2010年08月15日

ローリスクハイリターン

4fd14bf2.jpg7月23日に欧州スイスで発生した氷河特急の脱線事故。多くの日本人の方が怪我をしたり死亡した方もいらっしゃる。

ご冥福をお祈りします。

しかし現実としては旅行業は常に事故と隣り合わせの仕事であるのも事実だ。人々は自然を楽しみスポーツを楽しみ、旅に出て見知らぬ土地を歩く。

お盆の期間も多くの方が日本国内の山で登山を楽しんだが、やはり事故は起こっている。暑い夏なので海にも行くが、ここでもやはり海水浴客の事故が起こっている。

じゃあ家の中にいれば死なないかと言えば、確率的には低いものの平屋であれば森の息子の車が突っ込んでくるだろうし、じゃあ高層マンションなら安全かと言えば窓から落ちる事もある。じゃあ3階建てアパートなら墜ちて死ぬ事はないだろって、そりゃ墜ちては死なないが今度は火事に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。

要するにどこにいても生きている限り死ぬリスクをゼロにする事は不可能であり、リスクは最小化出来るけど完全に失くすことは出来ないという事だ。

これは人生の一つの真実であると思う。

だから、いつ死んでも「ああ、良かったな、この人生」って思えるように生きようぜと言うのが現実的なキーウィの考え方である。人生に危険は付き物、ならば出来るだけ自分の努力で危険をコントロールしようとする、つまりリスクコントロールである。

だからニュージーランドでは各種スポーツ事故でも、事故を起こした側によほど故意の過失がない限り、つまり善良な管理者としての義務(善管義務)を果たしていれば、そこから先は参加者の自己責任である。

しかしそのような考え方を持たない、つまり不老長寿がdaisukiな、つまり体中をホースで繋げてでも長く生きている事そのものに価値を見いだすような民族では、どうしても冒険した側(顧客)ではなく冒険を作った側(スポーツ会社等)に対して責任を要求する。

「何でそんな危険な事をするのだ!危険と分かっているじゃないか!」
「お前の責任だ!法律とかじゃない、企業としての社会的責任だ!訴えてやる!」となる。

その結果として企業も個人も社会的制裁、法律的制裁、家族への抗議運動などを考えて萎縮してしまい、結局誰もがリスクを取らなくなる。

そして更にその結果として現状維持のみが許される環境となり、新しいものを作り出す文化はどんどん萎縮して社会全体が衰退していくのだ。

リスクは許さない、税金は払いたくない、仕事だって上司に言われた事だけをしていたい、けど年金と保険は全額もらいたい、そんな都合の良い話が通るものか。

そしてリスクを取って成長する社会とどんどん格差が広がっていく。

氷河特急でも事故後数日して再開したが、それに対してある日本の新聞では「無責任だ!死者を出すような事故ですぐに再開とは何事か!」などの声もあった。しかしそれは亜細亜の片田舎の世界の非常識から出てくる意見であり、事故後にきちんと調査して問題がなければ再開するのが欧州や西洋のルールである。

法的責任、技術的問題、社会的責任、これはそれぞれに違う。しかし日本ではこれがすべて団子になって問題とされるのだ。そして最後には大きな声を出して日本のスジとかを言った者が勝ちとなる。

スキーを楽しみにやってくる日本人だが、思考回路は当然日本のままなのだから何かあったら「何よ、責任問題でしょ!」となるのだが、相手が外国人の場合は、殆どの場合日本人は英語が出来ないからそのまま黙ってしまう。

けれど相手が日本人だと火の玉のように日本語で怒り相手に謝罪をさせようとする。つまり自分が理論的に正しいかどうかではなく、その場で発言出来るかどうか、空気でも読んでいるといったところだろうか。よくわからんが。

今もコロネットピークのリフト乗り場の横を怪我したスキーヤーが救急医療隊のソリに横たわって降りてきた。首には大きな浮き輪のようなものを嵌めこんで動かないようにして体がショック死しないように暖かい毛布でくるんだままの状態で、待機していた救急車で山を駆け下りていく。

「あ^あ、やっちゃったな」そう思いながら僕は山に駆け上がって行く。他の人たちも一瞬どきっとした顔をしながらも、次の瞬間は仲間の肩を叩いて「おい、おれたちのリフトが来たぞ」と勢い良く乗り込む。スキーは危険なのだ。

今年のニュージーランドは異常で、すでに5人のスキー事故死者を出している。スキー界幹部も「今年はChallenging Yearだ」とニュースで語っていた。

しかし誰も山を閉山しろとは言わない。精々がヘルメット着用、くらいだ。スキーは危険なスポーツであり怪我をする事も覚悟の上だからだろう、それ以上の話にはならない。

しかしもしこれで日本の常識を持ちスキーを知らない連中がやってきて「管理責任はどうなっているのだ!責任者を出せ!こんな危険な山などすぐに閉めて、絶対に事故が起こらないと保証出来るまで再開するな!」と言い出したら、どうなるのだろう。

まあ間違いなく言えるのはその週の地元の新聞に一面で「変な日本人」と言う記事が載ることだ。

スキーや山登りは参加する人々も危険性を覚悟してやってくるからそれほど責任問題は起こらない。けれどスキーや山登りだけが危険なスポーツではない。生きていくってのもそれなりに様々なリスクがあるものだ。

そのリスクをすべて否定してしまえばすべての人間の進化は止まってしまうし、何よりもリスクを完全に回避しながら生きていくことは不可能なのだ。てゆーか、リスク=危機だが、それは同時に好機なのだ。

初めて空を飛んだライト兄弟は、落ちるリスクを抱えながら成功して歴史に名を残した。

以前も書いたがチャンスと言う言葉は機会であり、好機なのか危機なのかは、ある意味どちらの面から見るかによって答が変わる。

スキーをする事で空を飛んで得られる喜びと自分への自信、それと空から墜ちて受ける怪我、スキーそのものが持つ危険性を秤にかけてみればそれぞれに答は違うだろう。

けれど技術的には、喜びとリスクを両方とも減らす事でローリスクローリターンのスポーツに切り替えることも出来る。つまりゆっくり滑るという事だ。

人生も同じで、受験勉強で志望学校を決める時のリスクと、そこに行く為の努力、その結果落第した場合のリスク、誰しもがそんな経験があるだろう。ハイリスクハイリターンでいくか、ローリスクローリターンの人生を選ぶか。このような判断は大変ではあるが、それがその人の経験となる。

ただ一つだけ、普段の人生をローリスクハイリターンにする方法はある。それはビジネスで挑戦して失敗しても彼や彼女が再度挑戦出来る法的整備と再挑戦までの経済的生活に影響が出ない、つまり政府がセーフティネットをしっかり構築しておく事だ。

リスクを減らしながらリターンを増やす。それは日頃から国民がきちんと納税をして労働をして新しいものを作っていこうとする社会では可能である。

写真はコロネットピークのロッキーギャレー、一般的にTバーと呼ばれているコースである。丁度この写真のすぐ近くが事故現場でもある。



tom_eastwind at 15:24│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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