2010年08月06日

這えば立て・・やだよ、自分で決めるよ

どんなに可愛くてもやっぱり怒る事がある。竜馬君がオークランドに戻ってきてすぐくらいの頃かな、しようもない事でどうしても感情的になって、当時住んでいたアパートの窓から竜馬君が大事にしてた人形を放り投げた事がある。

その頃竜馬君はもちろん声が出せなかったのだけど、うーうーと哀しそうな顔をして下を向いてた。びっくりしたのは、最近その話を竜馬君にすると、何とこの子、しっかりその夜の事を覚えているのだ。

子供は外側から見てても分からない、オトナの何気ない一言が一生子供の心の傷になるんだなって思った。同時に自閉症は病気ではない、コミュニケーション能力に一時的に問題が生じているけどそれ以外の能力に問題はなく、時間をかけてそれが取り除かれれば、あとはもう普通の子供と全く同じになるんだなとも思った。

ただ問題は、この「取り除く」作業に時間がかかるのと、その時間内にもっと悪い要素が子供に入り込んでしまった場合だ。その場合は子供はどんどん悪くなっていく。空気の悪い場所にいれば病気になるのと同じで、悪い環境にいる子供はどうしても周囲の影響を受けやすい。

だから本来は大した事ではなかったような問題が、周囲が気にしすぎるから悪化するという事がある。幸運なことにぼくは竜馬君が喋れないのは全然気にならなかったので特別扱いをする事はなかったし奥さんは素晴らしい教育者だから常に彼を見つめながら褒めてきて、結果的に今の、スキー場でも半袖で過ごせるような超元気な子供に育った。

かたことの日本語しか出来ないのに家族で東京に行った時は一人で吉野家の牛丼を注文して卵まで追加注文してて、どんな時でも「ぼく、出来るから大丈夫!」とものおじせずにどんな事でも自分でやりぬいている。

大体漢字が読めないのにスイカ使って山手線に乗って無事にホテルまで戻ってこれるのだから対したものだ。

このあたりはやっぱりニュージーランド教育の良さだと思う。どんな事でもものおじせずに失敗を恐れずに挑戦する(その代わり失敗しても怒らない事が大事)精神だろうと思う。

結果的にぼくはニュージーランドで子育てが出来て本当に良かったと思ってる。(てか、子育ての殆どは奥さんだったので何も偉そうなことは言えないが)

ただまあ、落第父親でもいくつか分かったことがある。それは、「這えば立て、立てば歩めの親心」は子供にとっては迷惑な場合もあるってことだ。

子供は自分の速度で成長していくし、人生は他人との競争ではない。いつ這い這いをしていつ立ち上がっていつ歩くかは、子供が自分で決めることだ。人生は長いんだから急ぐ必要はない。

金を作るだけが人生ではない。金が出来ても家族に見捨てられる寂しい人もいる。自分の子供が豪邸の一部屋で夕暮れを寂しく一人で見つめながら酒に溺れているのは見たくないよね。

だから親からすれば子供に何かを期待してかえって相手に負担をかけるよりも毎日を楽しく過ごさせることだろう。ニュージーランドの教育の良さってのは、子供を素直に育てさせてくれる点だろうと思う。他人と比較せず自分で作った自分の目標に向って進んでいける。

間違っても親が自分の叶わなかった夢を子供に託して無理を押し付けてはいけないと思う。他人を押しのけるような生活をさせるから子供は自分の夢を失ってしまい夢のないまま何故自分が今ここにいるか分からないような大人になっていくのだから。


tom_eastwind at 17:08│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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