2010年04月25日
ANZAC DAY 2010
ニュージーランドに限らずだが西洋社会でビジネスをやっていると、今の日本人が個人として国際社会で生き残るのは本当に難しいと感じる毎日である。
その1:
いろんな人がニュージーランドにビジネスプランを持ち込んでくるが、そのうちの約半分は日本国内でしか通用しないビジネスモデル、つまり“大量生産”“大幅割引”“大量購入”“正確迅速な物流”と“生産管理”を前提としており、人口400万人が日本の本土並みの広さの土地に広がっていて失敗を受け入れて適正価格販売しかしない市場に合わないものである。
残りの約半分はモデルは良いのだがここが西洋であるという事を無視して組み立てられている。つまりビジネスとは参加者全員が利益を得られると言う合理的期待があれば全員が動くと思い込んでいるモデルである。
なので実際にきちんとビジネスとして立ち上げが出来て継続出来るプランは、10のうち1くらいなのが現実である。
西洋型ビジネスと言うのは、皆で利益を得ようという発想をしないと言う意味である。自分だけが最後の一人になっていれば良いと考えるのが基本である。とくに米国ではこれは顕著である。
ニュージーランドは西洋社会の中でも珍しく皆が利益を分けようとしているのだけど、それでも最後はやはり「オレかオマエか」的なところはある。
こういうのは経済学やその社会の基礎数字とかを見ても絶対に出てこないし、机の上でビジネスモデルを書いている時にも絶対に感じることはない。そしてビジネスをお互いの看板を背中に背負って看板同士がビジネスをやっている時にもあまり出てこない。
けど、現場に行けば「オレかオマエか」ビジネスが根底に流れているのだ。これは日本で成功すればするほど成功体験に囚われてしまい分からなくなるので、日本で成功した人に説明するのは難しい。
ある意味相手の今までやってきた努力を根っこからぶっ壊してしまう事になるから彼らは受け入れがたいのだ。
同じ西洋諸国でも本当にビジネスを長続きさせようと考える人は「オレもオマエも同期の桜、同じ釜の飯を食っているんだ」と理解しているから相手の利益を考える。欧州大陸や一部英国ではこの感覚が残っている。
けどこれは少数派であり、そうでないのが大多数だって事を理解していないから、日本から来た人は取引相手や市場の「次の動き」の予測に失敗する。
「おいおい、こうくれば相手はこうくるだろう、だからこうなって〜」と、言ってることはきちんと筋が通っているのだけど、肝心の「相手」が「こうこない」んだからどうしようもない。
なんでこういうずれが起きるかって言うと、それは日本人が和魂和才で商売をしようとするからだ。
日本国内では「全員でパイを拡大しよう」の理屈で全く問題ないんだけど、海外でビジネスをやるんだったら和魂洋才でないと通用しない。
つまり自分の基本的な考え方は「皆で儲けて皆で良い社会を作ろう」だけど、それを実行する際には“浪花節”や“言わなくても分かるだろ”的な感情論ではなく西洋型の合理性、すべての企画書に数字を入れてその理由を合理的に説明して駄目だった場合の最大被害とか撤退路の確保だとか、まさに戦争をする時のような緻密な理論が必要なのである。
こうする事で初めて洋才となり西洋型ビジネスマンも自分の取り分が見えるから納得して付いてくる。この「配分」が彼らとの交渉の要点である。
大事なのは絶対に相手に主導権を取らせない事。彼らに主導権を取らせたら彼らは全体の利益の増加よりも目先の自分の利益の極端な増加のみに目標を置いてしまうから、あっと言う間に良い関係がぶっ壊れてしまう。
(いつも書くことだけど、キーウィでも長期視点を持てる人はいるし米国人でもいる。けどここで書いているのはその土台、つまり彼らのOSの話であり、基本の話をしている時に例外を持ってきて“ほら、こんなのもある”なんてのは無意味有害)
全体の利益とか長期的な利益の増大を理解出来る和魂でビジネスモデル全体は日本人が管理してそれぞれのパーツは地元のビジネス参加者に任せて利益を得てもらう、彼らの利害が衝突した場合は日本人が中心となって全員が納得出来る配分を行い、どうしても難しい場合はモデル全体で出てくる余剰利益を不満者に特配して公平を取る。
こういう風に持っていけば話はかなり円滑に進むはずである。現実にそういう事を出来る日本人の数は限られているけど。
その2:
ところが時にはこれが行きすぎて、今度はその反対の事が起こったりする。
外国であまり長いこと商売をしていると日本の感覚がなくなって、いつの間にか目先だけで利益を出して「後は知らん」で結果的に日本人相手のビジネスに年中失敗している奴もいるのだ。
けど本人はいつまで経っても何が悪いか分かってないからずれたままでお客を失っても「あ、ありゃあいつが悪いんだ、おれは悪くない」って思い込んで、また次の獲物を探すようになる。
けど彼や彼女のビジネスモデルは日本的なやり方だからいつまで経ってもローカル市場にも食い込めないでいる。
こうなると洋魂和才で最低となる。短視眼でしかモノを見られず、かと言って西洋的な合理性を持ち合わせずに感情論で商売をしようとする。
こうなるともう周りの意見を聞こうともしないし誰も意見をしなくなるからどんどんずれていって結局は両方の社会のオチこぼれになってしまう。
ここまでいくと、ぱっと見は自律神経失調症みたいな外見になるので、しゃべっているとすぐ分かる。時々眼が飛んだりしているのだ。
だから海外でビジネスをするには和魂和才でも通用しないし洋魂和才だと使い物にならないし、その真ん中、和魂洋才で行く事が求められるのだ。
その3:
ただここで言う和魂とは、戦後の日本の一億総無責任体制の中で最近出てきた魂ではない。
1200年代から小型の船でアジア全体に貿易を広げてシャムにまで日本人村を作った人々のような自分でリスクを取り積極的に前に出て行き失敗を恐れず、海洋国家で明るく開放的でありながら日本人としての責任と誇りを持った人々の魂のことである。
日本ではその昔、士魂商才と言われて武士も商売の才覚を持たねば食っていけないが、武士の魂を忘れてしまっては駄目だと学んだ。
今、日本人が学ぶべきはこれからの国際化に向けてまずは和魂をしっかり思い出して洋才をしっかりと学校で学び、根性と理論で重武装して世界に打ち出していくべきだ。
失敗を恐れて何もせず長いものに巻かれて知らんふりをして子供時代から隣の子供を蹴落とす教育を受けて恋もまともに出来ずに目標も持てずにどっかの会社に入って、生まれた子供にも同じような生活を押し付けて結果的に奴隷のような生活を送っていながら、自分たちは世界で二番目の国家だと思い込まされている、年間3万人が自殺して毎年給料は下がって仕事はきつくなり責任は重くなり休みも取れず狭いマンションを買ってやっと我が家としても帰宅できるのは終電ぎりぎりと言う社会に住むのも結局リスクを取らない生き方を選んだからだ。
その4:本題
話は変わるけど今日4月25日はアンザックデイ。
この日は第一次世界大戦でオーストラリアニュージーランド連合軍(ANZAC)が連合国の一員として祖国から1万キロ以上遠くはなれた欧州の端っこのトルコのガリポリに遠征して、そこで枢軸軍を相手に勝ち目のない戦いを挑んだ日である。
結果的にこの日から約6ヶ月の戦いでニュージーランド軍は8千人以上の死傷者を出して負け戦になったが、その日を今でも両国ではANZAC−DAYと呼んで国家の記念日にしている。
結果的にその戦いには負けたが、100年経った今でも、戦争で命を失った若者の家族は彼らを誇りに思い国家は彼らを今でも最高の兵隊として戦争記念館の石壁にその名前を刻み永遠に讃えている。
人生は一回しかない。No Pain, No Gain, 誰かの為に一時の痛みを覚悟で永遠の何かを得るために戦ってみてはどうだろうか。
その1:
いろんな人がニュージーランドにビジネスプランを持ち込んでくるが、そのうちの約半分は日本国内でしか通用しないビジネスモデル、つまり“大量生産”“大幅割引”“大量購入”“正確迅速な物流”と“生産管理”を前提としており、人口400万人が日本の本土並みの広さの土地に広がっていて失敗を受け入れて適正価格販売しかしない市場に合わないものである。
残りの約半分はモデルは良いのだがここが西洋であるという事を無視して組み立てられている。つまりビジネスとは参加者全員が利益を得られると言う合理的期待があれば全員が動くと思い込んでいるモデルである。
なので実際にきちんとビジネスとして立ち上げが出来て継続出来るプランは、10のうち1くらいなのが現実である。
西洋型ビジネスと言うのは、皆で利益を得ようという発想をしないと言う意味である。自分だけが最後の一人になっていれば良いと考えるのが基本である。とくに米国ではこれは顕著である。
ニュージーランドは西洋社会の中でも珍しく皆が利益を分けようとしているのだけど、それでも最後はやはり「オレかオマエか」的なところはある。
こういうのは経済学やその社会の基礎数字とかを見ても絶対に出てこないし、机の上でビジネスモデルを書いている時にも絶対に感じることはない。そしてビジネスをお互いの看板を背中に背負って看板同士がビジネスをやっている時にもあまり出てこない。
けど、現場に行けば「オレかオマエか」ビジネスが根底に流れているのだ。これは日本で成功すればするほど成功体験に囚われてしまい分からなくなるので、日本で成功した人に説明するのは難しい。
ある意味相手の今までやってきた努力を根っこからぶっ壊してしまう事になるから彼らは受け入れがたいのだ。
同じ西洋諸国でも本当にビジネスを長続きさせようと考える人は「オレもオマエも同期の桜、同じ釜の飯を食っているんだ」と理解しているから相手の利益を考える。欧州大陸や一部英国ではこの感覚が残っている。
けどこれは少数派であり、そうでないのが大多数だって事を理解していないから、日本から来た人は取引相手や市場の「次の動き」の予測に失敗する。
「おいおい、こうくれば相手はこうくるだろう、だからこうなって〜」と、言ってることはきちんと筋が通っているのだけど、肝心の「相手」が「こうこない」んだからどうしようもない。
なんでこういうずれが起きるかって言うと、それは日本人が和魂和才で商売をしようとするからだ。
日本国内では「全員でパイを拡大しよう」の理屈で全く問題ないんだけど、海外でビジネスをやるんだったら和魂洋才でないと通用しない。
つまり自分の基本的な考え方は「皆で儲けて皆で良い社会を作ろう」だけど、それを実行する際には“浪花節”や“言わなくても分かるだろ”的な感情論ではなく西洋型の合理性、すべての企画書に数字を入れてその理由を合理的に説明して駄目だった場合の最大被害とか撤退路の確保だとか、まさに戦争をする時のような緻密な理論が必要なのである。
こうする事で初めて洋才となり西洋型ビジネスマンも自分の取り分が見えるから納得して付いてくる。この「配分」が彼らとの交渉の要点である。
大事なのは絶対に相手に主導権を取らせない事。彼らに主導権を取らせたら彼らは全体の利益の増加よりも目先の自分の利益の極端な増加のみに目標を置いてしまうから、あっと言う間に良い関係がぶっ壊れてしまう。
(いつも書くことだけど、キーウィでも長期視点を持てる人はいるし米国人でもいる。けどここで書いているのはその土台、つまり彼らのOSの話であり、基本の話をしている時に例外を持ってきて“ほら、こんなのもある”なんてのは無意味有害)
全体の利益とか長期的な利益の増大を理解出来る和魂でビジネスモデル全体は日本人が管理してそれぞれのパーツは地元のビジネス参加者に任せて利益を得てもらう、彼らの利害が衝突した場合は日本人が中心となって全員が納得出来る配分を行い、どうしても難しい場合はモデル全体で出てくる余剰利益を不満者に特配して公平を取る。
こういう風に持っていけば話はかなり円滑に進むはずである。現実にそういう事を出来る日本人の数は限られているけど。
その2:
ところが時にはこれが行きすぎて、今度はその反対の事が起こったりする。
外国であまり長いこと商売をしていると日本の感覚がなくなって、いつの間にか目先だけで利益を出して「後は知らん」で結果的に日本人相手のビジネスに年中失敗している奴もいるのだ。
けど本人はいつまで経っても何が悪いか分かってないからずれたままでお客を失っても「あ、ありゃあいつが悪いんだ、おれは悪くない」って思い込んで、また次の獲物を探すようになる。
けど彼や彼女のビジネスモデルは日本的なやり方だからいつまで経ってもローカル市場にも食い込めないでいる。
こうなると洋魂和才で最低となる。短視眼でしかモノを見られず、かと言って西洋的な合理性を持ち合わせずに感情論で商売をしようとする。
こうなるともう周りの意見を聞こうともしないし誰も意見をしなくなるからどんどんずれていって結局は両方の社会のオチこぼれになってしまう。
ここまでいくと、ぱっと見は自律神経失調症みたいな外見になるので、しゃべっているとすぐ分かる。時々眼が飛んだりしているのだ。
だから海外でビジネスをするには和魂和才でも通用しないし洋魂和才だと使い物にならないし、その真ん中、和魂洋才で行く事が求められるのだ。
その3:
ただここで言う和魂とは、戦後の日本の一億総無責任体制の中で最近出てきた魂ではない。
1200年代から小型の船でアジア全体に貿易を広げてシャムにまで日本人村を作った人々のような自分でリスクを取り積極的に前に出て行き失敗を恐れず、海洋国家で明るく開放的でありながら日本人としての責任と誇りを持った人々の魂のことである。
日本ではその昔、士魂商才と言われて武士も商売の才覚を持たねば食っていけないが、武士の魂を忘れてしまっては駄目だと学んだ。
今、日本人が学ぶべきはこれからの国際化に向けてまずは和魂をしっかり思い出して洋才をしっかりと学校で学び、根性と理論で重武装して世界に打ち出していくべきだ。
失敗を恐れて何もせず長いものに巻かれて知らんふりをして子供時代から隣の子供を蹴落とす教育を受けて恋もまともに出来ずに目標も持てずにどっかの会社に入って、生まれた子供にも同じような生活を押し付けて結果的に奴隷のような生活を送っていながら、自分たちは世界で二番目の国家だと思い込まされている、年間3万人が自殺して毎年給料は下がって仕事はきつくなり責任は重くなり休みも取れず狭いマンションを買ってやっと我が家としても帰宅できるのは終電ぎりぎりと言う社会に住むのも結局リスクを取らない生き方を選んだからだ。
その4:本題
話は変わるけど今日4月25日はアンザックデイ。
この日は第一次世界大戦でオーストラリアニュージーランド連合軍(ANZAC)が連合国の一員として祖国から1万キロ以上遠くはなれた欧州の端っこのトルコのガリポリに遠征して、そこで枢軸軍を相手に勝ち目のない戦いを挑んだ日である。
結果的にこの日から約6ヶ月の戦いでニュージーランド軍は8千人以上の死傷者を出して負け戦になったが、その日を今でも両国ではANZAC−DAYと呼んで国家の記念日にしている。
結果的にその戦いには負けたが、100年経った今でも、戦争で命を失った若者の家族は彼らを誇りに思い国家は彼らを今でも最高の兵隊として戦争記念館の石壁にその名前を刻み永遠に讃えている。
人生は一回しかない。No Pain, No Gain, 誰かの為に一時の痛みを覚悟で永遠の何かを得るために戦ってみてはどうだろうか。