2010年08月17日

雪山にて

7cbdde0f.jpg日本人が集まる掲示板にNZdaisukiがあるのはご存知だろう。以前そこで書かれていたことが、「スーパーの中で親が万引きして子供に牛乳を飲ませている!あり得ない」みたいな内容だった。

何のことはない、こちらではスーパーで買い物をしたら子供などがそれをすぐ欲しがった場合そのままあげる、そして空になったカンやパックでレジを通してお金を払うのだ。

そのような行動をする人は実は一種の性善主義者にNZと言う地域性が乗っかっていると思えば良い。

彼らの頭の中に人のものを泥棒するなんて発想は全くない。実際この国では以前は、誰かが駐車している車に自分の車をぶつけると、相手の車にメモか名刺を挟んで「ごめんね、連絡下さい」とやっていたのだ。

当然である、他人の車をぶつけたのだから責任を取るべきだ、当て逃げなんてあり得ない、そういう時代がニュージーランドにあった。

スーパーでもそうであり、誰かのものを勝手に盗むなんてあり得ない、だからこそ逆に、普通に棚のものを手にとって食べながらレジに行ってお金を払うと言う発想になるのだ。

日本ではスーパーのレジを通す前に食べてしまったら食い逃げの可能性があるから食わせない。つまり人間性悪説である。

要するに自分を正しいと思ってる日本人のうち多くは、実は人間性悪説に立って正しいだけで、違う価値観の下では“人を疑いの眼でしか見ない”人物と言うことになるのだ。いや〜、そうじゃないと日本では生きていけないでしょって言うなら正しいという言葉には色んな価値観があると知ってもらいたい。

もちろんなかには本当に泥棒をする人もいるだろう。けど一般的にスーパーの中で堂々と食べている人はそのような人ではない。

このあたり、この国の構造は本当に日本と根本的に違う。それは歴史と宗教とこの国を創った人々の思想の組み合わせで出来上がったものであるが、
1・この国が建国された1840年代(当時のロンドンの社会状況や戦火に明け暮れる東欧そして食料飢饉に何度も襲われたアイルランド)という歴史的位置付け。
2・人は嘘をつかないと言う宗教の真面目さ。他人に見られなくても常に神が見ているから心に手を当てて悪いと思うことはするなって発想。
3・当時の政治家及び国民全体の合意である、労働者の天国を作る。つまりすべての人が機会においても結果においても平等であるべきだしお金持ちが特権階級を作るのを認めない。


このような色んな要素が混ざっているのだが、話はスーパーからスキー場に飛ぶ。

写真の家族の手元をよく見ていただくと分かるが、彼らは週末のスキー場のレストランの日当たりの良いゲレンデ真下の最高の席で、テーブルの上に自宅で作ったスコーン、パイなどの食べ物をピクニックのように広げて、子供は親から受け取ったソースを盛大に自分の料理に振っている。

そう、この国ではまだレストランで自分の作ったものを食べる習慣があるのだ。てか、“君のものは僕のもの僕のものは君のもの”的な共産主義思想みたいなものが残ってて、だからレストランと言うのは個人が商売をしているところでありそこに料理を持ち込んで食うのは良くないって言われても、あまりぴんと来ないのだ。

レストラン慣れしていないってか、君んちのダイニングテーブルに、料理を持ってきた僕が食べている、みたいな感覚と言うかな。

最近ではレストランも入り口に「持ち込み禁止」など表示する店が増えたが、逆に言えば持ち込みする人が多いと言うことだ。

コロネットピークはその中でも持込が多い。と言うのも観光客は短期滞在なのでわざわざお弁当を作ることはないので持込をするのは地元民のみ。そして地元民は山から降りれば地元のレストランやホテルで働いており、いわゆる山と街の持ちつ持たれつの関係である。だから自然とこのような関係が出来上がったのだと思う。

元々入り口と言うのがない作りのカフェテリアだからスキー板を置いてどこからでも入り込めるし、誰も何も言わない。実際にぼくも仕事以外で山に行くときでもけっこうお弁当をもっていって、一般客に混ざってカフェテリアでお弁当を食べていたものだ。

何だか、社会がまだまだ分化していない、てか今でも社会は常にお互いに助け合うってのが残っているのだろう。

コロネットピークでもぼくがスキー場で働いていた頃、こんな事件があった。ある米国人インストラクターが昼食を終えて自分の板のところに戻ると、何故かポール(日本式で言うストック)だけがない。

おっかしいな、どこに置いたかな、そう考えながら近くを見回していると、ゲレンデから降りてきたキーウィのスキーヤーが明るい声で「ハイ!、これ、」と手渡してくれたのは米国人インストラクターのポールである。

このキーウィの頭の中では、世界は一つ、家族は一家、君は今ポールを使っていない、ぼくは今ポールがない、だからそこにあって誰も使ってないポールを使った、使い終わったからそこに置いておく、次は君が使うんだね、そんな感覚なのだ。

もちろん資本主義で私有財産命の米国人からしたらあり得ないくらい怒ったのだが、キーウィからすれば何が問題かよく分からない。だってそこにあるのだ、誰も使ってないのだ、何が悪いのだ?

さすがに都会に行けばそういう事もなくきちんと個人私有と社会共有の財産は区別されて・・・いるよな、、、時々されてない気もするが、、、、(笑)。

だからスーパーで買い食いをする人やレストランに自分のランチを持ち込む人や仲間のポールを使っている人は何も悪気がないのであり、裁判所で毎週月曜日の朝に警察官に囲まれて行列を作っている、麻薬で歯が抜けて目がらりってていつも汚い言葉を使っている人々とは違うのだって事がこの国で生活をする際に最初に理解すべき点であろう。

他にもこんな事件があった。オークランドのメインストリートで友達のやっている日本食レストランがあった。昼時なのでお店の前に出来たての持ち帰り用お弁当を並べていたら、近くを歩いてた浮浪者がいきなりそれを一個掴んで歩き出したのだ。

オーナーは勿論店から飛び出して「何してんだ、カネはらえ!」となったが、その時に間に入ったのがごく普通の中年キーウィ。

彼はオーナーに向って落ち着いた声で「ごめん、こいつはオレの友達なんだ、金はオレが払うから、弁当渡してくれよ」何がなにか分からないまま、けどオーナーからすれば弁当代金を貰えば問題はない。

その後弁当を持った浮浪者は意味が分からないような顔をしながら立ち去って行き、キーウィも何もなかったように自分の道を歩き続けた。

もちろん僕の視点だけがすべてではなく、もっと外国人から見たニュージーランドの違った面があるのだから、この国で生活をしようと思う人は、いろんな方面から情報を仕入れるべきであろう。

ただ一つだけ言えるのは、人間性悪説が頭にある限りこの国の法的仕組みとか日常の流れとかが理解しづらくなるのは事実であり、どうせ住むなら生活を楽しむ為にも、何故キーウィがこのような性格なのか、その一部に人間性善説があるってのは理解してもらいたい。


tom_eastwind at 15:39│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

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