2010年07月03日

MBA

引き続き英語ネタ。

日本にいると皆さんの口から出るのは「英語が苦手で〜」であるが、それはぼくも全く同じだ。

ネイティブでもないし同じ英語でも国によって言い回しは違うし、だいいちキリスト教もシェークスピアも学んでないのだから同じレベルでの会話が出来ない。

けど、それでもこれからは出来れば英語を身に付けるようにするのが大事だというのは、海外から日本を見ているからより一層感じる。

とくに英語力と一言で括るよりも英語を使って何を話せるか、どう相手と議論するかが重要だろう。英語を使って映画を観ようとか恋を語ろうと言ってるわけではない。

とくに最近日本のサイトでも、日本国内でMBAが学べるという講座があるようだ。

MBAは西洋人と喧嘩する時の武器として非常に有効であり、これがあると日本有数の一流企業でも重宝される。

何故なら一流企業といえどまともな英語を使える人材は限られており尚且つ外人、とくに白人やインド人と交渉する能力を持っている日本人は日本の大手企業には殆ど存在しないからだ。

なので「日本にいながらMBAが取れる!」と言うのも悪くはない仕組みだと思っている。勿論本当は世界喧嘩の本場である英米で取得するのが一番だろう。

あそこの学生の中に飛び込んで毎日マシンガンみたいに英語を喋り捲りながら相手を押し込んでこっちのペースに巻き込んでいくのは学びが多い。

日本的な「言わなくても分かるだろう、腕を見てくれ」は世界ではそのままでは通用しない。やっぱりそこには広報や交渉が必要だ。

先週はニュージーランドの地方銀行の支店長と会議を持ったのだが、こいつらおそらく地元の大学さえ出てないんじゃないか、あ、違うな、地元の大学は出てるけど一応会計とか足し算とか、とにかく普通のキーウィが苦手とする実務の部分で強いのだろう。

若くて元気が良いのだが、いつも話すポイントがずれている。その事に気づきもしないままに威勢の良い声といかにも「おれは銀行のプロだ、バンカーだ」ってな感じで仕切ろうとするのだが、どれもこれもある意味かわいそうになるくらい的を外している。つまりきちんと議論の勉強をしていないのである。事実関係をどう認識するかも理解出来ていないのである。

(日本人は最近殆どいないそうだが)米国などの優秀な大卒は一旦地元の投資銀行に下っ端として入行して数年働き、それから一旦退社してMBAを数年かけて取得して能力に磨きをかけて現場に戻ってくる。こうなると鬼(狩猟民族精神)に金棒(法律と金融知識武装)であり、ものすごい強力な戦闘兵器となる。

こういう連中はネイティブの英語に大学での会計資格や弁護士資格などを引っさげているし、更にMBA時代の友達と言うサークルを持っているから、金融の世界ではどんどん成長して年俸数億円のプレーヤーとして活躍することになる。

年俸数億円!だからこそ時には禿鷹などと呼ばれるのだが、彼らは自分たちの事を禿鷹とは呼ばない。熊の尻を食いちぎる連中と呼んでいる。禿鷹ごときでは生き残れないのだ。

その意味で日本の邦銀で年収数億円貰い熊野ケツを食いちぎるような域に達しているバンカーは殆ど存在しない。

まずは英語力。ネイティブ並みの能力が要求される。
次に交渉力。相手を力でねじ伏せて絶対に妥協しない姿勢。
理論構成力。相手が納得するような筋書きと理屈を作り出す能力。
生存本能。単純に生き残る為の本能。

こういうものすべてを整理して一個の頭の中の引き出しに詰め込んでおいて、臨機応変に戦闘手段として使いこなすのを教えるのがMBAである。

だから日本人がMBAの勉強をする事はこれからの時代に必要な条件だと思う。

ただ一つだけ言いたいのは、すべての戦いが終わった後に何が残るのか?である。実はこれが今日のテーマであり、目先の戦いに勝ったとしても自分が欲しかった家庭の幸せや日本人の平和をそれで守れるか、である。

MBAは戦いの手段として有効である。しかしそれはどこまでいっても手段であり、目的に崇高さがない限り単なる野獣だ。

おもしろい事に現在の資本主義を作り上げた西洋人も全く同じ事を言っている。

資本主義は人間としての倫理を持っているからこそ使える技術であり、神の教えに逆らうような倫理なき(彼らはクリスチャンなので)資本主義は暴走する。

そうなんだよね、まさにその通り。そしてそれは実際に暴走して日本の失われた20年の後押しをしたし今回のリーマンショックを生んだ。

(日本の不況がこれだけ長引いたのも投資銀行が日系企業に赤字隠し商品を売りつけたからだ)

幸運な事に日本人は会社の社会的使命という事をDNAの中に徹底的に叩き込まれて理屈ではなく肌感覚として理解している。

だからこそ資本主義の世の中でも決して社会的倫理にもとることをしない。出来るけどしないってを分かっている。(バブル期以降はかなり変化したのも事実だが)

ただそれがいつの間にか手段である「しない」ってのだけが一人歩きして目的の部分を忘れてしまったから西洋の「出来るからやる」って言う倫理のない連中にぼこぼこにされてしまったのだ。

社会の平和を守る為には「しない」だけではなく「やれるけどしない」、けど誰かにやられそうになれば即時全面的に反撃をする、それだけの力がないと意味がない。

その意味でのMBA取得、今の日本人に一番学んでもらいたい部分である。

「おい、オマエそんな事言ってMBAあんのかよ?」と聞かれそうだが、ぼくは持っていない。けれど幸運なことに社会人生活と奥さんの教育によりおそらくMBAの教えている部分の現場で使用されている部分らいはなんとか学んだと思う。

けど、だからこそ思う、こんなのを現場で学ぶのはすんごい大変だから(本当に血と汗が出る)学校で勉強出来るなら学校で学んでから社会に出て欲しいってこと。

戦闘の現場に行って誰かに自動小銃の引き金の引き方を教えてくださいって言っても誰も教えてくれない。

社会は勉強する場所ではない、戦う場所なのだ。


tom_eastwind at 19:49│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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