2009年10月09日

日式弁当

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左の下にあるのは卵と少量の肉を使った炒飯で薄味。炒飯の上に乗っかっているのはエビフライ。ある地方で言うえびふりゃーが2匹ですな。

 

あれはカトキチと思うが、今度東京フードさん(食材卸大手、前回スチュワート島に一緒に視察に行った人)に聞いてみよう。

 

右の下のはレタスに乗った牛肉のソテー。冷たくなっていはいるものの、味はプルコギでつ。

 

右上はベイベーハンバーグ2個、魚白身、コロッケの揚げ物三種盛り。

 

中央上が緑色の着色昆布で左が最初は口に入れるまで不明だったけど結局はすり身のとび子ソースかけと判明。

 

後ろにあるのがペットボトルに入った冷たいウーロン茶

 

さてこれは日本食でしょうかね?

 

ぼくは最近の習慣としてキャセイ航空の午後便に乗るときはオークランド空港国際線にある「葉山」で軽く食事をするようにしている。機内で飛行機に揺られながら食うのもあまり好きになれず、結局は搭乗前に軽く食事をするのだけど、最近の葉山ではお弁当が売られるようになった。

 

これは推測だけど、オークランドから帰国する日韓団体旅行向けのお弁当を作ってて数が多すぎたのでタダで旅行会社に渡すよりはお店で個人に売った方が良いとか弁当用の食材が余ったので小売用のお弁当にしたとかの程度だったと思う。

 

けどこれが結構美味い。味のばらつきがある御寿司や九州出身の僕からすれば「どうなの?」と思うラーメンに比べれば、非常に安定した味である。

 

ソレもそのはず、このお店のオーナーは韓国人でありスタッフには中国人もたくさんいて、この弁当の食材は随分国際的だけどそれに堪えうるだけのスタッフがいるのだ。

 

炒飯を作らせれば中国人の右に出るものはいないし、牛肉を扱わせれば日本人は韓国人の足元にも及ばない。日本人がせいぜい得意とするのは冷凍技術や品質管理技術である。

 

ただ問題は、この国際色豊かな弁当がオークランド空港内唯一の日本食レストランである「葉山」で日本式弁当として売られていることだ。

 

いろんな食材をセットにして売るのはどこの国でもあることで日本だけの文化とは言えない。

 

では何が問題か?

 

それはこの弁当を見て日本人がどう思うかだ。「これは日本の弁当ではない!」と言い切るのか、それとも「お、いいね、進化した日本式弁当だよね」と言うのか。

 

明治維新からそうなんだけど、結局日本人は開国か鎖国かの間で常に軋轢を起こしていた。それがこの日本式弁当である。伝統を守って一切の変化を認めないのか、変化しながら進化していく道を選ぶのか?

 

ここから本題なんだけど、海外の日本食レストランできちんとビジネスとしてレストランをやろうと考えている経営者は、その対象顧客を現地に住んでいる現地人や現地に住んでいる日本食を食べることが出来る層の人々と考えている。

 

ところが海外で「あ〜ん、お腹空いたー、ねえねえ添乗員さん、日本食、あっさりしたものないの〜?」と来る観光客に現地で人気のあるレストランをご案内すると、殆どすべての場合において「ありゃ日本食じゃないわよね」となる。

 

つまり観光客の求める日本食は、彼らが日本の地元で食べている味付けであり食材であり、例えばオークランド空港で食える日本式弁当ではないのだ。

 

しかし日本人と言うのは面白いもので、海外の日本食となったらまるで自分が日本食グルメチャンポン!みたいなしたり顔になる。

 

でもって「ふむふむ、これはこうこうで、ああ、ああで、どうしたこうした」と理屈と知識を並べてその姿はまるで昭和の東京都大田区の町工場で何十年も旋盤を使ったおじさんが自分の知識に基づいて後輩に教え諭すような顔になる。けど彼ら、その時には一切原価計算など理解しないのだ。

 

ところが現地で日本食レストランを経営している普通の感覚のビジネスマンは日本食を世界に広めようなんて考えている伝道師ではなく、ビジネスとして成立する一つの方法論として日本食を選んだだけであり、もっと儲かる方法があるならそっちに自己資金を投資してますよって人が大半なのだ。

 

つまり日本食レストランを経営する人にとっては何が日本食かを語るより前に今月の家賃や給料を払えるかどうかが大事なのだ。

 

ところが日本食を食べに来る人は、何が日本食かの定義づけでも出来ないままに自分の個人的な舌だけであ〜だこ〜だとうんちくを垂れる。

 

そしてここに於いて日本食とはどうあるべきかって事に繋がる。

 

日本食に何か一定の決まりはあるんか?こうしなければ日本食ではないって決まりはあるんか?

 

鎖国大好きな人々は、ビジネスそっちのけで「日本食はこうあるべし!」なんてやってるが、じゃあ日本食ってナンなのさ?

 

うどんか?ラーメンか?寿司か?てんぷらか?

 

要するに合理的な精神を無視した感情論の日本食なんて、そんなもんはっきり言えば精神論であり、竹やりで高空を飛ぶB29を落とそうとするようなもんだ。

 

竹やりでB29は落ちませんよ。それと同じようにあなたが思ってる日本食と他の日本人が考えている日本食にはずいぶん違いがあるかもしれませんよ。

 

大体お味噌汁一つを取っても日本中味が違うのに、どれが日本食ですか?

 

実際にはすべての経済活動、日本食を作ることを含めてお店を経営するってのは利益を出せるかどうかが全てである。

 

その中で日本食として何がなければいけないのか、何があったらいけないのか?そういう事を何の責任も取らない人間がどうこう批評して偉そうに「あらま、海外の日本食って、駄目だね〜」なんて言い出した日には、日本食は未来永劫海外に発展しない。

 

つまりたまに観光旅行などでやってくる日本人の人気取りだけのために採算の合わない、おまけに外国人には理解出来ない味付けで料理を作ってそれが売れるわけがない。

 

そうなると当然ビジネスとしては成立しない。だから何処の店も現地の人に合うような味付けを考えるのだ。

 

西洋人に分かり易いのは照り焼きチキンだし巻き寿司だ。香港人の場合寿司を食べるけど、殆どのお客は醤油の中に大量の山葵をぶち込んでどろどろ状態にして寿司にべたーっとつける。

 

けど殆どの西洋人は白身魚の味が区別つかないわけだし、香港人に「わさびは揮発性だから醤油に溶かすと香りが消えますよ」なんて言っても仕方ない。彼らはそれが好きなのだ。

 

もちろん、だからと言ってあまりに外しすぎると、そりゃまずい。

 

以前香港時代に北京の人民大会堂の晩餐会でかに蒲鉾が前菜として普通に出てたのを覚えている。

 

そんなもん本物のカニと違うじゃんか!などと言っても仕方ない、彼らは「カニ蒲鉾」と言う食材を料理しているのだから。

 

だから「ここまでなら日本食だよね〜」などと考えながらシェフがメニューを考えるのだ。その延長には創作日本料理があるし、創作日本料理を食べて「これは日本食じゃない!」ってのか。

 

空港で日本式弁当を食べて冷たいウーロン茶ペットボトルで流し込む。

 

ここで伝統的な中国人が冷たいウーロン茶ペットボトルを見たら「ふざけんな!ウーロン茶は熱いから胃袋の中の脂を落とすのだ、冷たくするなんて何事だ!」となるだろう。

 

するとニホンジンは「いいじゃないか、これも美味しいんだし」となるだろう。日本の伝統は大事だけど中国の伝統はどうでも良いのか?

 

「いやいや、それで良いのだ、本当の日本食は日本だけで食うものなのだ、海外で日本と同じものを期待するのが間違いなのだ」。

 

変化を認めて進化する日本食を選ぶのが開国派だとすれば一切の変化を認めないのが鎖国派だろう。

 

どっちが正しいかは本人が選択すれば良い。ただ、思いつきだけでいかにも自分はすべてを理解している日本人だみたいな顔で無責任な言いっぱなしの議論だけはやめてほしいものだ。



tom_eastwind at 02:42│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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