2009年11月14日
後悔を最小化する方法
いつもの池田ブログからの転載。
★抜粋開始
目先の判断では人々は失敗を恐れるが、そういうリスク回避的な人生を続けていると、年をとってから後悔する事になる。
マークトウェインもこう言ってます。「20年たてば、したことよりもしなかったことを嘆くようになる」
★上記ブログに対するコメントの一つ
仕事だけじゃなく人生は全てそうなんですかね。
初恋の女性に振られたのは悲しかったけど、好きなことを伝えられてなかったら、もっと切なかったと思います
つまり60歳までサラリーマンで得られる生涯賃金と40歳で独立した場合に失う賃金差を5千万円として、それでもサラリーマンを辞めて独立する方が、長期的にはプラスだと述べている。
経済学とは数字の積み重ねだけど、それよりも大事なものがあるでしょ、夢とか思い出とか、長期的人生戦略になればその方が大事ですよって、ナンと経済学者が言ってるのだ。
けど、まさにその通りなんだよな。人生は金ではないのだ。カネは手段であり目的ではない。
人生でやらなかった事を後悔するよりも、間違いなく、やって後悔するほうが納得出来る。だって他人や親に言われたレールを歩かずに自分で自分の人生を決定したんだから。
年を取って自分の人生を振り返ってみて、人生の三分の一を過ごした場所が実は何の思い出も喜びもなかったとしたら、人生の三分の一を捨てたようなものだ。金の為に自分の時間を捨てて、それが人生か?
これに対していろんな意見がコメントに飛び交ってます。
ところで日本人が失敗を恐れるのは後天性日本社会病(政府による洗脳)でありすべての人類に共通のDNAではない。
まずは失敗は悪い事と位置づけ、そして実際に失敗すれば罰則があるとして若者に失敗を恐れさせて若者の夢を摘み取り、誰もがサラリーマンとなって一生を過ごす、つまり社会の歯車としてロボット化するための仕組み=統治システムである。
ニュージーランドでは子供の頃からどんどん前向きに失敗させて、そしてTry&Errorを学んで、自分の人生に自信を持って生きれるようになっている。
社会も人々の失敗を寛容しているから誰も失敗を恐れないのだ。だからバスも道を間違うし銀行の窓口での入金もしょっちゅうミスを起こす。けど、それを許す理論がニュージーランドにはあるのだ。
日本では、偉そうな連中が聖人君子みたいな顔をして子供に向って「みんな頑張れ!」と言いながら、誰かが本当に頑張って自分に出来ないことに挑戦して失敗すると、厳しく批判する。「ナンだお前、出来もしないのに!」となる。
これって矛盾してないか?失敗を恐れずに挑戦するためには失敗を許す環境が必要である。
ところが今の日本には失敗を絶対に許さないと言う環境であるから、誰もが自己責任での冒険が出来ない仕組みになっている。
まあ20世紀の時代は日本式「⇒向け⇒」教育でOKで、それで国も成長した。しかしこれからの21世紀は覚醒の時代である。情報が自由になり国境がなくなり人々の移動が自由になると、次に出てくるのは個人がどれだけたくましく生きていけるかである。
「戦え!前に進め!いつの時代も、どれだけ苦しくて負けそうになっても、それでも勝つまで戦った人間が生き残れるのだ!」
そんな風に子供に教育出来る親が日本に出てくるのはいつになるのであろうか。
まあいずれにしても経済学者が生きがいについて書いたブログとその反応、面白いですよ。
書きながらふと思い出した。ちょっと今回のブログとテーマはずれてますが、「かもめのジョナサン」と言う有名な本があります。
ちょっとお笑い(これも古いコピーです)
問・カモメが百羽います。一羽はカモメのジョナサン、では残りは?
答・カモメのミナサン。
コピーはお笑いですが内容はかなりシリアスです。1970年代にコレにはまった人も多いのでは?ちなみに私はあまり好きになれませんでした。
かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)
著者:リチャード・バック
販売元:新潮社
発売日:1977-05
おすすめ度:
クチコミを見る