2010年04月03日

イースター二日目

今はオークランドを出て香港に向う機内。

イースターのせいだろうオークランド空港も随分混雑してて荷物検査は行列で通り抜けるのに20分ほどかかった。

イースターホリデイは人種や宗教に関係なく国家の祝日なので堂々と休めば良いのだが、その理由がキリスト復活のお祝いってのはかる〜く引っ掛かるとこもある。

けどまあ日本に住む米国人がお盆休みを取るようなものだから、世界全体で考えればプラマイゼロってとこか。拘るよりも気にせずにお休みを取ればよいものだ。

だからってわけでもないんだろうが香港に向うキャセイ航空も満席で、キリスト教信者はどの程度か分からないが隣に坐ってる白人のおばさんは持ち物からしてクリスチャンだろう。

香港で乗り換えてインドに行く雰囲気の人々はヒンズー教かな。でもって半分くらいは中国人なので、これは仏教徒か共産党か拝金教であろう。

じゃあ日本人はどうなのかって話なのだが、一般的に日本人は「私は無宗教です」と言う場合が多い。けどそんな事を米国人に言えば「え!君は宗教がなくても生きていけるのか?」と思われるだろう。

けど殆どの日本人は無宗教ではなく実際にはどんな宗教でも受け入れる雑教だと言うのが正解ではないか。これは元々八百万の神を信心してるから神様が何百人いても気にしないし、その場で相手に合わせることが出来る。

山に行けば山の神、海に行けば海の神を敬う事で1万2千5百年まの縄文時代から生きてきたんだから、たかが2千年前に出来たキリスト教なんて軽いものだ、クリスマスに利用させてもらいますぜ。

お寺の墓参りでは仏教徒になり神社で結婚するときは神道に永遠の愛を誓い(後で離婚したら笑ってすませる)、お盆休みは海外旅行を楽しむことが出来る日本人てのは実に融通無碍で、宗教に縛られる事がないから楽っちゃ楽ちんですな。

その分これと言った宗教を持っていないから心の拠り所がないって時でも大丈夫。

寂しければ新宿に行けば朝まで誰かが相手にしてくれるし会社に行けば仲間がたくさんいる。まあ会社は過去の事だけど。

ニュージーランド人がそれほど宗教色が強くないのはやはり本国である英国がカソリックやめて国教会とかプロテスタントになったりで、同じキリスト教でも様々な信心の方法があると認めているから日本の不信心をあまり気にはしていないようだ。

それと追加で言えば英国からニュージーランドに移住してきた人々は英国内でも中流階級にあたるし教養もあるので、米国の一部のキリスト教原理主義者に“わたしの神を信じろ、疑いを持つな”と言われて「あ、はいそうですか」と素直に納得することもないのだろう。

色んな宗教が乗り合わせているキャセイ航空だから食事も一切の肉を食べないベジタリアンから鶏肉ならOKってのとか、麺を大好きな中国人のためにカップヌードルも用意してある。

とくにインド系の食事はベーガンくらいに激しく肉製品が一切受け付けない人も多く、彼らの食事は予約の際に予め注文を受けておいて、他の料理よりも一足先に出てくる。

まあ誰が何を信じるかとか何を食べるかってのは本人の自由だし誰も彼らの趣味を僕に押し付ける事はないので気にはならない。

ただ唯一、これって宗教の問題じゃないかなってのはニュージーランドの料理のまずさである。

何故ニュージーランドの料理が1980年代までまずくて、何故英国の料理が今も不味いかってのは、彼らプロテスタント系の人々は神様との契約で労働の義務があるのと欲望を抑えて贅沢はしないのが根底にあるからではないかと思う。

肉はがちがちになるまで焼いて塩と胡椒を振るだけ、芋をふかしてせいぜいがグレービーソースをかけるくらい。メシが食えるのだ、これ以上の贅沢はないんだからこれ以上贅沢にする為の料理方法を考える事がすでに神様に対する冒涜である、みたいな感じ。

しかし1990年代になって中華料理や日本料理が取り入れられるようになってニュージーランドも随分食生活が豊かになったと思う。

最近のレストランは和洋中の味を取り入れた料理が流行りであるし、食事を楽しむってのがOKになって宗教と同じくあんまり一つの形に拘らない融通無碍な多文化社会が発達しているのだと思う。



tom_eastwind at 15:41│Comments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 

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