2010年10月13日

それでもぼくはやってない

★植草一秀ブログより抜粋:
警察と検察は巨大な裁量権を活用して、政治的に抹殺したい人物を犯罪者に仕立てたり、政治権力と癒着する人々のなかの犯罪者を、犯罪者であるにも拘わらず無罪放免しているのだ。この裁量権が警察、検察の権力の源泉であり、政治家も警察・検察にはすり寄り、企業は進んで警察・検察から天下りを受け入れる。

 男性が任意の取り調べを受けたのは大阪府警東署で、男性と男性の弁護団は10月7日、大阪市内で記者会見を行い、同署の警部補(34)と巡査部長(31)を特別公務員暴行陵虐や証拠隠滅容疑などで大阪地検に告訴すると発表した。
 
 記者会見では、男性が録音した取り調べの生々しいやり取りが再生された。以下にその一部を文字にして掲載する。

「お前、警察なめたらあかんぞ、お前」(警部補)
「シランなんかで済まんぞ、お前」(警部補)
「殴るぞ、お前」(警部補)
「手出さへんと思たら大まちがいやぞ、こらあ」(警部補)
「お前、大まちがいやぞ、こらあ」(警部補)
「座れ、こら」(警部補)
「やめてください」(男性)
「わからんのやったらわからんで勝負せいや、警察と」(警部補)
 
「おまえの家も全部ガサ(捜索)行くぞ」(警部補)
「おまえなめんなよ、こら。だまるな。何か言え。殴るぞ」(警部補)
 
「お前の人生ムチャクチャにしたるわ!!」(警部補)
 
「悪いけど、嫌がらせはするで!!(警部補)」
「留置場入ったら分かるんちゃう、報道も喜ぶでこんな話…」(警部補)

警察や検察が調書を作成する基本手法が「脅迫」である。
「認めないとお前を抹殺してやる」
「認めないとお前の家族を苦しめてやる」
「認めなければ長期間牢屋にぶち込んで、生活が成り立たないようにしてやる」
「認めないとマスコミに情報を垂れ流し、家族ともども生きてゆけないようにしてやる」
 
 このような手法でうその供述を引き出してゆくのである。
 
 大声で「お前の人生ムチャクチャにしたるわ!!」などの暴言で脅すことが常とう手段であり、今回告訴された警官は、まさに警察のマニュアル通りに取り調べを行っただけにすぎないと見られる。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-0c3e.html

★ 抜粋終了

これが今回弁護士によって公表された大阪の警察による取調べの実態である。植草ブログからutubeで怒鳴ってる警察の声を直接聞くことが出来るのは被疑者が身に付けていたICレコーダーに録音されていたデータがあるからであり、もしそのような「証拠」がなければ表に出ることもなかっただろう。

警察は一般市民を守る?全然違う、実は自分たちの都合の良いように筋書きを作る為には被疑者の家庭を破壊して仕事を首にさせて世間のさらし者にするという事がこれで証明された。大阪検察の証拠偽造に次いでこのような証拠が出てきて、ここまで警察の罵声を聞かされても「それでも警察を信じます」と言う人は何人いるだろうか?

まさに権力と暴力が一つになって市民に襲い掛かるのだから、こんな事を誰も見てない取調室でやられたらどうしようもない。こうやって脅迫されて作った供述書が後になって証拠として採用されて有罪となるのだから、一般市民はどう対応すれば良いのだろう。

もちろん1億2千万人の日本人のうちの殆どは逮捕されたり尋問を受けたりする事はないだろうから、警察と言えば交番に立っている使命感に燃える元気な若い警察官か、いかにも年季の入ったベテランで道に迷った子供の面倒から時にはガイジンの道案内までしながら、いざ渋谷駅前で事件が発生すれば真っ先に飛び出して犯人をねじ伏せるような人々を想像するだろう。

そう、警察官組織の中で働く人々のうち殆どはそういう人なのでありそれには何の間違いもない。けれどキャリアと呼ばれる東大卒業組と検察庁と言う組織の中で働く連中の脳みそは全く違った発想をする。

彼らの目的は国家を守る事であり国民を守る事ではない。そして国家を守る為なら無実の人間でも時には投獄する。これが鈴木ムネオや佐藤優、植草一秀などのケースに当てはまる。

組織は腐る。時間がかかると益々腐る。そしてどんな大組織であっても閉鎖された組織の中では絶対に浄化も循環も行われないから、どうしようもなく腐る。

腐った結果として国民を守るはずの警察がいつの間にか自分たちの不祥事を隠すために権力を行使して逆らう国民を刑務所に放り込む。

警察の威信を守る為には警察に失敗は許されない。だから停車中のスクールバスに白バイが後部から激突しても悪いのはスクールバスの運転手になるし耐震構造事件では政府及び首相を守る為にスケープゴートを仕立てて個人の犯罪として誤魔化す。

上司がそんな誤魔化しをしているのを手伝ってる連中からすれば、「よっしゃ俺達だってちょっと出世の為にその辺の大人しそうな一般市民を叩こうぜ」ってんで事件は作られて、上司だって日頃頑張ってる部下が冤罪を一つ二つ作っても、他の事件で頑張ってるからいいじゃないかと目をつぶる。

検察対小沢で始まった戦いだが、結果的に国民の前に今まで検察がどれだけ違法行為を犯して冤罪を作り出したかが明瞭になってきている。

冒頭に紹介した大阪の事件も、検察による冤罪事件が発覚しなかったらおそらく闇に葬られていただろう。これから検察に対してどこまで踏み込んで組織の変革を迫るか、それはむしろ政治家ではなく怒れる国民の反応次第だろう。

もしこのような事件の連続により、実は検察や警察上層部は国民を食い物にして生きている寄生虫だと分かれば国民は反発するだろうか?それともまたいつものように「よっく、わかんな〜い」で終わるだろうか。

今回の事件は国民の手に国民主権を取り戻す良い機会であり政治を浄化して国民の手で民主政権を取り返す絶好の機会である。

本来ならこのような機会を捉えて野党が攻勢をかければ良いのだが、肝心の野党第一党が今まで検察とつるんでた連中だからこれは難しいだろうな。

河野太郎がいくら強硬に主張しても、息子の犯罪を誤魔化してもらった森元首相とかからすれば検察にはお世話になってて息子が生きている限りこれからもお世話になる可能性が超大であるから受け入れる事は出来ない。

日本人が自分たちを現在の状態で良いと思うなら、自分は真面目に生きているから警察に捕まるはずがない、真面目に生きてれば警察のお世話になることなんかないって本気で思ってるならこれ以上言う事はない。

「それでもぼくはやってない」と言う映画があった。見た方も多いだろうが、最後の「控訴します!」と言う場面、多くの人が何とか高裁では正義が実現されてほしいと思っただろう。

しかし現実は警察と検察のやりたい放題であり控訴したって引っくり返る可能性は殆どないし、忘れてはいけないのは控訴するって事は検察権力に逆らってるんだから、検察は今度は痴漢したかどうかなんて関係なく、お上に楯突くその反逆行為自体を裁くようになるってことだ。

控訴の結果がどうあれ、24時間警察に見張られて真夜中の殆ど車の来ないようなちっちゃい交差点の横断歩道を赤信号で渡っただけで逮捕されて27日間の拘留、その後も徹底的に警察に付け回されて生活はぼろぼろにされる。まさに、控訴で勝っても地獄、負けても地獄である。

ここから先どうするかは、まさに国民一人一人の判断である。しかしこのままで良いと判断して行動した、または行動しなかった人々に後日警察が襲い掛かっても「冤罪です〜、たすけて〜、わたしは悪くないのに〜」なんて言っても、もう遅いのだ。

じゃあ具体的にどうするか?時間はかかるが政治から変えていくしかない。現時点で「聴取の可視化」を政策に挙げている政党及び個人に一票を入れるか又は「聴取の可視化」を政策に入れてない政党や個人には投票しない「落としたい候補サイト」を作ったりして、とにかく政治から変えて行くしかない。

他にもやるべき事はたくさんあるが、今なら検察組織にメスを入れられる。次の機会はないと思って選挙に行くべきだろう。


tom_eastwind at 11:49│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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