2010年05月31日

東京1975 or Homeward bound 2

かぐや姫と言われて月から来た女の人を思い出すなら10代、大分から来たフォークソンググループを思い出すなら40代か50代。

今日の東京の朝は早い。4時にはすでに太陽が昇っており、昨日カーテンを閉めずに寝たぼくは、この夜明けと共に眼が覚めてしまった。

かぐや姫の南こうせつは今も現役で歌っているが、この“東京1975”と言う歌は同じグループで主に歌を作ってた(例えばなごりゆきとか22歳の別れとか)伊勢しょうぞうが歌った歌だ。

35年前と言えば、福岡と東京の距離感は今の東京―オークランド感覚だった。当時のチューリップや長渕剛、井上ようすいなどは皆国鉄を乗り継いで東京に出てきて、それこそ右も左も分からないままに死に物狂いで頑張って何とか自分の場所を東京で見つけた。

今では東京と福岡なんてお手軽に転勤出来る距離だし感覚だが、当時はまさに「上京」である。

有名な笑い話で、ある中学生の子供が修学旅行で東京に行った。すると自由行動の間にたくさんのタクシーを見るのだが、どれも全部中型である。

福岡の自宅に帰った子供は母親に「かあちゃん知っとう?東京のタクシーは全部中型やん」って言うと母親はバカにした声で「そげなことあるわけなかろうもん、はよメシ食べり」

タクシーと言えば小型が標準である地方の笑い話だが、35年経った今、それが東京とオークランドの間で発生しているのを感じる説明会。

もちろん移住する気持ちを持っている人からすれば人生の一大決断なのだしそれはよく分かる。けど大昔に大分から福岡に出てきて、中昔に福岡からニュージーランドに出てきた僕からすれば「いつか来たあの道」である。

距離と情報、これが埋まれば残るは本人の能力である。それさえあれば1975年に東京で歌ってたかぐや姫みたいに、チューリップみたいに、井上ようすいみたいに、ましてや今もカリスマ的人気を誇る長渕つよしみたいに生き残れる。

大事なのは情報でも距離でもなく、それを克服しても余りあるだけの能力とやる気である。35年前に九州人が行った事を今日本人がニュージーランドに向けて行おうとしている、ただそれだけのことだ。

ふい、これで今回の説明会も終了、うちにうちに。


tom_eastwind at 08:55│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔