まともな国政もできやしない。

 

普通に読めば麻生さんの言ってる事くらい分かるでしょ。てか、政治家が発言することをいちいち面白おかしく書くのは、何を書いても相手が抵抗しないと思ってるからでしょ。

 

もしこれが現役警察やメディアの取締役である総務省の担当者の悪口だったらこんな風に書けますか?

 

要するに一種の弱いものいじめ、一人で叩くのは怖いけど皆で叩くなら怖くないって言う、ホームレス老人への集団虐めと同じだ。

 

本当に程度が低くて呆れるばかりである。

 

政治がワイドショーのネタになったりスポーツ新聞の三面でお笑いになる程度なら良いが、一応自分たちは一流と思ってるんでしょ、もうちょっと脳みそ使ってみればどうなのか?

 

麻生さんが言いたかったのは60歳定年で社会から切り離すのではなく、生涯現役で老人にも働いてもらい常に社会参加してもらえばという提案だ。

 

その一つの利点として働いて納税とかあるけど、他にも多くの利点がある。全体的に見ればごく普通の政治家としての提案である。これには当然60歳プラスの人々も「おお、そうだよね、おれらもまだまだいけるもんね!」と喜ぶような話ではないか。

 

実際に今の60プラスは仕事ばかりの人生を送ってきて今の日本の繁栄を築いて来た。彼らがゼロから手習いをするよりも今まで身につけた社会経験で再度社会に参加してもらうほうが余程プラスではないか。60プラスに乾杯だ!

 

そんな意見が間違っているか?自分が正しいと思った政見を語って何が悪いのか?

 

間違った場所で間違った時に間違ったことを言ったということか?

 

「麻生さん、言ってる事は分かりますけど、もうちょっと場所を選びましょうよ〜」てか?

 

それならそんなもんぶち壊せ!である。

 

言いたいことも言えず周囲に気を使い始めれば、その時から政治に妥協が入り込んでしまうのだ。出来るだけ言いたいことを言える環境を作り、その政治家の発言を聞いて選挙民が「お、こいつは良いな」とか自由に判断すれば良いだけのこと。

 

マスコミはその為に不偏不党の中立な記事を常に書くべきであり、老齢化社会に突入する日本の今後のあり方について麻生さんにもっと突っ込んで質問すべきであろう。

 

「首相!それでは大企業などの60歳定年は廃止ですか?」

「年金と賃金の関係はどのようにお考えですか?」

「企業だけでなく広く社会に60プラスの力を生かせるシステムを作ればどうですか?」

 

なのに聞くことは、まるで他人事のように「あんな発言は世間が許さない」である。

 

バカも休み休みやれ。二日続けてやるほどのネタではないだろう。

 

全く戦前の、戦争に突入する前夜の日本のようになってしまった。

 

自分の自由な意見も言えず国家すべてが何も言わないことが一番良いような雰囲気の中で、マスコミが作った雰囲気の中ですべてが誰にも直接痛みを感じないように、表面的な格好良さだけで流れていく。

 

流れの行き着く先が濁流でありその先にはイグアスの滝が待ち構えているとも知らずに、とりあえず今日だけを眼をつぶって生きていく。

 

今度の選挙で自民党が負けるにせよ、一番怖いのはこれから先、言葉狩りがもっと過激化していくことだ。

 

何せ現役首相でさえ、どうせあいつは仕返し出来ないだろうとなめてるピアスに茶髪のヤンキーのようなちんぴらに集団で言葉狩りをされてしまう現状だ。

 

多くの人は自分が攻撃の対象になったことがないからぴんとこないだろうけど、一旦攻撃の対象になれば恐らく多くの一般市民には耐えられないような環境に追い込まれるだろうし、それまでの人生が一気に音を立てて壊れていき、神経まで破壊されてしまうだろう。

 

自由な発言も出来ない中でマスコミのみがのさばるのが早いか、インターネット等で発信される情報によってきちんとした市民社会が出来上がるのが早いか。



tom_eastwind at 19:44│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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