2010年05月13日

異国の丘

a089ae41.jpg異国の丘という歌を知っている人は今では圧倒的に少数であろう。ただその歌を分かる人にとっては心の奥深く琴線に響く歌である(劇団四季を好きな人は別にして)。


ぼくの年代のように直接戦争を知らない人間にとっても父親の世代を思い起こす歌であり今でも時々頭の中のテープレコーダーが何度もこの歌をかけてくることがある。

★今日の記事「朝日新聞5月12日」
旧ソ連のシベリアやモンゴルに抑留された元日本兵らが国家賠償を求めている問題で、政府と連立与党3党は11日、抑留された期間に応じて1人当たり25万〜150万円の特別給付金を支給する方針を決めた。

生存している元抑留者の約8万人が対象。自民、公明など野党にも呼びかけ、今国会に議員立法で提出して成立をめざす。政府・与党の了解事項をまとめた案によると、元抑留者の高齢化が進んでいる現状から「多大な苦難のもと、過酷な強制労働に従事した特別の事情があることにかんがみ、特別給付金の支給を行う」と明記。

今年9月に廃止される独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を2013年3月末まで存続させ、資本金に当たる200億円を取り崩して給付に充てる。

 また、給付金の支給を元抑留者に対する国家補償の「最終の措置」と位置づけ、国を相手取った訴訟については取り下げを働きかける。

 日本政府はこれまで「国に法的な補償責任はない」と主張。最高裁も1997年、「立法府の裁量的判断に委ねられる」との判断を示している。民主党は野党時代、特別給付金を支給する法案を国会に繰り返し提出していた。

 第2次世界大戦後、日本兵など約58万人が抑留されて鉄道建設など強制労働を強いられ、飢えなどによる死者は5万人を超えたとされる。



こういうのが国家がする仕事だよなって思う。毎日山ほどある記事からなんでこんなのを選ぶのかって言われるかもしれないけど、ブログがあくまでも個人的な日記の延長である以上、どのテーマを選ぶかってのはやっぱり主観が入る。

自分の父親が戦後に捕虜になってましたっていう経験を持つ人は、おそらくぼくの時代が最後ではないだろうか。

戦争と言うものを直接ではなくて目の前にいる父親から感じて、さらにその頃、つまり戦争に従軍した人々の多くの本を読むにつれて、なぜ父親が戦争の事をほとんど語らないのかが分かるようになったのはいつからだろうかな。

さて1、ぼくは世間のバランスから言えば左翼だと思う。誰もが平等に生きていければと考えているからだ。出来れば他人との競争ではなく自分との競争を頑張って皆が結果的に平等になればと思ってる。

よく言うよ、資本主義の権化みたいな事やってるくせに!と思われる人もいるだろう。

けど、そりゃそうだ、資本主義の世の中に生れ落ちたんだから、相手が戦いを仕掛けてくればこっちだって戦う。そしてそうなったらそう簡単には負けないだけの自信はある。そこを見れば確かに資本主義者であろう。そうしないと生きていけないならそうするだけの事だ。

けど基本思想はかなり社会主義であり、だから人々の機会が平等で結果が少し不平等でけど皆が平和に生きることが出来るニュージーランドが気に入っているのだろうと思う。

さて2、本当に激烈な戦闘を生き残ってきた人は戦争についてほとんど語らなかったという。実際にそうだった。

これが意味するものは、戦争は勝っても負けても兵隊には大きな心の傷を残すのだろうし、語るにはあまりに大きな辛さであり、誰かに話す事で昔の記憶が心の奥の閉ざされた扉を開けることになり、そんな事をしてしまえばその日一日は自分が使い物にならなくなる、だから今日を生きるためには過去を思い出すのはやめよう、そんな感じなのかな。

自分が戦争捕虜になったこともないのでこれだけは偉そうなことは言えないが、自らが祖国とした国の為に働き、銃を取り戦地に赴きそこで終戦を迎え装備を解除されてそのままシベリアなどに抑留された人々の事を考えると、今のこの平和の為に戦ってくれた人々を放置など出来るわけがないと当然に思う。

社会を守るために時に社会はその参加者に対して義務を命じることがある。それが納税であり法律の遵守であり、時には徴兵であり、徴兵の結果として戦場に送り込まれた若者が死んだとしてもそれは社会を守る為の行為である。

だから自分の身代わりとして死んでくれた人を生き残った人が祭らないような社会が長続きするわけがない。死んだ人が祭られる、栄誉として讃えられる、それが分かってるから若者は死地に赴くことも出来る。

さて3、基本左翼な僕だけど、こういう事を考える時のぼくは無茶苦茶に右翼になる。個人的には国のために戦った人を祭る靖国神社擁護派である。そこにどのようなモノやヒトがあるのかは別問題だ。

明治維新以降に国の為に亡くなった人々を祭るのは生き残った人々の義務であり、それがなければどうやって相互扶助という社会を構築できるのか、そう思う。

だからモノやヒトに問題があれば別の場所で議論してください、けど靖国は社会をきちんと運営していく上で絶対に必要なものですよと考えている。

その延長で、戦争に従軍して戦後に抑留された人々を救うのも当然国の仕事である。

「そんなの法律で救いようがない」と言う法解釈は理解出来る。法律とは元々そういうものだ。そしてその裁量を行政に任せた。その結果として民主党政権が彼ら抑留者を救うことになった。

ある意味当然の措置である。今まで何故やらなかったのか、その方が不思議である。

軍人恩給があるから充分じゃないかと言うのも一つの理屈である。けど軍人恩給は戦後すぐに本土へ戻れた人だってもらえてる。これとは別に、戦後に抑留された人々に対する手当てがあってもおかしくはないと思う。てか、それくらいしないと次は誰も戦争に行かないぞ。

そして更に言うなら、抑留された人々の本音はカネではないと思う。すでに60年以上過去の事なのだ、カネなんてどうでも良い、それよりもおれたちが生きてきた苦労を是非とも皆に知ってもらいたい、誰かに「お疲れ様でした」と言ってもらいたい、政府にも「有難う御座いました、ご苦労様でした」と言ってもらいたい、ただそれだけなのだと思う。

悪いニュース続きの民主党だが、今日のこの記事はうれしかった。


tom_eastwind at 13:49│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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