2010年05月26日

自由とは 英語と日本語

f23fb4a9.jpg昨日の続きではないが、小学校の頃に先生を本気でバカと思った話。

「君ら、自由と言う言葉を知っているか?」当時の学校のセンセーと言えば日教組の集団であったが、何かあると子どもをほっぽりだしてデモ行動をやってた連中だ。

その連中の一人がある授業の時間中にこんな質問をしたのである。

そこでぼくは普通に小学校高学年の知識として「それは自らに由る、つまり自己責任ですよね」と答えた。

するとセンセー、「おい、オマエは間違っている。自由とは無責任、自分勝手という意味だ」と言い出した。

こりゃ面白い、なるほどな、明治時代に英語が導入された時にその概念を含んで適切な日本語にしようとして賢人によって作られた自由と言う言葉を田舎のデモシカ教師が全否定するんだから面白いものである。

学校ってのは日本語の本来持つ意味を訂正して新しい概念を刷り込む組織なんだなって思った。しかしそういうバカに付き合う義理もないこちらとしては、早いとこ、このバカが目の前から消えないかなって思ったものだ。

けどそれよりも面白いのが、周囲の子供たちもセンセーのいう事に一様に頷いて「そうです、センセーの言うとおり、自由とは自分勝手なんですね」と本気で野賜り始めたことだ。

これまた洗脳大好きな人々からすれば受け入れやすい話なんだろう、だって自由と言う概念を否定すれば誰も自由でなくなり、誰かが作ったルールで動くようになり、結果的にルールを作った人間のやり放題と言うことになる。

けど騙されて洗脳を受け入れてしまった人間にとっては自分で考えると言う難しい作業をしなくて良いのだから、こりゃ楽だ。いつか来るであろう、今日と違う明日が来ないって真剣に信じていることが出来るんだから、「その日」が来るまで何も考えずに能天気に生きてれば良いのだ。

自らに由るという基本的な概念そのものを理解しようとせずに周囲に踊らされて騙されてはしゃいでいる人々がとっても目立つ東京。

まあいいか、おれの人生ではないんだし、好き勝手にやってくれ、ただしこっちを巻き込むなよって感じの東京滞在3日目。


tom_eastwind at 15:17│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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