2010年07月10日

名古屋の本音

a23cb3ae.jpg土曜日:みんなの党に勢いがある。蓬莱軒という有名なひつまぶし専門店でお客様から昼食をご馳走になる。

そこで仕事の話の後の雑談で、
「ところでオタクはどこに入れたの?」とお客様同士の会話。
「ええ、私も父親もみんなに入れました」
ほー、彼らは一昨年までは自民党大嫌いで去年は民主党に期待していた人々だが、民主党の激しい左翼化に対して怒りに近い感情が出てしまい、ならば一番ましなみんなにしようと考えている。

その日は仕事も終わったので夜遅くに錦3丁目にちょこっと顔を出す。そこで軽く話題を選挙に振って「明日は選挙、行くの?」と聞くと明るい声で「はい、行きますよ!今回はみんなです」と語尾は結構真面目である。

このブログを書いている時点では日曜日の午前中なので選挙結果は全く読めないが、どうやらみんなが躍進しそうである。

そうなると民主、自民とも過半数を取れずにみんながキャスティングボードを持つ可能性が非常に高くなる。親父の出来なかったことを子供のおれが必ずやってやるんだ、渡部ヨシミを見ていると何だかそんな空気が伝わってくる。

50年前に存在価値を失った社民党はいずれ議席を全部なくして解党、一部社民党の票は共産党に流れるだろうが、社会全体の流れとしては自民党若手右派、民主党若手右派、みんな、このあたりが合併して大連立を作って衆参両院で過半数を獲得すれば面白いことになりそうだ。

ただし名古屋には一つ問題がある。それがかわむら市長だ。彼は名古屋市民の民意で選ばれた市長だ。その彼が住民税減税、市議会議員の報酬半減などと打ち出している。

ぼくはそれをねたにお店のママさんに聞いてみた。すると彼女は「そうねえ、住民税減税は有難いけど、それ以外はあんまりよくね〜、ごにょごにょ」と言葉を濁す。

けど、議員ってのはニュージーランドでは元々ボランティアベースである。一般人が国民や国家の為に一定期間、NobleOblige(貴族の義務)として労働を提供するのであるから、金儲けが目的なのではない。

議員として活動する為の費用と、その期間民間の仕事が出来ないから政府から補助を出しましょうという発想であり、それで金を儲けようという発想はない。

いくら日本の物価が高いと言っても何でそれが1千万円以上なのか?彼らは報酬以外にも活動費を貰ってるでしょ。NZの首相や議員でも年収は10万ドル、大体600万円前後である。

だから普通に考えれば名古屋市民は議員報酬削減に対して賛成するべきなのに、現実はこのお店のように複雑な利害が絡み合っている。

総論賛成各論反対、要するにかわむらさんの言ってることが立派ならパチパチ!けどそれが議員報酬を減らす事であり私がかわむらさんを支持したら、この議員は次はうちの店にのみに来なくなる、これは困るから態度は明快にしないってことだ。

日本人が江戸時代から学んだ「長いものには巻かれろ」とか「優柔不断」などの生き残り戦術であるのは分かる。

けどな〜、それじゃ市民ではなく民衆でしかないですぜ。全体を綺麗にするためには自分の懐が一時的に苦しくなっても正しい道を選ぶべきだろう。

自分の店にのみに来てる議員が「おいママ、おれの給料半減だぞ!どう思う!」と言われて「仕方ないっしょ、あんたの脳みその程度は800万円でも多すぎるくらいなんだから」と言える人がどれだけいるだろうか。


これが日本の田舎の難しいところである。どうしても300年以上”お上”の顔色を伺って来た民は、決して市民ではないのである。

ふと思い出した。

クロサワの「七人の侍」でよわっちい百姓が「おら、どうすりゃいいだ?」的な顔をしてるが、ある時「今武器を取らずしていつ取るか!」と言われて、へっぴり腰ながら立ち上がった場面だ。

まさにこうなんだろうな、今の日本。誰も彼もへっぴり腰で、総論を話すときは立派な事を言うが、建設会社はあいも変わらず政治家に頭が上がらずどこも政治とカネが複雑に絡みついてしまい、誰も本当に思っていることがいえなくなっている。

ニュージーランドがどんな田舎でださくても、何よりも素晴らしいのは言いたいことが言える国だってことだ。

自分のビジネスに関係のある場合でも、間違っていればNOである。これがいえる、その一言が言える自由さ、その、ほんのちょっとした事だけど自由を感じるその瞬間、その時こそ人々は自分の事を市民と呼べるのではないだろうか。

tom_eastwind at 22:00│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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